下手は下手なりに・・・

「下手は下手なりに違和感はなくなってきた」
頑張れば できるのよ

言葉の力 思い出させてくれました
なつかしい 言い回し


 

 
 
 
下手は下手なりに・・・
やれば何とかなるものです
それなりに 上手になった人を思い出しました
 
 
馬鹿は馬鹿なりに・・・
やれば何とかなるものです
それなりに 出世した人を思い出しました
 
 
シンクロ 日本チームがTR首位 2017/4/28
シンクロナイズドスイミングのジャパンオープンが28日、東京辰巳国際水泳場で開幕した。今大会は国際水泳連盟のワールドシリーズ第3戦に位置づけられ、過去最多の20カ国が参加。チームはテクニカルルーティン(TR)が行われ、日本(乾、小俣、中牧、中村、阿久津、丸茂、福村、河野)が91.5684点でトップに立った。
非五輪種目のソロは、乾友紀子(井村シンクロク)がTRとフリールーティンの合計182.9121点で2位。オナ・カルボネル(スペイン)が185.9113点で優勝した。
同時に行われた日本選手権のソロは、大屋希良々(井村シンクロク)が勝利した。
チームのTRでトップに立った日本。しかし、プールから上がった日本の選手らは高さやスピードに関して反省を口にし、井村雅代ヘッドコーチは「私の求めている高さと基準が違う」と、さらに厳しかった。
五輪翌年は各国で選手が入れ替わる時期とされる。日本もその通りで、エース格だった三井梨紗子が引退するなど、昨年から6人の新メンバーを加え、スタートしてきた。
2014年に日本代表チームの指導に復帰した井村コーチは、リオデジャネイロ五輪で日本に銅メダルをもたらし、「メダルも取って、これでちょっとは楽しくシンクロと付き合えるかな」と思っていたが、それは見事に外れた。新メンバーには水中での動きから、練習への姿勢まで基本を教えていく必要があった。
そして、迎えたこの日のTR。演目はリオ五輪と同じ繁栄を意味する「弥栄(いやさか)日本」だ。主将の乾らリオ五輪経験者がチームを引っ張り、冒頭のジャンプでは高さがあった。15秒間にわたる足技にも乱れはなかった。井村コーチは「下手は下手なりに違和感はなくなってきた」とチームの成長を認めた。
それでも最年長28歳の中村は言う。「まだ足りないことはたくさんある。リオ五輪で教わったことを伝えていきたい」。20年東京五輪に向けて、この一年でしっかりとした土台を築くつもりだ。  
 
 
低迷する日本のシンクロ界を立て直した、井村監督の指導力 2016/10/3
「参加することに意義がある?とんでもない。あそこは戦う場。人の一生で三本の指に入る真剣勝負の場なんです」
リオ五輪で2大会振りとなる念願の銅メダル(チーム種目は3大会ぶり)をもたらした井村雅代日本代表監督。日本シンクロの「お家芸復活」を世界に大きく印象づけた。シンクロ競技が正式種目となった84年ロサンゼルス五輪から6大会連続でメダルを獲得し、2004年アテネ五輪を最後に退任した井村氏。その後低迷する日本シンクロ界から再び請われて指導者となり、初の五輪で見事に結果を残した彼女の指導は、いったい何が違うのだろうか。
井村監督といえば「怒号が飛ぶスパルタ熱血指導(鬼コーチ)」「竹を割ったようなハキハキとした関西弁の言動」などの面でのメディア露出は多い。しかし、「ゴールから逆算したシンプルかつ緻密な戦略実行」、「相手の心に届くコーチング指導」などの実態、根性論ではなく結果を出すための本質的な指導術は意外と知られていない。
結果にこだわり、世界の第一線で32年間結果を出し続けてきた彼女の言動から、一流の結果を目指すビジネスパーソンやメンバーを率いるマネージャー層/経営層が学ぶことは多いのではないだろうか?
日本及び中国で、オリンピック大会連続でメダルをもたらした彼女に数年間の取材を重ね、勝負哲学や波乱のシンクロ人生に迫った最新書籍『井村雅代 不屈の魂』(河出書房新社2016年6月発売)からエッセンスをお届けする。
お家芸の低迷 ? 戻ってきた日本シンクロの母
リオ五輪に向けて再び日本代表指導の場に戻ってきたのは2014年のことだ。
井村コーチ退任後、日本シンクロは北京五輪のチームでは5位に沈み、4年後のロンドンオリンピックではデュエットもチームも5位という成績に終わった。このとき、1984年以降メダルを獲り続けてきた日本シンクロが初めてメダルを逃したのだ。
ロンドン五輪での日本の演技や選手の様子を見て、「このままではリオ五輪に出場できない」という強い危機感を抱いた金子正子(前日本水泳連盟シンクロ委員長)が「いま立ち直らなければ永遠にチャンスを失ってしまう。どうしても井村さんに戻ってもらおう」という強い覚悟で、井村コーチ復帰に向けての粘り強い働きかけに奔走した。
「井村さんを戻して強化を図っていきたい。日本をもう一度強くするにはそれしかありません」金子は何度も幹部を説得し、実に10年振りの井村日本復帰が実現した。
短期決戦においては「狙いをひとつに定めてひたすら磨く」
2014年4月に正式に復帰した井村が、まず最初に手がけたのは選手の肉体改造である。うっすらと脂肪がのった全身の印象は丸く、懸垂のチーム平均回数はわずか3回。とても世界で戦うアスリートの肉体とは言えなかった。
井村は、中国で過去2度のオリンピックを共に戦い、シンクロ選手の体を知り尽くした理学療法士「浅岡良信」をすぐさま呼んで、「選手たちの着ぐるみ(ムダな脂肪)を脱がせて欲しい」と、肉体改造を依頼した。
このとき、5ヶ月後にアジア大会、その翌月にはワールドカップが待ち構えていた。これらふたつの大会を無冠で終える気などなかった井村は、目標達成に向けてある判断をする。
それは、たったひとつ「これだけ」と狙いを定めてひたすらその部分を磨くことだ。これが、短期決戦に臨むときの井村の哲学である。
「改善のプロセスにおいて何かを変えると初めは下手になる。練習を重ねてそれを乗り越え上達していく。この手順を踏む時間がない状況において、悪いところを全部直そうとすると改善が中途半端になってしまう」という理由によるものだ。
井村は、当面の2大会に向けて「演技のキレ(動きのメリハリ、シャープさ、元気よさ)」を磨くことにテーマを絞り、そのために必要な、きりりと絞り込んだアスリートらしい肉体と、強くてしなやかな筋力を創るために全力を傾けた。
結果、当初チーム平均で3回だった懸垂は数ヶ月で17回に、40キロがやっとだったベンチプレスも75キロまで急上昇した。
そして、目標に据えたアジア大会では中国に次いで2位。ワールドカップでは出場全種目で銀メダルを獲得し、王者ロシア不在とは言え世界ランキングで暫定3位に浮上するという快挙を成し遂げた。記憶に新しいリオ五輪での復活の土台はこのプロセスにあったと言えよう。
今どきの若者世代を鼓舞するコーチング
日本代表選手は18歳〜26歳のいわゆる若者世代だ。2004年まで教えていた選手の世代と異なり、全力でやって失敗したら傷つくからと、力を出し切ろうとしない。
そんな選手たちから目一杯力を引き出そうと、井村は知る限りの言葉を駆使して伝える努力を続ける。練習プールサイドに大きく配置されたホワイトボードには、井村が選手たちに届けたいと感じた言葉がその都度書かれている。
「練習はうそをつかない」
「自分の可能性を信じよ」
「毎日、1ミリの努力をしよう」
垂直跳びで40センチ跳べる人に対して、3ヶ月後に50センチ跳ぶハードルは高い。しかし明日は40センチと1ミリ、その次の日はさらに1ミリ高くと諦めなければ3ヶ月後に必ず10センチ高く跳べるからと工夫されたメッセージである。
今の若い選手の力を発揮させる為に「次々に新たな目標を掲げて意欲をかきたて危機感を煽る」工夫も戦略的にプランニングしている。リオ五輪出場を決めるとすぐに、予選会で泳いだルーティーン(演技)を作り替え、まるで新作に挑むようにあれこれ変更したのも、そのひとつだ。
予選通過という目標にはそのための演技。五輪でメダルを取るには、それにふさわしい新しいルーティーン(演技プログラム)を用意する。次々に異なる目標を掲げて意欲を掻き立て、危機感をあおり、選手を追い込んでいく。そうしなければ持てる力を発揮できないのが今の若者だ。
背景には以下の様な考えがある。 「今の子は辛抱強くない。私らみたいに地味な辛抱ができないんですよ。スマホなんかの影響もあるかもしれないね。一つのアプリを自分なりに使いこなす前に次々と新しいアプリが与えられる。常に新しいもの、新しいものへと気持ちが移る」
中学教師の経験もある自らを「根っ子は教育者」と呼ぶ井村ならではの洞察力とコーチングの妙と言えよう。
勝つための戦術と臨機応変な対応策の提示
これらの個人への鼓舞やコーチングに加えて、井村は勝つための状況分析と戦略立案実行に余念がない。数多くのエピソードを紹介した書籍からその幾つかピックアップしてみよう。
◯その一「勝つための戦略と一貫した行動」
2015年の世界選手権では、審判員が各国の技術レベルを判断する「チームのテクニカル演技」で勝つための戦略を練った。
まずは音楽と演技構成だ。曲に合わせて演技をするシンクロでは、音楽の出来栄えが演技の成否を大きく左右する。表現力の力量が十分に備わっていない選手の現状を見極め、作曲家の大沢には「表現力を必要とせず、一本調子のリズムを叩きこむように刻む日本の曲」をオーダーした。ねらいは、メダルを獲り続けていた頃の強かった日本の姿を審判員たちに思い出してもらうことにあった。
続いては「井村の知名度の活用」だ。1984年から2004年まで六大会連続メダルをもたらしたその名を知らない者はシンクロ界ではいない。今の日本代表はその井村が率いていることを印象付ける必要があった。そのために大会期間中、選手に自分と同じスポーツウェアを着るよう求めた。井村の指導を受けるチームであるとアピールするためだ。迎えた本番では久しぶりに見せる、日本らしい、正確で難易度の高い演技を見せつけ銅メダルに輝いた。
◯その二「冷静な状況分析とベストな対応策の提示」
会場プールの特徴分析と対策も、シンクロ競技において重要なポイントの一つである。
例えば、リオ五輪の会場となったMaria Lenk Aquatics Centreは、選手にとって難敵の屋外プールだ。普段練習する室内と比べて、泳ぎの目印にできる天井がなく、風により倒立した脚が煽られまっすぐに保つことが難しい。本番会場を事前視察した井村は、同じく屋外プールのあるグアムでの集中合宿、サンパウロでの事前合宿を行い、万全に傾向と対策を練ってきた。
かたや、2015年世界選手権では、本番2日前に目にした、室内超巨大スタジアムプールに対して「予定していた演技では試合会場全体を魅了することが出来ない」と直感し、超短期間での演技の修正点(上半身の使い方、水面への当たり方)を具体的に指示し、見事メダルを獲得している。
「この会場で0.1点でも多く点を取るにはどうしたらいいか、本番までの二日間、必死に考えました」と井村は振り返る。
大きな国際大会では、予測のつかないことに出くわすことが少なくないが、井村はその場に応じて直ちに対応できる状況察知能力と、引き出しを持っているのだ。
以上のように、数々の勝利におけるプロセスや井村の言動を紐解くと、単なる精神論・根性論ではなく、「状況判断に長けた臨機応変な指導」「経験から裏打ちされた明確かつ各論でのきめ細やかな指導」など、まさしく世界で戦うプロフェッショナルコーチの姿と言えよう。
グローバルリーダーに通じる、中国代表監督時代のエッセンス
最後にもうひとつ。井村氏といえば、世界7位の定位置だった中国チームに2大会連続のメダル成果をもたらし、中国でもシンクロの母と呼ばれている。その成果の背景にも、波瀾万丈の濃い物語と戦術ノウハウが盛りだくさんである。
書籍『井村雅代 不屈の魂』の第2、4、5章では中国代表監督時代の約4年間の濃いエッセンスに迫っている。今回は頭出しのみとなるが、以下の通りビジネスパーソン、グローバルで活躍する人材にとって、学べる内容が多いのではないだろうか?
・ 中国代表監督就任決断の背景と井村を支えた人達
・ 中国が世界で勝つための戦略と戦術(世界が中国をどう捉えているか?の分析と対策)
・ 中国と日本のスポーツに対する姿勢の違いと背景
・ 中国人(選手/組織トップ)とのコミュニケーション
・ 大きな危機をどう乗り越えたか?(北京五輪前の四川地震、選手の水疱瘡)
「『あした』のことはわからない。あるのは『いま』だけ」と常々話す井村だが、東京五輪を迎える2020年の夏はどこでどうしているのだろうか?
きっと69歳になった井村がプールサイドで情熱を込めて怒鳴っている姿があると強く期待しながら、今後の井村監督の動きに益々注目したい。  
 
 
 
 
 
 
 

 
2017/4