よき友は 心の花の 添え木かな 

別世界の道案内
互いにないものを補完 仕事仲間

心の広さで 人付き合い
人を見る目がすべて それも人生

ふと昔に帰る
中学 子供の時間 同窓会


( 高田好胤 )

 
 
 
 
 
仕事仲間
 
 
 
 
 
それも人生
 
 
 
 
 
同窓会
 
 
 
 
 
先輩
 
 
 
 
 
お客様
反面教師 鏡
 
 
 
 
 
地域社会
 
 
  
 
 
銀座のお姉さん
飲屋の仁義 人情 男女の駆け引き 垣間見る
 
 
 
 
親が苦労して、子供を楽にさせてやりたいとすると、子供はのちのち無慈悲に堕ちていく。親は苦労し、子は楽をし、孫は乞食する。
懺悔には、人を新しく生まれ変わらせる働きがある。
神様仏様が見えないところから「見てござる」。誰が見ていなくとも誰かが見ている。
食事をとるときは、良薬を飲むように、分量と時間を間違えないように心がけなければならない。人間というものは、ものを食べ過ぎると、怠け心が出てくる。
物を作ることも大事。けれども、人の心を作ることは、もっと大事なこと。
 
人間は称賛をかち得ているときが、一番危険なとき。
鉄の錆は、鉄より出でて、鉄を滅ぼす。欲は人の身から出て、その人を滅ぼす。それをほどほどに調節するのが、人生の修練。
教えるにはムチがいる。物としてのムチでなく、心のムチは少なくと持ってほしい。それができないというのは、教育に熱意のない証拠。
訓練のない所に個性はない。個性は訓練によって磨き出されてくるもの。
「もったいない」の言葉には、感謝する気持ちがある。だから、「もったいない」と「無駄だ」の二つの言葉の間には、天と地ほどの懸隔がある。
 
人間の目は外を向いてついているから、外はよく見える。それだけに、よほど気をつけないと、自分自身の内を見ることがなかなかできない。
縁は努力で作るもの。
自利はトレーニング(修練)、利他はサービス(奉仕)。すなわち、トレーニングによって身につけたものを世のため人のためサービスすることを菩薩道ということ。
自分の邪悪な欲望にうち勝つということが「克己」。それこそが、千人の他人に勝つよりも真の勇気を必要とする。
教えられたいという心があれば、どこにも教えはある。
 
人はみな罪のかたまりみたいなもの。それに気付かないで、自分は善人だと思い込んでいるだけ。つまり、自覚が足りない間は、善人でいられる。
暇そのものが堕落をもたらすのではない。暇を有効に生かすことができず、暇をもてあました結果、堕落が始まる。
結局のところ 悟るとは 決心することだよ。
人々の心の中に「見上げる心」をはぐくみ、精神を昂揚するために必要な高さが「塔の高さ」であり、精神的に必要な大きさが「お堂の大きさ」。
科学は人間の偉大なる智慧が生んだものだから、人間はそれを享受すべき。だが、物質的な豊かさが、精神的貧困の上に成り立っているのだとしたら無意味。
 
苦労と仲良くすれば、いつかきっと苦労が味方になって助けてくれる。
「負けるが勝ち」とは、敗北主義を賛美するのではなく、人間の心の余裕、心の温かさを賛美しているのであり、それこそ人生の真の意味での勝利への道。
やたらと忙しいのは どんなものでしょう。「忙」という字は 「心が亡びる」と書きます。
子供は親のする事を 真似て学ぶものです。親が身をもって 親にお仕えする親孝行、亡くなられたご先祖に対しては まつりごとをする そんな親の後ろ姿を子供はじっと見ていて、いつとはなしに縦の人倫の道を学んで 身につけていくのです。
かたよらない、こだわらない、とらわれない心。ひろく、ひろく、もっとひろく …これが般若心経、空のこころなり。  

 
2016/3