真面目と愚直 

真面目に愚直に生きるのも 生き方
不真面目に狡猾に生きるのも 生き方

政治の世界 後者しかないのでしょう
選挙公約で「真面目に愚直に・・・」などと聞くと
笑うしかありません

選挙演説 総理の前ふり言葉・キーワード
真面目・愚直・丁寧・誠実
選挙に圧勝 「謙虚」が付け加わりました


 

「誠実な人」と「不誠実な人」誠実な人「不真面目な人はズルい」真面目な人は不真面目な人に違和感を感じる真面目か不真面目か謙虚な人の6つの特徴謙虚な人の9つの特徴謙虚な人謙虚になりたい人謙虚な人の特徴と謙虚になる方法・・・
 
    安倍政権 選挙公約は詔(みことのり) 神棚に
    個人の夢の話 選挙演説では封印
    政権に就いたら 独断・強行採決 夢を実現
    2013 特定秘密保護法 
    2015 平和安全法制
    2017 忖度の闇・加計学園疑惑
    2017 テロ等組織犯罪準備罪
    支えは お友達内閣  
    安倍さんの夢 「美しい国、日本」 まじめに愚直に推進
    仕上げは 憲法9条 
選挙に圧勝 過去を反省「謙虚に・・・」
「謙虚に」「謙虚に」…閣僚が連発 衆院選終え初閣議後 10/24
安倍内閣は24日、自民党が大勝した衆院選後初めての閣議を開いた。閣議後の記者会見で閣僚からは「謙虚」に政権運営にあたるとの決意表明が相次いだ。菅義偉官房長官は「選挙戦を通じて国民から寄せられた様々な声にしっかりと向き合い、政策本位で改革精神を失わず、有権者にお約束したことをきちっと実行に移し、この国を前に進めていきたい」と強調。経済最優先の方針を改めて掲げ、北朝鮮問題への対応や全世代型社会保障の実現に取り組む考えを示した。茂木敏充経済再生相は、自民、公明両党で憲法改正発議に必要な定数の「3分の2」超を維持したことに触れ、「安定した政権基盤のもとで政策を進めることに多くの支持が得られた。謙虚に受け止め、責任感と緊張感をもって政権運営にあたっていきたい」と述べた。選挙区で最多の票を得た河野太郎外相も「これだけの議席を頂戴(ちょうだい)したので、謙虚に国政にあたっていきたい」と語った。 
自民・岸田氏「丁寧さ、謙虚さといえば我々宏池会だ」 10/26
選挙の評価については「野党の敵失だった」とか「森友・加計学園問題をはじめとする選挙前の混乱を決して国民は忘れていない」という厳しい声があるのも事実だ。そのため、閣僚の中で謙虚さ、丁寧さという言葉がキーワードになっている。丁寧さ、謙虚さといえば、我々宏池会(岸田派)のキャッチフレーズだ。池田勇人内閣のキャッチフレーズは「寛容と忍耐」、大平正芳内閣は「信頼と合意」だった。宮沢喜一首相も口癖のように「権力を扱う者は謙虚でなければならない」と言っていた。丁寧、謙虚、寛容さは宏池会が本家本元だ。今後の党内議論をしっかりリードできるようにみんなで心をあわせていきたい。 
野党、質問短縮に猛反発=「妥協余地なし」「姑息」 10/30
野党は30日、政府・自民党が国会での野党の質問時間短縮を検討していることに対し、猛反発した。立憲民主党の枝野幸男代表は「安倍晋三首相は選挙の後も『謙虚に』と繰り返しているが、そうした姿勢とは全く違う。一切、妥協する余地はない」と批判した。枝野氏は党本部の会合で、政府提出の法案や予算案が与党の事前審査を経ていることを指摘。「野党と同じように質問させろというのは、事前審査の仕組みを否定するのか。全く論外。議院内閣制の基本が分かっていない」と断じた。共産党の小池晃書記局長は記者会見で「野党の質問封じとしか(受け)取れない、姑息(こそく)でせこいやり方だ。国会は政府の翼賛機関になる」と反発した。 
 
 
 
 
真面目
真剣な顔つきであること。本気であること。誠実であること。まごころがこもっていて、飾りけがないこと。誠意があること。 / うそやいいかげんなところがなく、真剣であること。本気であること。また、そのさま。真心のあること。誠実であること。また、そのさま。
○ 真面目に成(な)る 
まじまじとした顔になる。目ばかりぱちぱちさせて、じっとしている。白けた顔になる。しょげる。しゅんとなる。おびえた顔になる。本気になる。真剣になる。
○ 真面目腐る
いかにもまじめな態度をとる。「真面目腐って説教する」 
真剣目・真剣面 まじめ
刀の刃の部分を指し、転じて真っ直ぐでお堅く簡単に切れる人の性格を指す言葉である。
漢字で表すと真剣目もしくは真剣面と書き、元々は打刀や太刀の刃の部分を指した俗称である。厳密には刃を潰してない刀の峰ではない方の面、つまり刃の方の面を指して真剣面とし、特に切っ先の部分のことを真剣目とするが、ほぼ同義であるとして現在は厳密な区別はされていない。
この言葉から転じて、堅い性格でありながら同時に切れる人を指す言葉としても使われている。この場合の切れるは、頭が切れるなどの良い意味ではなく、突然怒り出したり逆上するような、刃物と同じように他人を傷つける種類の切れるである。
また元来の意味から、まじめにやる、まじでやる等の言い方もし、この場合は峰打ちや潰した刃ではなく真剣目で戦うことを意味し、命がけでやる、殺し合いの覚悟でやると言ういい加減さがない態度を示す。
○ 真面目との混同
現在ではまじめは漢字で真面目と書かれることが多い。しかし真面目は元々しんめんもく、もしくはしんめんぼくと読み、面目(表情や意欲)が真であることの意から嘘やいい加減さがない態度を示す言葉である。これが上述の「真剣目にやる」の意味と近しいことと漢字の字面が似ていることから徐々に混同され、現在では同じ言葉として使われている。
しかし、元々の意味するところは違う物であり、誤解が生まれる原因となっている。
「まじめな人だったのに突然切れて」と言う言葉が時折聞かれることがあるが、まじめが真剣目から来ていることを知らないための誤解であり、本来まじめな人は切れるものであり、むしろ切れるからこそまじめな人なのである。まじめな人は切れるものと、あらかじめ心に憶えておいて接する必要がある。
○ まじめな人
先述したように、まじめな人間というのは真っ直ぐな性格でお堅く切れやすい。日本刀は曲がらず折れずと賞されるが、まじめな人も曲がらず折れず決して妥協をしようとしない。周囲の人間が無理矢理考えを曲げさせようとしたり意見を折ろうとすれば、まじめな人が切れてしまうため、むしろ周囲の人々が傷ついてしまう結果となる。むやみに真剣に触れると手を傷つけてしまうのと同じである。
厄介なことに、まじめな人達は、真っ直ぐな性格をしているため、考えていることや言っていることは世間の倫理に適った正しいとされていることなのである。ただし現実の世界は理想通りには行かず、ある程度の汚いことや間違っていることも受け入れなくてはならない。それがまじめな人は受け入れられず衝突してしまう、そして言っていることは一般的に正しいとされていることだから周囲の人は説得に困る事例が多い。「お前の言っていることは正しいが社会じゃ通用しない」と言うと「通用しない社会が間違ってるんだ!」とか「大人は汚い!」とか喚いた挙げ句に影で「俺は間違ってないのに……」と一人泣いてしまい、フォローが必要になることも頻繁に見られる光景である。
ただ、まじめな人は方向性さえ合えば、そのいい加減のなさから与えられた仕事を堅実にこなすことため、まじめな人を上手く収める人が居れば良い結果を残す。しかし、しっかりと反りが合わなければ今度は「裏切られた」と叫びだし、これもまた収める人が傷つくことになるため細心の注意が必要である。
このように面倒な性質を持つため、まじめな人の扱いは一般の人々には困難を伴い、自然とまじめな人の周りからは人が離れていくことになる。よって、多くの場合まじめな人々は孤立しており、これが周りの衝突のなさから真っ直ぐで堅い性格をさらに強固な物にさせることが多い。まじめな人物を家族に持つ人間は、放置をせずに時間を掛けて少しずつ刃を潰していくように丸くさせていくこと根気が必要である。
まじめな人が切れた時の対処法として、真剣が落ちたときと同じように、とっさに手を出して押さえようとすると逆に傷つく恐れがあるため、落ち着くまで放っておいてから動きが収まったところでフォローすれば良い。 
不真面目
まじめでないこと。また、そのさま。 / 物事に対する真摯さが感じられないさま。職務などに真剣に取り組まないさま。 
 
 
 
愚直
知恵がなく正直一途(いちず)で、臨機応変の才がないさま。 / 正直いちずなこと。ばか正直。 / 正直すぎて気のきかない・こと(さま)。馬鹿正直。  / 馬鹿正直なさま・他にぶれず一つのことを行い続ける。

「愚」は「おろか(頭の働きがにぶい・馬鹿げている・考えが足りない)」という意味の漢字です。本来は「動きが悪い動物のような心」を表す漢字です。「直」は「真っ直ぐ・曲がっているものを伸ばす(直す)」などの意味の漢字です。本来は「正しく見る」というような意味の漢字。目の上に呪いの印を付け、正しい気持ちで見るという図です。よって二つを合わせると、「真っ直ぐでしか見れない心」というような意味になります。決して愚かな心で仕事をするのではなく、他のことは考えず一つのことを馬鹿みたいに真剣にやり続ける、そんな気持ちであることを表すために使われます。 
○ 几帳面
角柱の角につけた面の一。角そのものは残すように、両側に段をつけたもの。もと几帳の柱によく用いられたところからいう。細かいところまで、物事をきちんと行うさま。決まりや約束にかなうように正確に処理するさま。
○ 四角四面
真四角であること(「四角四面のやぐら」)。ひどくまじめで堅苦しいこと。非常にかしこまっていること。また、そのさま。
○ 直線的
一定方向をまっすぐ指向するさま。単純であるさま。
○ 直情径行
思ったことをかくさず、そのまま言ったりしたりすること。
○ 率直
飾ったりつくろったりしないこと。また、そのさま。素直でありのままであるさま。
○ 生真面目
非常にまじめなこと。まじめすぎて融通のきかない・こと(さま)。
○ 糞真面目
あきれるほど真面目で、融通がきかないこと。真面目すぎて面白味のないこと。また、そのさま。 
狡猾
ずるく悪賢いこと。また、そのさま。 / 悪賢いこと・ずる賢いこと。 / 自分だけ得しようと、こっそりと卑怯な手段をとること。ずる賢いこと。また、そのさま。 / ずる賢いさま。誠実でない手段で利益を享受しようとするさま。悪い方向に頭がよく回るさま。人の性質が後ろ向きで、正々堂々としていないさま。

「狡」は、はっきりしないものの動物が人から逃げ出そうと体をくねらせる様子を表していると考えられているようで、単体でもずるいという意味を持ちます。その動物の逃げるための作戦がずる賢かったからでしょうか?また、「猾」にもずるいという意味があります。いずれにせよ、昔の人は動物(けもの偏で示すことが多い)は、恐怖の対象でもあったのかもしれません。これもあり、「ずるい」は「狡猾い」、「狡い」または「猾い」と書くそうです。ちなみに、まったく同じ意味で「狡獪」(こうかい)という言葉もあります。 

「狡」は「獣偏」に「交わる」。獣偏は哺乳類一般に使われる漢字ですが、「犯罪」や「狂う」など、人の行い等にも使われます。「獣のような人の行い」という意味で、悪い人という意味の漢字でもあります。「猾」も同じで、動物を表す漢字ではなく、人間を表します。「交」は人間が脚を交差させた図。「骨」はそのまま、骨。それぞれ人を表す漢字で、それに獣偏。どちらも悪い行いをする人間=悪賢いという意味になったのだと思います。
 
 
 
誠実
まじめで、真心があること。 / 私利私欲をまじえず、真心をもって人や物事に対すること。また、そのさま。 / 偽りがなく、まじめなこと。真心が感じられるさま。 / 言葉や行動に嘘がなく、心がこもっていること。 / 人や物事に対する姿勢から真心を感じられる事、真面目で偽りがない事。

誠実(せいじつ)は「真心をもって人や物事に対すること」という意味の言葉です。真心(まごころ)は「偽りのない心・真剣な心」という意味の言葉。
例えば「誠実な人」で「嘘をついたり誤魔化したりせずに、何事も真剣に対応する人」という意味になります。「真面目な人」に近いです。
また、誠実は「誠実に対応させていただきます」というように使われることも多いです。よく不祥事を起こした人が記者会見などでこのように言うことがありますが、これは「嘘をついたり誤魔化したりせずに、真剣に対応します」という意味の謝罪コメントです。実際にそう思っているのかどうかは別にして、謝罪の際の責任の取り方については「誠実に対応させていただきます」というのが決まり文句のようになっています。
誠実な人になるのは良いですが、誠実な対応を迫られる事態にはならない方が良いですね。

「誠」は「偽りのない心」という意味の漢字。語源は「神様への祈りが成る」となり、想いが神様に真実と証明されたことを意味します。「実」は「みちる」「本当の」「中身」という意味の漢字。語源は「儀式を行う建物」と「貝(お金)をたばねたもの」の組み合わせ。「お金を供える」というのが本来の意味。次第に「器にお金をみたす」という意味の漢字に変化していき、「中身」「ちゃんとある、本当」という意味になり、「木の実=木にみちるもの」などの意味にもなった。二つを合わせると「中身がしっかりあり偽りがない」という意味になる。
類語 / 篤実(とくじつ) 真摯(しんし) 忠実(ちゅうじつ) 至誠(しせい)  
不誠実
誠実でない・こと(さま)。 / 不正直で真心がないこと。  / 信頼できず、裏切るために不誠実であること。あてにならないか、または詐欺的である。献身または愛情が信頼できない。率直でなく、誠実でない性質。売国奴の特徴、またはその性格を持つ。不正直である性質。誠実さに欠けること。不誠実である性質。誠実さが欠如しているさま。真実でなく不正直に。真実を言い表さない、または真実を言い表さない傾向がある。任務、義務、または約束に忠実でない。  
 
 
 
丁寧
動作・態度などがぞんざいでなく礼儀正しいこと。仕事のやりかたが雑でなく、念入りなこと。 / 注意深く念入りであること。細かい点にまで注意の行き届いていること。また、そのさま。動作や言葉遣いが、礼儀正しく、心がこもっている・こと(さま)。何度も繰り返すこと。特に何度も忠告すること。文法で、話し手が聞き手に対して直接に敬意を表現する言い方。 / 注意深く念入りであること。 / 細かいところまで気を配ること。注意深く念入りであること。言動が礼儀正しく、心がこもっていること。叮嚀。
語源・由来 / 丁寧は、金属製の楽器の名に由来する。昔、中国の軍隊で、警戒や注意を知らせるために鳴らす楽器を「丁寧」といった。そこから、注意深くすることを「丁寧」と言うようになり、細かい点まで注意が行き届いていることや、礼儀正しく手厚いことも意味するようになった。 
丁寧でない
人に対して敬意を示さないさま。 (礼儀がなってない・丁寧でない・無礼だ・礼儀を弁えていない・無礼な・礼儀知らずの・礼儀を知らない・頭が高い・横柄な・横柄だ・失礼な・失礼だ)
物事が細部まで丁寧になされていないさま。 (緻密さに欠ける・緻密でない・粗略な・丁寧でない・粗い・荒い・丁寧さに欠ける・丁寧さがない・お粗末な・いい加減な・中途半端な・荒っぽい・神経が行き届かない・雑な・アバウトな・大雑把な・粗雑な・乱暴な)
人の性格や言動が乱暴で丁寧でないこと。 (いい加減な・ガサツな・粗野な・荒っぽい・粗い・丁寧さがたりない・粗略な・丁寧でない・無作法な・デリカシーがない・無遠慮な・つっけんどんな・配慮の欠けた・野卑な・無神経な・荒々しい・手荒い・野蛮な)
言葉の使い方が粗野であるさま。 (形式ばらない・くだけた・スラングの・スラング風の・若者風の・若者言葉の・丁寧でない・マナーの悪い・荒っぽい・荒々しい・がさつな・マナーのよくない・乱暴な・礼儀を知らない)
言動などが粗野であること。 (ガラッパチ・乱暴・ぶっきらぼう・素っ気ない・丁寧でない・蛮カラ)
ぞんざい
取扱い等が丁寧でなく、なげやりで乱暴なこと。 / いいかげんに物事をするさま。投げやり。粗略。言動が乱暴で礼を失しているさま。不作法。 / いい加減なさま。粗略。言動が乱暴なさま。礼儀にかなっていないさま。無作法。 / 物事を粗略に扱うさま。取り扱いがいいかげんであるさま。言動が乱暴であるさま。不躾なさま。
語源・由来 / ぞんざいの語源には、「そざつ(麁雑・粗雑)」の転とする説と、「存在のまま」を略した「存在」の意味とする説があるが未詳。「ぞん」は「そ(麁・粗)」の意味と考えるのが妥当であるが、「そざつ」が変化したとは思えず、同じ語幹とだけ見る方が良いであろう。「存在のまま」の説は「存在のまま=あるがまま」で、「あるがまま勝手にふるまう」ところから、いい加減なさまを表すようになったというものであるが、強引に意味づけされた感が強いため、あまり良い説とは言えない。現代では「ぞんざいな口をきく」や「ぞんざいに扱う」など、形容動詞として用いられるのが一般的であるが、古くは「ぞんざいして」のようにサ変動詞としても用いられているため、この点でも「存在のまま」から変化したとするのは難しく思える。漢字が無いため「存在」を当てることもあり、夏目漱石も「ぞんざい」に「存在」を用いているが、借字として使用されているだけで語源とは関係ない。「ぞんざい」を強調する語には、接頭語「いけ」を加えた「いけぞんざい」がある。
粗略
杜撰 [注意深い]
不遜 [礼儀正しい] 
 
 
 
謙虚
控え目で、つつましいこと。へりくだって、すなおに相手の意見などを受け入れること。また、そのさま。 / ひかえめでつつましやかなさま。自分の能力・地位などにおごることなく、素直な態度で人に接するさま。 
横柄
態度が大きく無遠慮なこと。 / 偉そうな態度をし、無礼な様子。 / 人を見下したようなえらそうな態度をとるさま。大柄。 / おごり高ぶって人を見下すさま。  / ひどくいばって、人をふみつけにした態度であること。尊大。 / いばって、人を無視した態度をとること。無礼、無遠慮なこと。また、そのさま。大柄。
傲慢
威勢を張って人を侮ること。 / おごりたかぶって人を見くだすこと。また、そのさま。 / 高ぶって人をあなどり見くだす態度であること。 / 「おごりたかぶって人を見下すこと」という意味の言葉です。「おごりたかぶる」は「他人をあなどり、思い上がった態度をとる」という意味の言葉で、漢字で書くと「傲り高ぶる」となります。「傲」は「いい気になる」という意味を持っています。「慢」は「他をみくびっておごる」という意味があります。したがって、「おごりたかぶって人を見下す」という意味になるのです。わかりやすくいえば、「偉そうにして人を馬鹿にするような態度をとること」。
高慢
高ぶって人を侮ること。 / うぬぼれが強く、高ぶっていること。 / 自分が優れていると思って、他をあなどる・こと(さま)。  / 自分は他よりも優れていると感じることで、相手を蔑むさまなどを意味する語。  / 自分の才能・容貌などが人よりすぐれていると思い上がって、人を見下すこと。また、そのさま。 / 自分の才能や容貌等が他の人より優れてると思いあがって人を見下す事。自分が優れていると思って、他をあなどる事。「高」は、人を見下したような態度をとる、尊大にかまえるといった意味があり、「慢」は、自慢していい気になること、おごり高ぶることで、お高くとまって慢心する事で、おごり高ぶって人を見下したような態度をとる事になります。
尊大
必要以上に自己を顕示し、他を見下すような言辞を弄する様子。 / (思いあがって)ひどく偉そうに人を見下した態度であること。 / いばって、他人を見下げるような態度をとること。また、そのさま。高慢。横柄。 / 威張って、いかにも偉そうな態度をとる・こと(さま)。
不遜
思い上がった態度。 / へりくだる気持ちがないこと。思いあがっていること。また、そのさま。 / 思いあがっていること。おごりたかぶっていること。また、そのさま。 / 思い上がっていること・へりくだる気持ちがないこと。「不」は否定を表す言葉。「遜」は「退いて他に譲る」という意味から、「へりくだる」という意味。よって、へりくだることを否定という意味となる。 
 
 
 

 
2017/10
 
 
●「誠実な人」と「不誠実な人」
 
「良い人と悪い人」「賢い人と馬鹿な人」「強い人と弱い人」等は分かりやすい区別であるが、主観的な決め方しか出来ないので、公正を期するのは難しい。
そこで、私は、「誠実な人」と「不誠実な人」という切り口で人を区別する事を提唱したい。そして、「誠実な人」とは「真実を知ろうとする事に真摯であり、そうして知り得た『真実』と、筋の通った『論理』に基づいて全てを考え、それをベースにして他の人にも語りかける人」と定義したい。逆に「不誠実な人」とは、「事実関係を確認したり、自ら論理立てて考えたりせずに、盲目的に何かを信じ、他の人もそれに賛同するように声高に語りかける」人だ。
このように考えると、世の中には如何に「不誠実な人」が多く、「誠実な人」は少ないかが分かる。また、「不誠実な人」の多くは、単に怠惰であったり、早とちりであったりするだけだが、中には「分かっていながら平気で嘘をつく人」や「自分の権威を利用して、その嘘を他の人にも信じさせようとする人」もいる。こういう人になると、「不誠実な人」である事を超えて、明確に「悪者」である。
残念ながら、政治家の多くは「不誠実な人」であるようだ。しかし、私はこの事には同情的だ。政治家は選挙で勝たねばならず、その為には選挙民の耳に快い事を言わねばならず、その為には「自分たちに不都合な真実」には出来る限り触れたくないのが当然だからだ。
しかしながら、学者やジャーナリストが「不誠実」である事は、私には許せない。彼等の仕事は本来「真実を求める事」である筈だし、人々もそう見ているからだ。本来は選挙民を「不正確で片手落ちな政治トーク」から守るのが彼等の仕事なのに、その役割を果たせていないのなら、彼等は自らを深く恥じねばならないし、もしも何らかの理由で、意図的に選挙民の耳目を真実から遠ざけようとしているのなら、とんでもない「裏切り者」だという事になる。
さて、このように考えると、「誠実でない人」即ち「真摯に真実を知ろうとしない人」は、「我々に害を与える可能性の高い人」であるとは言えるだろうが、逆に「誠実である人」の全てが「我々に益を与える人」かといえば、必ずしもそうとも言い切れないだろう。仮に一つの事実が明らかになったとしても、それをどう評価するか、「そのままにするのか」或いは「変えようとするのか」は、それぞれの人の「価値観」と「意志」次第だからだ。「賢い人」はこの評価を間違わず、「強い人」はそれを実行してくれるが、そこまで行かずに止まってしまう人も多い。
「自分たちにとって、何が益になり何が害になるか」の判断(政治的判断)が、それぞれの人によって変わるのは当然だ。これ故に人々は党派に分かれ、お互いに口角泡を飛ばして議論する。しかし、事実関係については、「一つの真実」をお互いに確認し合えるよう努力し、一旦それが確認出来たら、それをお互いに最大限に尊重してほしい。そして、お互いに絶対に嘘はつかないでほしい。それさえ保証してくれれば、口角泡を飛ばして議論してくれる事はとても良い事だ。これがあってこそはじめて「民主主義」が機能しているとも言えるだろう。
ところが、実際にはそうなっていない事こそが、現代を生きる我々に取っての最大の問題なのだ。つまり、「不誠実な人たち」のおかげで、「民主主義」が正しく機能していないのだ。
例えば、原発問題なら、明快に証明できている「一つの真実」については、全員がこれを認めた上で議論し、「真実がはっきりしないもの」或いは「何が起きるか予測が出来ないもの」については、一定の幅を持った「推測値」をベースにして議論をすべきなのだが、現実には、「真実の追究」には始めから興味を持たない「不誠実な人たち」が、自分たちの独断と偏見による思い込みを前面に押し出して、意見の異なる人たちを問答無用で「悪者」呼ばわりにする傾向が強い。相手を「悪者」にするのに役立つなら、平気で嘘もつく。
不幸にして日本では、このような事が過去に何度も起こっている。志士たちが活躍した幕末については、その良い面だけを強調する話が多いが、実際には誤解や見落としによる状況判断の誤りは日常茶飯事で、そのような誤った判断をベースに、異なった考えを持つ人たちを「悪者」と決め付けて襲撃し、多くの命を奪うという事件が頻発している。
大正、昭和の時代になると、軍部や政治家は早い時点から真実を国民の目から遠ざけるよう画策し、更には、真実とは正反対に近い「大本営発表」を繰り返して、国民の大多数が死に絶えるに至る直前まで戦争を継続しようとした。本来ならこの嘘を暴いて国民を正しい道へと導かねばならなかった筈の学者やジャーナリストは、我が身可愛さの為か、積極的に軍部に協力した。特にジャーナリストは、自社の営利の為に国民に迎合し、却ってその熱狂を煽ったのだ。
戦争が終わると、戦争中は唯々諾々と軍部に協力してきた多くの学者たちは、今度は「進歩的文化人」という不可思議な人たちへと変身した。この人たちは、何故かソ連や中国(当時は中共と呼んだ)を「人類の理想を実現しようとしている正義の国」とほぼ盲目的に信じ、米国や西欧諸国、それに当時の日本自身を「それを妨害しようとしている悪い国」として糾弾した。
彼等は、一流の学者として世間で認められている人たちであったにもかかわらず、「真実の追究」に時間と情熱をかけた形跡は殆ど見られず、先入観の固まりに基づく独断的な議論を臆面もなく展開していた。驚くべき事に、当時名が売れていた殆どの学者、例えば、大内兵衛、清水幾太郎、蔵原惟人、都留重人、羽仁五郎、向坂逸郎、桑原武夫、茅誠司、坂本義和、野々村一雄、長洲一二、等々が、揃ってこの範疇に入っていた。もう少し後になると、ベトナム反戦運動の指導者として当時の若者たちの人気を集めた小田実などがこの中に入る。
彼等の思想の背景には、「プロレタリアート独裁(社会主義・共産主義)に基づく政治社会体制は人類が最終的にたどり着く理想の世界」「資本主義から社会主義・共産主義への移行は歴史の必然」「既にこの移行を始めているソ連や中国の指導者を崇敬すべき」「遅れている欧米はあらゆる手段を使ってこの移行を妨害しようとしているが、失敗に終わるだろう」等々の考えがあり、この考えと矛盾する事実関係が生じても、徹底的に無視するか、こじつけの議論で苦し紛れの反論をするばかりで、誰一人として真剣に悩み、「自分のこれまでの考えを見直そう」とする人はいなかったようだ。つまり、彼等は、戦争中と同様、殆ど完全に「不誠実な人」になってしまったのだ。
五歳で終戦を迎え、高校から大学にかけて「自民党が支配する政治・経済をベースとする現実の社会」と「進歩的文化人が実質的に支配する学問と言論の世界」の狭間で生きた私自身も、当然彼等の影響を大きく受けた。ソ連や中国の「不都合な真実」が色々な事件を通じて垣間見られるにつれて、彼等の言説への疑念は少しずつ大きくなっては来たが、まさかこれらの一流の学者たちが打ち揃って思考停止に陥っていて、「事実」と「論理」に裏打ちされていない事を公然と語っているとはとても思えなかったからだ。
現実には、マルクスの唯物論には「人間の本質」に対する洞察が完全に欠落しており、それ故に「間違った仮説」だった事が、今や白日の下に明らかになってしまった。即ち、「人間の生産性、創造力、勤労意欲といったものは、各人の精神状態(やる気)によって大きく変わってくる」「組織を運営するには権力が必要であり、権力を持った人間はそれから得られる利益を独占しようとする(本来の目的だった筈の『平等主義』はここで蹉跌する)。そして、こういう人間たちは、自らの権力を維持する為には、どんな理不尽で残虐な事をしても恥じる事がなくなる」という「普遍的な真理」が、最終的にソ連と東欧の社会主義・共産主義体制を崩壊させた(中国は、この轍を踏まないように、「建前」はそのままにしながらも、「実質」を大転換させつつある)。
これが予想以上に早く実現した為に、これら「進歩的文化人」達の強い影響力の下にあった日本も、そして私自身も、深みにはまって自ら悲惨な体験をするのを免れた訳だが、それでは、彼等「進歩的文化人」は、過去の言説を一つ一つ訂正して、自らの不明を詫びたかと言えば、そんな話は一つも聞いた事がない。それどころか、彼等の流れを汲む人たちの一部は、今は「プロレタリアート独裁」の看板を「平和憲法死守」「経済成長より環境保全」「原発全廃」等々に塗り替えて、また同じ「不誠実な」アプローチを試みているように思える。
少なくとも頭脳のレベルとしては人並み以上であった筈のこれらの人たちが、何故このように信じられないような「思考停止」に陥ったのかは、謎と言えば謎だが、私はその理由を次のように考えている。
先ず、この人たちは、それまでの長い間「文化人」としての安穏な生活に慣れ親しんでいて、貧しい農民や労働者との連帯感を欠いてきた事に「負い目」を感じていた事。次に、戦時中も軍部に公然と反抗して、米軍に解放されるまで長い獄中生活を送ってきた叩き上げの共産党員に比べ、彼等には戦時中は軍部に協力したという「負い目」があった事、そして最後に、「プロレタリアート独裁」路線の先頭に立つような言論活動をしていないと、社会主義・共産主義政権誕生(彼等は早晩そうなるだろうと予測していた)の暁には、「反動分子」として「吊るし上げ」に会い、場合によれば「人民裁判」にかけられるのではないかという「恐怖心」があった事、等々がその理由であったに違いない。
さて、現代を生きる我々には、今こそ「誠実な人」がどうしても必要だ。
しかし、実を言えば、「誠実な人」が社会に大きな影響を与えるのは大変難しい。嘘であっても不公正であっても、何でもいいから、白か黒かをはっきりさせ、違う考えを持った人を「悪者」に仕立て上げて、こういった「悪者」を激しく糾弾すれば、かなり多くの人たちがついてくる。これに対し、誠実に真理を追求し、「これについてはどちらとも言えない」等と言っていたら、複雑な問題を色々な角度から考えるのが苦手な大方の人たちは、面倒くさがって誰もついてこない。
だからこそ、漸進主義的な改革は古来成功した例が少なく、改革運動は常に過激な方向に引っ張られる。過激派は更なる過激派を生み、「悪者を徹底的に懲らしめる」事を心の底で求めている「大衆の熱狂」に火をつけていく。そうして、破壊と混乱が一段落し、こういう事が実は殆どプラスにならず、逆に大きなマイナスをもたらしたのだという事に大衆がやっと気がつく頃には、既に取り返しのつかない程の損害が積み上げられてしまっているという訳だ。
今こそ、我々は多くの歴史的な教訓から学んで、最終的にどんな人が「良い人」で、どんな人が「悪い人」なのかを、慎重に見極めていかねばならない。その為には、「見てくれ」が良かろうと悪かろうと、先ずは「誠実な人」である事を、我々自身の判断の「リトマス試験紙」にするべきだ。そして、そういう人たちを勇気づけ、助けていくべきだ。それは、面倒臭く、あまり楽しい事ではないかもしれないが、我々の将来の為に、どうしても必要な事だと思う。 
 
●誠実な人
 
あなたの周りに誠実な人はいますか?誠実な人は周りからの信頼が厚く、人気もあります。誠実さをアピールする事で、少々の問題であれば解決できてしまう位誠実さは力を持っているのです。
では、自分がいざ誠実な人になろうとした所でどんな人が誠実な人なのかわかりますか?誠実な人と言われて、大まかな印象は思い浮かぶけれど、具体的にどんな事が誠実さを表す事が出来るのかが分からない人が多いのです。
誠実な人の特徴を読んで、誠実な人はどんな特徴があるのか見てみましょう。 
 
誠実な人の特徴
嘘をつかない
誠実な人の特徴は嘘をつかない事です。嘘つきは誠実な人とは言えません。
他人に対してもまた自分に対しても嘘をつかない正直な人は誠実な人と言えるでしょう。とは言え、何でもかんでも正直に生きていては周りからの反発は避けられません。
ですから、悪意のある嘘をつかない様にするだけで、誠実な人だと見られるでしょう。他人に不利益がある様な嘘をつかないたったこれだけです。
善意の嘘と悪意の嘘をしっかりと使い分けが出来る事が誠実さをアピールできる手段なのです。
公平さを大切にする
誠実な人の特徴は公平である事です。ひいきをせず、誰に対しても公平に接しましょう。
ひいきをするとひいきをした人からは、支持を得られますが、ひいきされない人からは反感を買ってしまいます。誠実な人は誰からも、認められる存在でなくてはいけませんから、ひいきをせず公平に接する様に心がけましょう。
例えば、部下や後輩には当りが強く自分勝手我が儘をするが、自分よりも立場が上の人には人間が入れ替わったかのようにゴマすりをする様な人間ではあってはならないのです。
上にも下にも常に一定のマナーを守った付き合いが出来る事が公平に接する出来る人と見られ同時に誠実な人だと周りから見られるのです。
仕事に対して真面目に取り組む
誠実な人の特徴は仕事に対して真面目に取り組む事です。仕事中サボっていたり、ボーっとする時間が長く作業がはかどっていない人等は誠実な人とは見られません。
どんな仕事でも、与えられた事に対して全力で取り組み結果を出す事が出来る。
一見当たり前ですが、この当たり前のことをやっていれば、誠実な人だと見られます。
自らの勤務態度や仕事への取り組み方を今一度見直してみましょう。
他人の心情を察した行動が出来る
誠実な人の特徴は、他人の心情を察した行動が出来ます。誠実な人は自分ばかりの事を考えるのではなく、他人の気持ちも考えて行動する事が出来るのです。
常に自分の事だけ考え行動する自分勝手な人は誠実とは言えません。
逆に、他人の顔色ばかり伺い自分の意見を言わない人も誠実とは言えないでしょう。
しっかりと自分の考えと相手の考えをミックスさせ双方納得できる様な解決策を見出す事が出来る人が誠実な人なのです。
どちらかに偏っているのではなくバランスのとれた考え方が出来るか、出来ないかがとても重要なのです。
物を大切にする
誠実な人の特徴は物を大切にします。誠実だなと、感じる人の身の回りの物を見てみましょう。時計、財布、携帯何でもいいです。
丁寧に扱っていればその人は本当に誠実なのでしょう。物の扱いが荒い人は、自分の物であれば荒っぽく使ってもいいと考えている人ですから、決して誠実とは言えません。
本当に誠実な人は、自分の身の回りの物でも大切に扱います。
物を大切にする人は、他人に対しても優しく接する事が出来ますから、誠実な人と言えるでしょう。その人が誠実かどうかを見極めるのに物の扱い方を見るのはとても有効です。 
 
誠実な人の見分け方
冗談を言っても下品ではないか
誠実な人かどうかを、見分ける方法として、たわいのない冗談の中にも垣間見えることがあります。
誠実な人でも、もちろん冗談は言います。
しかし、その中に、下品すぎる言葉や言い回しが無いかどうかで、誠実さがある人かない人か感じ取ることはありませんか。
世間のニュースで、いい年を過ぎて、くだらないことをして、犯人とされる人を見たことがあるでしょう。
本人に悪気が無いと言っても、誠実な人ではしないような悪ふざけの過ぎたことをすると、社会の中では、業務妨害等で、犯罪とされることもあるのです。
とても純粋なところがあっても、子供っぽいところとして、良い部分が残るだけではなく、浅はかな考えに偏りがちな人もいます。
そういった人は、誠実さはやはり感じられません。
誠実な人は、冗談にも、ほどがあり、人を傷つけることもネタにしませんし、下品なネタも使いません。
誠実な人の冗談は、ウェットにとんだ会話と言う表現が似合うとも言えそうです。
基本的生活のなかで時間を守れるか
誠実な人は、日々の規則的な生活をとても大事にします。
ひとまず、時間のことに関しては自分にとても厳しいです。
日本人の忙しすぎる習慣もどうかと思いますが、そういった習慣は、日本人のまじめで誠実な気質からきているものとも言えるでしょう。
周囲の人でも、時間のことを守る人は、誠実な人に多いと思いませんか。
国によっては、待ち合わせ時間や、公的な開始時間まで、例えば7時としていても、現実的には、「7時くらい」と言うことが成り立ってしまうということです。
そのくらい、時間に関してルーズな国もあるのに対し、時間に潔癖なところを持つ日本人は、誠実さが感じられます。
日本人でももちろん、時間にルーズな人はいて、相手もどうせ遅れるから…などと口にするような人は、他のこともルーズで、人に対しても、誠実な印象を与えないですよね。
自分サイドの不備があった時に謝れるか
誠実な人は、自分が責任を持って行動をしなければいけない時が、どういうときかわかっています。
仕事においても、自分が直接関係のないことでも、ひとつのグループのものとして、仕事として給料をもらっている以上、と言う考え方で、責任を持とうとします。
自分の社内の一人の不備で、取引先や、顧客等に迷惑をかけたりしたら、まず謝ります。
反対に、誠実でない人は、社内の人のことでクレームがきても、「ちょっとわからない」等と言う言葉で済まし、自分が謝らなればいけないという発想は持てないでしょう。
それどころか、自分は謝らないと、意地になるようなことの方が多いのではないでしょうか。
使命感とか、責任感のようなものから、どこか離れたところに居たいという、甘えもあるのでしょう。
そういった甘えが、社会の中で通用するかしないかと言う判断というのも、誠実な人なら出来るでしょう。
法律に無い規則を守れるかどうか
誠実な人は、法律になっていないような、ちょっとした規則をきちんと守ろうとします。
例えば、身近なところでは、町内のゴミ出しのことです。
ゴミの種類によって分けられた、曜日指定を守ることはもちろん、出す時間、小さなルールを守ることはもちろんです。
それだけでなく、自分から、ゴミの置き方にまで、配慮するでしょう。
他の人がゴミを置きやすいよう、ゴミ捨て場の入り口ではなく、奥に置き、ゴミが整列しやすいよう、考えることができます。
そういったことができない人は、逆に誠実な人とは言えないでしょう。
自宅近くに川があれば、ポイ捨てする人は、誠実さを感じられません。
急いでいるからと、人にぶつかっても謝らない人も、誠実な人とは思われません。
法律と言うほど大げさなものではなくとも、守った方がいいということはきちんと規則を守ったり、常識的な行動をとることができるのは、誠実な人ということです。
逆に、それができない人は、そういったことが重なれば重なるほど、誠実な人とは言えないでしょう。
誠実な人になるには時間が掛ります
いかがでしたか?これから、誠意実な人になろうと考えた時に参考になるでしょうか?
誠実さと言うのは、すぐに表れるものではありません。
周りから認知されなければいけませんから時間が掛ります。
更に、誠実さは自分から「誠実に見えるでしょ?」と言ってアピールする事では無く周りから徐々に浸透していく事ですから、誠実な行動を心がけても効果が分かりにくいのです。
しかし、諦めずに続けていれば、周りから「君は誠実な人だね」と言って貰える様になるでしょう。
誠実さを手に入れたあなたは、周りから信頼を勝ち取ったのと同じなのです。
誠実さを武器に出来れば、どんな場面でも乗り越える事が出来るので、是非誠実さを手に入れましょう。 
 
●「不真面目な人はズルい」
「愛想が良い人ばっかりが評価されてズルい」「顔やノリがいいだけでモテてるなんて、人は中身を見ないんだ」…そんな風に悩んでいませんか?
何事にもマジメに一生懸命に取り組むのは、もちろん素晴らしいことです。 でも「周囲が不真面目にしか見えない」「真面目でいるほど損をしているように感じる」としたら、それはもしかしたら「マジメ」をこじらせてしまっている可能性も大。
特に日本では「マジメさ(一生懸命さ)」が美徳とされるため、「真面目であること」にこだわりすぎ、物の見方や考え方が一定方向に固まってしまっている人も多いのです。 ここでは「真面目な人」が人生をポジティブに捉えるための3つのヒントについてご紹介していきます。
「結果」を見るようにしてみよう
自分の「マジメさ・一生懸命さ」を強い美点であると考える人は、「結果よりも経過」を重視する傾向が見られます。 例えば「勝負で負けても、ガンバったのだから良い」というものですね。
特に日本では、学校教育の場や親の子育て等において「真面目さ(一生懸命な態度)」が評価をされる傾向にあります。 非常に乱暴にまとめてしまえば、「親や先生の言うことを聞く子供」は「良い子」とされるというわけです。
「真面目な態度」で評価を受けた子供は「より評価を受けよう」として「マジメさ・一生懸命さ(過程)」ばかりを追求していくことになります。
ところが、教育が高等になったり実社会に出るにつれ、周囲からの評価は「経過よりも結果」となっていきます。 例え勉強時間を短く効率的に終わらせていてもテストの点が良い方が高評価を得ますし、勤務態度が悪くても沢山の契約を取ってこれるのであれば「優秀」という評価を受けるのです。
この評価基準の移り変わりについては「真面目で良い子」をやってきたほど、なかなか受け入れることができません。 まずは「経過よりも結果」を見るクセを付けてみましょう。
「努力」の範囲を広げてみよう
自分は真面目である・一生懸命であると考える人ほど、「努力」に対して非常に限定したイメージを抱きがちです。 例えば学校という場であれば「勉強をすること」が努力の対象であり、職場であれば「仕事に打ち込むこと」ということになります。
また「真面目な態度を取ること」を重視してしまうため、実際には勉強や仕事がそれほど好きではなく、努力に対して「我慢をすることである」と受け止める傾向も。 このような物の受け止め方(認知)が狭くなっている状態を心理学では「認知バイアス」と呼んています。
ところが、実際には人間は様々な場で「努力」をしているもの。 友人関係を円滑にするために会話を弾ませるのも「努力」ですし、異性に魅力的に思われるために服装を整えるのにも知識や技術が必要ですから「努力」をしているわけですね。
この他「好きな趣味」や「興味が向いた勉強」に打ち込んでいる人も居ることでしょう。
ただ、上記のような「努力」については各自が好きでやっていたり、無意識に努力をしていることも多いため「努力をしている」ということに対して自覚をしていない人も多いのです。
「自分以外の人は努力していない、頑張っていない」と思い込んでいませんか? 「様々な努力の形がある」と考えて周囲を見てみると、感じ方が変わってきますよ。
「欲しいもの」をもう一度考えてみよう
なぜ「不真面目な人がズルい(嫌い)」と感じるのか--それは「本当はそれが欲しい!」と思っているものを、相手が持っているからです。 人間は自分が欲しいと思っている「何か」を持つ相手に対し、無意識のうちに強い嫉妬を感じるもの。
多くの場合、これは他者からの評価(他者承認欲求)となります。 例えば会社からの評価、異性からの評価、友人からの評価と言ったものですね。
まずは「自分が本当は『それ』が欲しいのだ」という点に気づくことが大切です。 そして「評価を受ける人と自分の違い」について、もう一度考えてみましょう。
マジメさ・一生懸命さを重視する人は「マジメさ(誠実さ)」という一点のみが美徳であり、その点だけで自分は評価されるべきだと考えがちです。 ところが、人間の評価とはもっと総合的なもの。
例えば心理学でも、にこやかに話せる人、相手の話を上手に聴ける人、相手を安心させられる人等はそれだけで「好印象」を与えられることがわかっています。
「自分は真面目にやっているから、愛想は良くなくていい」 「一生懸命やることが大事なのだから、相手とのコミュニケーションはどうでもいい」 「中身が大事なんだから、外見はどうでもいい」 こんな風に思い込んでいませんか?
コミュニケーションや外見などを過剰に軽視するのは、例えば「外見だけを過剰に重視する」というのと同じくらいアンバランスな考え方です。 「もしかして、マジメさにしがみついていたかも…」と気づくことで、本来欲しかったものへの取り組み方も変わってくることでしょう。

「真面目」という性質にはもちろん良い点も多いのですが、その反面「柔軟性に欠ける(ガンコである)」というデメリットも持っています。 「自分の価値観や考え方だけが正しく、周囲が間違っている」という考えにしがみついてしまい、自分で自分を「生きづらい方向」へと導いてしまうことも多いのです。
「考え方をなかなか変えられない」「自分ばかりが辛いと感じてしまう」…そんな時には専門家の手を借りてみるのも良いでしょう。 カウンセラーと向き合うことで、今までの自分の考え方の「コリ」をほぐせていく人は大勢います。 
 
●真面目な人は不真面目な人に違和感を感じる
真面目な人は不真面目な人に違和感を感じる。言い換えると、真面目さを大切にしている人は不真面目な人を見ると不愉快に感じる。優しさを大切にする人は優しくない人に気持ち悪さを感じる。頑張っている人は頑張っていない人に苛立ちを感じる。ルールを守る人はルールを守らない人に強烈な反感を覚える。
逆に、不真面目な人は、真面目に生きてどうなるんだと言い。優しくない人は、優しさなんて上辺だけだと言い。頑張っていない人は、頑張ったところで報われないと言う。ルールを破る人は、ルールなんて破るもんさって言う。
ここに、僕は物理の力学で言う「作用反作用の法則」のようなものが人間の思考にも働いているんじゃないかって感じるんだ。
「作用反作用の法則」とは、物体に力を作用させた時に、その反対向きにも力がかかる法則である。人の思考に関しても、作用反作用の法則のごとく、反対の概念に対して反感を感じるようにできているんじゃないかと思う。ここで、気をつけたいのが、頑張っているとか、協力しているとか、優しくしているとか、自分が前向きに捉えている価値観が自分を縛ってしまうことである。
人は前向きに生きようとすると、様々なルールを自分に課す。
努力しよう。真面目に生きよう。約束を守ろう。優しくしよう。これらは、良い性格、良い意識として、尊重されるものであるが、これが自分を縛りつける可能性のあることになかなか気づくことは難しい。しかも、この真面目とか優しいという定義も自分の中で、これが優しさだとか、真面目さだと決めている。多くの人は、自分の行動や思考に対して気づかぬうちに正当化を行ってしまうため、自分は優しくないとか真面目じゃないとかあまり思わない。多少感じても、人間こんなもんだと自分に都合良く解釈する。その中で、あぁ、真面目さとか優しさって大切なんだなぁって思った人が、周りから見ていても突出して真面目になったり、優しくなったりする。明らかにこの人真面目だなーとか、優しいなーという人は、かなりの確率で不真面目な人や優しさが欠ける人を拒絶する。ここで、自分でも意識することなく真面目になれている人や、意識することなく人に優しくなれている人は例外で、そのような人は自分と反対の性格を見ても何も感じない。人の思考の傾向からすると、強烈に負の方向に自信を持つ例は少ない。不真面目に生きることに自信を持つことは難しい。優しくない人は人に冷たくすることに自信を持つことは難しい。人は周囲に嫌われたくないという意識もある。しかし、強烈に正を意識するパターンは多い。俺は頑張っている。俺は真面目だ。俺は優しい。強烈に、頑張ることが大切だとか、優しいことが大切だとか、信念できる。人は、自分の大切にすることをしばしば人にも強要してしまう。
生き過ぎた正義感、正の性格は、自分も苦しくなるし、周りも苦しむこととなる。
太陽も強すぎると、暑い。ほどほどが良い。一番良いと感じるのは、やはり、真面目に生きようとか、いちいち宣言したり強く思っていなくても、結果真面目な生き方をしていたり、優しくしようと意識していなくても、自然と優しく接することができる状態である。自然体ですね。
ただあるがまま。 
 
●真面目か不真面目か
法を逸脱する行為をして道を誤ったあげく、「更生したい」と俺のところに来る若いひとがいる。
資質も性格も経歴もさまざまだから、そのひとがそこから本当にやり直せるか、新しい道を切り開けるかは、ある程度、年数が経たないと見えてこない。
だけど俺には、「こいつは大丈夫や!」と判断する基準が一つある。それは、その人間が、「真面目か不真面目か」ということだ。
根が真面目な人間は、本質のところを教えただけでも、自分から、真っ当な道を選んで歩くようになる。反対に、根っから不真面目な人間は、周囲がいくら頑張って、多少は良い方向に持っていけても、きっかけ一つで簡単に、また堕ちてしまう。
とはいえ、俺の思う「真面目・不真面目」は、一般的に言うそれとは、少し違うかもしれない。
俺が思うに、「真面目な人間」というのは、=「結果を出すために邁進できる人間」これに尽きるのではないだろうか。
俺が携わってきた若いひとで、「こいつは真面目やなあ!」と思える奴は、例外なく、その部分が備わっていた。
たとえば俺やスタッフが、「こうせな、あかんよ」と一つ言うと、そこに向かって、一心不乱に努力するのだ。
その調子だから、仕事をさせれば、きついことがあろうが、辛いことがあろうが、ブルドーザーのように突き進んで、結果を出してくる。
反対に、「不真面目」な奴というのは、仕事にしても何にしても、うまくいっているときはすごく調子がいいのだけど、ちょっとでも辛いことや自分に不利なことがあると、言い訳をしたり、泣き言を言ったりして、簡単に投げ出す。結果を出す、何かを成し遂げる、ということに対する真剣さがないのだ。
じゃあ、「真面目」な奴と、「不真面目」な奴、いったいどこで違いが生まれるのだろうか。
面白いことに、「真面目」な奴ほど、子供の頃は放任主義で育てられ、違法行為にしても、めちゃくちゃなことをやりまくり、一歩間違えば、命を落とすようなことまで、してきている。
言ってみれば、こころの中に壁がないんだな。
だから俺が教えてやるのは、親が教えてこなかった遵法精神や、倫理・道徳観だけでいい。あとは、そこさえ踏みはずさないように、伸び伸びと突き進めばいいし、まともな結果も生まれるようになる。
反対に「不真面目」な奴は、意外と親から「見栄」や「世間体」で縛られて育ってきて、悪事にしても、それほど派手なことはせず、知能犯的な悪さが多い。
表面だけ見たときには、受け答えもそつなくこなすし、勉強もできて、いい学校出身、という経歴もある。
俺が話すことに対しても、さも分かったような振る舞いをするけど、いざとなったら、ちょこちょこと手を抜くような仕事しかしない。だけど、言い訳やごまかしだけは超うまいから、周りはいよいよになるまで、そいつの人間性に気づかない。
これは、一般のひとでも同じだと思う。
俺が、「このひとは真面目やなあ」=「結果を出すひとやなあ」と思うひとは、たいてい若い頃にむちゃくちゃなことをやってきている。その分、しゃべり方や振る舞いも一筋縄ではいかなくて、パッと見た感じは、とても「不真面目」に見える。
一方で、立ち居振る舞いもそつなくて、言葉遣いも丁寧で、立派な経歴をお持ちで、パッと見は超「真面目」にみえるひとほど、一緒に仕事をしてみたら、まったくもって適当で、「なんだ、ぜんぜん真面目じゃねーじゃん」と思うことは、とくに俺の世代(40代)では、本当によくあることだ。
つまり何が言いたいかと言うと、そろそろ真面目と不真面目の定義を、考えなおしたほうがいいんじゃないかな。
親であれば誰しも、わが子に対して、不真面目よりは真面目な人間に育ってほしいと思うだろう。
だけど、表面的な躾や教育だけして子供を縛ったところで、社会に出たときに「結果を出せる」人間になるとは限らない! ってことだ!!  
 
●謙虚な人の6つの特徴
 
1.聞き上手
謙虚な人は、相手が話しやすいように相槌を打ったり、興味のある話題を振るなど、会話の主役を相手に譲って、自分は聞き手に回ります。謙虚な人と会話をすると、話し手の意見や主張を否定することなく、肯定的に聞き入れてくれるため、快く会話を楽しむことができるのです。人の話を聞いてあげたいと思う気持ちが強く、話の内容にも真剣に付き合ってくれるため、相手から信頼されやすいといえます。
2.自分の能力を自慢しない
謙虚な人は、自身の強みや長所があっても、それを周囲にひけらかすようなことをやったりはしません。強みなどの能力は、本来発揮すべきときにフル活用するものであり、他人に自慢するための道具ではないことを理解しているからです。能ある鷹が爪を隠すのと同様、才能や力を軽々しく見せつけることはしません。
3.自己分析ができている
謙虚な人は、自分の能力や立場を正確に把握しています。また自分より能力が劣る人がいても、それはひとつの短所でしかなく、短所をカバーするだけの長所や強みを持っていることも理解しています。そのため、能力差を理由に傲慢な態度で接することなどもちろんありません。ひとつの物差しだけで相手を判断すると、能力の優劣が相手を評価する基準軸となってしまい、屈折した見方をしてしまいます。謙虚な人は自身の優れた能力にもおごることなく、周囲とコミュニケーションを図ることができるのです。
4.見返りを求めない
横柄な人は、困っている人を助けるときの動機付けとして、相手からその見返りを求めようとします。そのため、周囲の人はなるべく距離をとって関わらないようにしまいます。ですが謙虚な人は、一切の見返りを求めません。順番を相手に譲ったり、手助けしたとしても、相手に対する思いやりの気持ちが自然と行動に移るからであり、意識して謙虚に振舞っている訳ではありません。その積み重ねによって周囲の人から「謙虚な人」と評価されるのです。
5.自分の非を認める
会社や学校などチーム単位での行動が求められる場では、意見がまとまらずイザコザが起こったり、思い違いが原因となって相手の機嫌を損ねてしまうなどのトラブルが発生することも日常茶飯事。そんなとき、自分に非があるときは素直に認めて頭を下げることが、人間関係を円満に築く上で大切なこと。また謙虚な人は、相手の言動に非があったとしても、それを責めたり非難することはありません。人間であれば誰にでも長所があれば、短所もあることを理解しているからです。
6.感謝の気持ちを持っている
謙虚な人は、自分と関わる人への感謝の気持ちを持って接することができる人。仕事の成果が上がったときは「自分を支えてくれる職場の仲間のお陰」「仕事を教えてくれた上司の手厚いフォローがあったから、頑張れた」などと謙遜する姿勢を持っています。その気持ちをサポートしてくれた周りの人にも伝えるため、信頼関係をより強固なものへとすることができるのです。 
 
●謙虚な人に共通する9つの特徴
 
1.自分の話をあまりしない
謙虚な人は、自分が話をすることよりも、むしろ、相手の話を聞くことに重きを置いています。自分の話を人に聞いて欲しいと思う気持ちよりも、人の話を聞いてあげたいと思う気持ちのほうが強いのです。自然と人の話を注意深く聞くようになるので、意見やアドバイスも的確なものとなり、人から頼られることが増えます。
2.頭を下げることをいとわない
頭を下げるということは、社会人になると誰も彼もが行っているように思われますが、実はプライベートでもきちんとそれができる人は少なくありません。会社ではしきりに頭を下げている人でも、プライベートになると、家族や友人に対して急に態度が尊大になる人もいます。謙虚な人はそうではありません。
3.不運な出来事を他人のせいにしない
不運な出来事は、いつでも、どこでも、誰にでも起こりうるものです。そんなとき、謙虚な人は、その出来事を他の誰かのせいには決してしません。「おまえのせいでこうなった」というようなことを決して口には出さず、時には自分自身が泥を被り、事態の収拾、処理改善に努めるのです。
4.たいてい自分はいつでも後回し
謙虚な人は、たいていいつでも、自分のことは後回しです。オレがオレがと自己主張をして、自分が一番いい思いをしようということは考えていません。むしろ、自分は後でもいいから、自分の大切な人たちに、いい思いをしてもらいたいと考えているのです。ですから、「いつでもビリ」は謙虚な人あるあるです。
5.基本的に我慢強い
謙虚な人のほとんどが、あり得ないほど我慢強いことが多いようです。理不尽なことがあってもキレない、多少貶められることがあってもスルー……。謙虚の度合いが強いほど、ちょっとやそっとのことでは腹も立たず、我慢をしなくてもスルーできるようになってきます。
6.実はプライドが高い
謙虚な人は、怒ることが少ないので、プライドが低いと思われがちです。しかしそうではありません。謙虚な人は、図々しく振る舞うべきではないという気持ちを強く持っており、図々しくないことに対して高いプライドを持っています。
7.見返りを求めない
謙虚な人が謙虚に振る舞っているからといって、何らかの見返りを求めているわけではありません。むしろ、一切の見返りを求めないからこそ、周囲から「あの人って謙虚だよね」という評価を得られるわけで、常に見返りを求めている人は誰からも謙虚だと思われていません。
8.時に謙虚すぎて頑固者である
謙虚な人は遠慮がちです。「いえいえ」とか、「まさか私なんて」という、他人から一歩引いた状態を常に続けています。時折、誰かが謙虚な人に気を遣って優先させてあげようとしても、「いえいえ、私は後でいいですよ」と頑固なまでに遠慮をしてしまいます。だからこそ、あの人は謙虚だと言われるに至るわけで、ちょっとくらい「お先にどうぞ」と言われて、「ハイ、ありがとう」と言うような人では、謙虚だという評価は得られません。ただ、謙虚な人に本当に何か譲ってあげたいなら、2・3度「是非」と勧めると、(喜んでもらえるかな)と思い直し、素直に譲られるのです。
9.ちょっとだけ人生損してる自覚がある
謙虚な人の人生は、人望が得られる反面、常に人の下に流れる損な立場でもあります。謙虚な人は、実はちょっとだけ、自分でも「損してるよなぁ……」と思うことがあります。それでも、明日も謙虚に振る舞って、「まぁ、いいか……」と損をし続けるのが謙虚な人なのです。

いかがでしたか?謙虚な人の9つの特徴をご紹介致しました。謙虚な人が基本的に考えていることは、「相手の幸せ」です。総じて、謙虚な人には、「いい人」が多いと言えるでしょう。 
 
●謙虚な人
 
地位が高くても傲慢にならない
謙虚な人は、たとえ良い学校を卒業しても、良い職に就いても、それを表に出さずに周囲と協力できる人でしょう。富や名声を得たからといって、自分の行動や性格が変わってしまう人は、謙虚な人とは言えませんよね。このような傲慢な人は、周囲からも孤立し、良い友好関係が築けないケースが目立ちます。謙虚な人が良い友好関係を築けるのは、周囲の人に思いやりをもって接し、相手と同じ目線で接することができるため。自分がされたら嫌だと思うようなことを、他人には絶対にしません。「自分」というものを持ち、地位や名声に左右されない強い人こそが、 謙虚な人と言えるでしょう。
素直に受け入れる姿勢
謙虚な人は、良いことだけにかかわらず、悪いことも素直に受け入れられる姿勢があります。たとえば、先述のように自分の傲慢さが故に良い友好関係が築けない時でも、その人が謙虚ならば、相手を責めるよりもまず自分の誤りを探し、認めようとします。また、誰かから説教を受けたとしても、非難や侮辱があったとしても、揺るぐことのない落ち着いた心を持っています。常に冷静さを保ち、物事を見ることができるので、突然カッとなったりすることはありません。謙虚な人は、むしろ相手に感謝し、自分にとってプラスになるように物事を見ることができます。
常に努力を惜しまない
謙虚な人は、たとえ高い学歴があっても、良い職に就いていても、さらに努力し自分を高めようとする姿勢があります。「もう自分はすごいから」という高いプライドを持つのではなく、「自分には他になにができるか」ということを考えます。謙虚な人は、人の見ていないところでさまざまな努力を重ね続けています。そしてその努力を他人に見せびらかすことなど絶対にしません。謙虚な人は、自分の地位や名声に満足してしまうのではなく、常に前へ前進し、自分を高めようとする努力家なのです。たとえば、大企業の社長さんが、社員に好かれ、さらに大きい企業へと成長できるのは、社長さんが社員のことを想い、社員と良い関係を保っているからでしょう。社長さん自身が会社の成長のために常日頃努力を惜しんでいないからこそ、エネルギッシュな経営につながっているというわけです。
人の悪口を人前では絶対に言わない
誰しもが心の中では色々と思うところがあるでしょう。例えば、「本当はこの人苦手だな・・・」、「どうしても性格が合わないから疲れるな・・・」などです。しかし、そのような気持ちを自分の心の心に秘めることができる人は謙虚な人が多い傾向があります。
周りに対して気配り目配りができる
謙虚な人は、相手の話を真剣に聞き、共感したりできる人が多いものです。たとえその相手が誰かの悪口などを言っていたとしても、まずはその相手の気持ちを汲み、「そうだよね・・・」、「大変だったね、よく話してくれたね・・・」と、共感します。だからと言って、一緒になって悪口を言ったりすることはありません。話が盛り上がってつい言ってしまったとしても、「でも、自分が未熟だから・・・」と、自分のほうが劣っていることをアピールし、悪口の対象となっている人やモノなどを否定することはないでしょう。その態度を見て、「もっと本音で話せよ!」と、やきもきしてしまう人もいるのも事実でしょう。
低姿勢
話し合いの場などで、自分からでしゃばって意見を言ったりする人はあまりいないようです。気が小さいからとかではなく、本当は言うべき意見、考えを強く持っています。謙虚な人ほど実は意志はとても強く、いざという時の決断力などは優れていたりするものです。しかし協調性を大切にし、周りの意見を尊重できるの人なので、「でも」、「だって」などは言わずにそのまま相手の意見に乗りがちです。誰にでも平等に接することができて、常に相手より一歩下がった姿勢や態度です。イメージとしては控えめな性格というものでしょう。
相手のいう事を真っ向から否定しない
特に仕事でよく起こる問題で、以前の教育係と、今の教育係の指導方法や話している内容が違うということがあります。と聞く。教育を受ける方はもちろん困りますよね。「○○さんはこういうやり方って言ってたんですけど、そのやり方でいいですか」と現在の教育係に伝えたところ、すっかり嫌われてしまったというエピソードもあります。「私の言う事は聞けないのにあの人の言う事は聞けるんだね」と言われ続けてしまい心身ともに疲労したようです。この教育係の性格の問題もありますが、生徒の伝え方を「そういうやり方もありますね。ちなみにこういうやり方はどうですか」とすればまた違ったリアクションがきたはずです。謙虚な人というのは、否定したくなるようなことでも、相手の意見を一度受けとめて、言葉を選んで伝えることができます。
頑張ってる感をアピールしていない
「能ある鷹は爪を隠す」という言葉がありますが、謙虚な人は密かに努力を積んでいる人が多いものです。しかし、それを誰かにアピールせずに、ひたすら己を鍛練している所が非常に格好良く見えます。逆に常に誰かに認めてもらいたい、目立つ存在でいたいと思っている人は、それがかえって逆効果になってしまう場合があります。でしゃばりすぎると人は嫌悪感を抱いてしまいます。モテたい気持ちはわかりますが、それを前面に押し出してしまうと、かえってモテない人になってしまいます。それに比べ、謙虚な人はモテる人が多く、憧れの対象になりやすいものです。謙虚な行動がモテる要素になると言えるでしょう。見習うべきところがたくさんあります。素敵な自分になるためにも謙虚な人の行動を参考に、少しずつ良い方向へ変えていきたいものです。
自己主張をしすぎない
謙虚な人は自己主張をすることはほとんどありません。それでも確固たる自分というものを持っているので、自然とその人となりが滲み出てしまいます。何も言わなくてもオーラが出ている人は非常に存在感があります。そういう人には自然と人が集まり、慕う人が多くなります。謙虚な人は誰かに自分の主張を認めてもらおうとは強く思っていません。自分の内面と常に向き合い、自分に正直になり、常に自己鍛練を積んでいくことで一目置かれる人になっていくのだと思います。自分を判断できるのは他人かもしれません。しかし、それは誰かに強要するものではありません。自己主張の強い人は相手に嫌われることも多く、結局損をしてしまいがちです。謙虚な人を見習い、内面から滲み出る自然な主張ができるように自己鍛練を積み重ねていきたいものです。
周りに感謝をすることができる
謙虚な人は周りの存在を大切にしています。それは自分が今ここにいるのは、周りに人の協力があってこそというのが十分にわかっているからです。自分の成功は自分が努力してきた結果だと思っている人もいるかもしれません。自分が一番で周りの人に感謝の念が少ない人は、真の成功者とは言えないでしょう。何らかの利益を目的に近づいてきている人が多く、地位や財産が無くなってしまえば、周りの人は去っていってしまいます。裸の王様にならないように十分に気をつけたいものです。そのためにも、常日頃から周りの全てに感謝をする心を持つことが必要です。それは人間だけではなく、他の生き物や自然などに対しても感謝の心で接するようにしたいものです。それができるようになれば、大きな心で世の中を見ることができるようになり、ますます周りとの関係も上手くいくようになるでしょう。
過去に大きな挫折や失敗の経験がある
人は大きな挫折や失敗の経験をすると、人生に対して謙虚に接することができるようになります。辛い経験は苦しくて耐えがたいものですが、それを乗り越えることで、人間的にも大きく成長することができます。一発屋ではない、長年成功して活躍している人の多くは、過去に大きな挫折や失敗の経験がある人も少なくありません。過去の辛い経験があるからこそ、人生に対して謙虚になれ、そこから成功していくことができるのだと思います。傲慢や怠慢は没落してしまう大きな原因です。しかし、まったく失敗や挫折の経験がなくても、謙虚でいることは難しいことかもしれません。謙虚でいることが大切だということがあらかじめ分かっていれば、人生で大きな失敗をふせぐことができるかもしれません。
そのためにも子供の頃から謙虚でいる大切さを学んでいくことが大切です。 
 
●謙虚な人になりたい人
接客業での仕事をしてみる
謙虚な人になりたいと思ったら、人と関わる仕事をしてみる事がおすすめです。どんな場面でも、自分が悪くなくても謝ったりすることが必ず現れます。重要なのは、色んな人がいるという事を学ぶ事です。人に傷つけられたり嫌な思いを繰り返すことによって学ぶのです。自分はこんな人にならないようにしよう、こんな傷つけるような言動をしないようにしよう。そう思える事で人として成長できるのです。人と関わらずに生きていくと自分本位で他人の意見に耳を貸さなくなったり独りよがりに生きがちです。そうなると謙虚さのかけらもなく、叱咤激励してくれる人もいないのでどんどん偏屈になるのです。人を育てるのは人との経験です。人間ができた人間になるためには、接客業で揉まれることが最適なのです。たくさんの人と接することで自分が大きく成長できるのです。
社会性を身につける、チームワークを大切にする
社会性を身につける、とは、やはり人とのコミュニケーションが必須です。チームワークで仕事をしたり、相手のミスをカバーし合ったり、自分が失敗した時に手を差し伸べてもらえたり、そういう経験で人を信頼するようになります。人を信頼すれば、自分もそうなりたいとおもうものです。謙虚な人は、自分を顧みず人を敬う事ができるのです。そういった人との温かいコミュニケーション経験がないとなかなか人を信頼して助け合おうとは思いません。特に仕事の上でのコミュニケーションは一体感があり、中には尊敬できる人も現れるはず。そして自分もそうなりたいと願うのです。チームワークで達成した喜びを味わう事で、苦しさを共に乗り越えたという喜びもあるのです。こうした人とのコミュニケーションによる成功体験で人間ができるです。謙虚な気持ちを忘れずに何事も取り組み、成功することでより謙虚な人となれるのです。
人がどう思うかを常に優先して考え、行動する
謙虚な人は、常に自分の事は謙遜して相手を敬う事をします。そうなるために人の事を傷つけたくないという気持ちを大きく持ちます。こう言われたら相手はどう思うだろう、こんな行動をしたら相手はどう思うだろう、常に意識する事が大切です。何気ない話の中で自慢を織り交ぜる人がよくいます。それは、相手への優越感と虚栄心、はたまた見下してるとも言えます。それは少なからず相手に伝わることでしょう。そうした人を不快にさせるような事は絶対避けなければならないと肝に銘じましょう。謙虚な人は、そういった嫌な話にも嫌な顔一つせずうんうんと聞けるのです。心を常に穏やかに設定し、相手を卑下するような事はしません。相手に不快を感じても、話したいんだなと理解して話を聞く事ができるのです。人間関係での苦労の賜物と言える事は間違いないでしょう。
思いやりを持って感謝の気持ちを持って生きる
謙虚な人は生きている事に生かされている事に感謝し、全ての事を寛容に受け入れる事ができるのです。なので、物事をいい方に考える思考を持つ必要があります。悪い事があっても、幸せへの試練だと思い、嵐が過ぎ去るのを待つのです。明るくしていればきっといい事がある、と信じて謙虚に生きるのです。悩みや、絶望感に打ち拉がれても、今だけだからと耐えるのです。命があるだけ幸せ、そう思って全ての事に感謝します。プラス思考に考えるだけで、人生がグッと楽になります。考えてもなるようにしかならないなどの割り切りも必要と言えます。謙虚な人になるためには、そういった割り切りや、全てを包む温かい気持ちを持つ事が重要です。恨まず憎まず、謙虚な気持ちで日々過ごしていくように思考を凝らしてみて下さい。心が寛容になり、人にも自分にも優しくなれるのです。  
 
●謙虚な人の5つの特徴・謙虚になる方法
 
謙虚な人の5つの特徴
1 自分の話をあまりしない
自分の話を積極的に話すよりも相手の話を聞く事を大事にします。自分自身の話よりも相手が満足するまで話を聞いてあげたいという気持ちが強いのです。悩みを聞いてあげてその悩みを解決するためにアドバイスを一生懸命する事の方が多いです。このように謙虚な人は悩み相談の聞き役に向いています。職場に1人はいてほしい頼もしい人ですね。
2 悪いと思ったら頭を下げる
どんな小さな事でも相手に手間をかけたり、悪い事をしてしまったと思った場合、すぐに頭を下げて謝ります。どんな小さな事でもミスをしたり手間を掛けたら、悪いと思い頭を下げるのは当たり前の様ですが、実はこれが一番難しい事です。年齢が自分より下の同僚や後輩にもこのような低姿勢な態度で居れるというのが謙虚な人の特徴で す。
3 不運を人のせいにしない
どんなに不幸で不運な事が起きてもそれを人のせいにしません。不幸で不運な出来事はどんな人にも起こります。誰かのせいで起きるわけじゃない事を理解しているのです。
4 自分の事を後回し
どんなに早く仕事が終われる事があっても自分だけ先に帰るという事を謙虚な人はしません。謙虚な人は自分の事は後回しにして周りの人を助ける事を優先します。そのため付き合い残業をしてしまう事もよくあります。
5 我慢強い
どんなにつらい事があっても我慢します。例えば理不尽な上司がいて、理不尽な事を言われても謙虚な人は我慢し耐えます。普通の人は理不尽な事をされたら我慢せずキレてしまいそうですが、謙虚な人はひたすら耐え続けるのです。 
謙虚になるための9つのポイント
1 どんな人も良い面や優れた面がある事を認める
謙虚になるためのポイント1つ目は「どんな人も良い面や優れた面がある事を認める」です。人にはそれぞれが良い面や優れた面が何かしらある物です。普通の人は自分が好感を持った人の良い面や優れた面は認めますが、自分が好きになれない人の良い面や優れた面を認めたり、見ようとしません。
なぜなら人は好き嫌いで人を判断する面があるからです。
○人を好き嫌いで見ない
謙虚な人は好き嫌いで人を見ていません。人を見る時は好き嫌いで見るのではなく「この人はこんな良い面がある」「この人はこんな優れた面がある」とその人の良い面と優れた面を評価してみるのです。そのため偏見や周りの評価で相手の事を避けたり敬遠したりはしないのです。どんな相手にも良い面優れた面がある事を認めているのです。
2 人の意見を受け入れるようにする
謙虚になるためのポイント2つ目は「人の意見を受け入れるようにする」です。謙虚な人はどんな相手の意見をも柔軟に受け入れる事ができます。例えば後輩からアドバイスや注意をされたとします。普通の人は後輩からのアドバイスや注意を素直に受け入れるのは後輩からのアドバイスを受け入れるのは恥だと感じたり、鬱陶しく感じますので拒絶してしまいます。
○謙虚な人は年下や後輩からも意見を受け入れる
謙虚な人は相手がどんなに年下で後輩であってもアドバイスや注意をされたらしっかりと話を聞きます。そしてしっかりと受け止め相手にアドバイスや注意をしてくれた相手にしっかりとお礼や謝罪をします。どんな相手の意見をも受け入れる事ができるってすごい事だと思いますね。
3 主観を意識して生きる
謙虚になるためのポイント3つ目は「主観を意識して生きる」です。主観とは物事の見方の事や感じ方の事を言います。例えるなら自分の信じる物や正義の様な物です。主観は誰もが持っている物でこれがあるから自分の思った意見や相手を肯定したり否定する気持ちが生まれます。主観は育った環境や関わった人によって変わってきます。そのため何が正しいか何が間違っているかはその人それぞれに違いや差が生まれてくるのです。
○主観は人から何かを学ぶことで更新される
主観は色んな人と関わりその言葉や意見を通して新しく更新されていきます。しかし簡単には主観は変わりません。なぜならプライドや自分の信じる物を人は簡単には変える事はできないからです。謙虚な人はこの主観の精度が高く、自分が間違った認識をしていたと感じたら、意見交換を行いその相手の意見をしっかりと受け止め、改めて自分自身の中で新しい主観を作り出します。ここが謙虚な人は違うのです。
4 立場を意識する
謙虚な人になるためのポイント4つ目は「立場を意識する」です。謙虚な人は何かを聞いたり襲わる時に立場をしっかり意識しています。
○謙虚な人は上下の立場を意識する
例えば人から何かを教わる場面では、あなたは相手から何かを教わる立場です。この場合上下の立場関係ができますよね。相手はあなたに何かを教えてくれる立場ですので上、あなたはその相手に教わる立場なので下といった具合に何か物を聞く時や教わる時このような上下の関係の立場をしっかり意識すべきなのです。謙虚な人はこの立場をしっかりと意識しています。
○謙虚さの無い人は立場が分かってない
謙虚さの無い人はこの上下の関係という物を理解していない場合があります。そのため何かを教わる時に相手から教わる立場でありながら、「それは違います!それはこうです!」などと意見をしてしまいます。謙虚な人になるにはこのような立場を意識できるようになる事も大事です。
5 人から良い所を吸収していく
謙虚な人になるためのポイント5つ目は「人から良いところを吸収していく」です。謙虚な人はまだまだ自分は人から教わる事がまだたくさんあると思っているので、色んな人から様々な事を吸収していきます。謙虚な人は人から良い物を吸収して自分の物にするのが上手なんですね。
6 常に控えめを心がける
謙虚な人になるためのポイント6つ目は「常に控えめを心がける」です。謙虚な人は一番を目指す事はありません。一番になる事は謙虚ではなくなってしまいますし、目立つよりも常に控えめで居たいのです。そのため謙虚な人になるためには誰かを陰から支える縁の下の力持ちのような立場で居た方が良いでしょう。
7 素直になる事
謙虚な人になるためのポイント7つ目は「素直になる事」です。謙虚さとは素直さという意味も含まれています。誰かと関わる時に常に素直さを心がけていけば謙虚な人に近づく事ができます。
8 傲慢な発言や態度を改める
謙虚な人になるためのポイント8つ目は「傲慢な発言や態度を改める」です。傲慢な発言や態度を改める事が謙虚な人に近づくためのポイントですが、自分の発言や態度を改めるというのは難しい物ですよね。しかし謙虚な人に近づくためには自分自身を改めていく必要があります。傲慢な発言や態度とはどのような事を言うのでしょうか。例えば人よりも優位に立ちたいという気持ちを持っている人はその気持ちを改めて人よりも優位に立つ事をやめる事です。他人よりも優位に立ちたいという気持ちは傲慢な気持ちです。これを改める事で謙虚な人に近づく事ができます。また上記の様な傲慢な態度以外にも以下の様な傲慢な言動や態度があります。これらを改める事ができれば、謙虚な人にもっと近づけるでしょう。
上から人を見下す / プライドが高い / 威張る / 人や物を認めない / 人を馬鹿にする
9 ありがとうを忘れない
謙虚な人になるためのポイント9つ目は「ありがとうを忘れない」です。謙虚な人というのはどんな人にも何かしてくれた人には必ずお礼を言います。してくれて当たり前と思うような些細な事にでもありがとうをしっかり伝えます。このありがとうというお礼の気持ち、当たり前すぎて忘れてしまいますよね。謙虚さのある人はこれを忘れません。謙虚な人に近づくためにもありがとうの気持ちを忘れてはいけませんね。