我がままを極めたい

暗い川を渡る前に 
 
気遣い控えめ  
言いたいことを口にする 
憂さ晴らし 
 
ちょっとだけ 経験を伝えたい 伝えたい思い出がある


  
町会から古稀のお祝いをいただく 
暗い川を渡るより 海の彼方に消え入りたい
  
  
  
  
  
人付き合いの気遣いを控えめにする 
住まいの自治会 
自分の得意なこと以外 サボル
  
周囲に迷惑を掛けない程度か 言いたいことを口にする 
習性のせいか心配性が進行中
  
憂さ晴らしHPの書き込み 
雑記帳 
ボケ防止のキーワードと書棚
  
ちょっとだけ 経験を伝えたい 
普段から 会社・組織外に友人・理解者を作る増やす 
一生の財産になります 
それなりに頑張っていると 見ていてくれる人がいるものです 
世の中捨てたものではありません
  
ちょっとだけ 伝えたい思い出がある 
やられたら やり返す転機  
転機は好機 
笑い飛ばし聞き流し自分の世界を楽しみ 会社のお金でお勉強 
準備完了 会社を飛び出しました
  
今年の賀状に初めてこのHPのURLを紹介した 
感謝やお詫びを伝えたい人が一杯いるからだ 
一方で何人かの怒りをかうことも覚悟した 
古稀です 許してください
  
とは言いながら 
元気でいることが第一 
がんばってくれている妻 元気な娘 風と雷は家族の取り持ち役

 
2013/9 
 
 
古稀 
曲江   杜甫  
朝囘日日典春衣  
毎日江頭盡醉歸  
酒債尋常行處有  
人生七十古來稀  
穿花蛺蝶深深見  
點水蜻蜓款款飛  
傳語風光共流轉  
暫時相賞莫相違 
訓読  
朝(てう)より回(かへ)りて日日(ひび)春衣(しゆんい)を典(てん)し、毎日江頭(かうとう)に酔(ゑ)ひを尽くして帰る。酒債は尋常、行(ゆ)く処(ところ)に有り。人生七十古来稀なり。花を穿(うが)つ蛺蝶(けふてふ)は深深(しんしん)として見え、水に点ずる蜻蜓(せいてい)は款款(くわんくわん)として飛ぶ。伝語(でんご)す風光、共に流転(るてん)して、暫時(ざんじ)相(あひ)賞して相(あひ)違(たが)ふこと莫(なか)れ、と。 
通釈  
朝廷から戻ってくると、毎日のように春着を質に入れ、いつも、曲江のほとりで泥酔して帰るのである。酒代(さかだい)の借金は普通のことで、行く先々にある。この人生、七十まで長生きすることは滅多にないのだから、今のうちにせいぜい楽しんでおきたいのだ。花の間を縫って飛びながら蜜を吸うアゲハチョウは、奥のほうに見え、水面に軽く尾を叩いているトンボは、ゆるやかに飛んでいる。私は自然に対して言づてしたい、「そなたも私とともに流れて行くのだから、ほんの暫くの間でもいいから、お互いに愛(め)で合って、そむくことのないようにしようではないか」と。 
注  
1. 杜甫の「曲江二首」と題する詩の、その「二」の詩です。  
杜甫47歳の時の作。詩形は、七言律詩。当時、杜甫は宰相が敗戦の責任を問われたのを弁護して肅宗の怒りに触れ、朝廷へ出ても楽しまない日々が続いていました。「曲江」は、長安の東南にあった池の名前です。景勝の地で、長安随一の行楽地として賑わっていたそうです。古稀という語が有名なわりには、この詩はそれほど知られていないように思います。この詩で杜甫は「人生七十古来稀なり」と言いましたが、彼は大暦5(770)年、59歳で湘水(湖南省)の舟中で病没したそうです。  
2. 杜甫の詩「曲江」の出典  
この詩は、『杜工部集』(20巻、補遺1巻。北宋、王洙編)の巻十に出ています。  
3. この詩の最後の二句には、いくつかの解釈があるようです。  
上の「通釈」では、「私は自然に対して言づてしたい、そなたも私とともに流れて行くのだから、ほんの暫くの間でもいいから、お互いに愛(め)で合って、(お互いに)そむくことのないようにしようではないか」としましたが、これを、「自分はこの風光にことづてをする、私は汝風光と共にここに徘徊して、しばしその眺めをめでるから、汝は自分にそむかぬようにしてもらいたい」とする人もいます(岩波文庫『杜詩』第二冊、鈴木虎雄訳注)。そのほか、「伝語」する相手を「同僚」とするものや「時人(その時代の人)」とするもの、「共」を「風光が花蝶とともに」とするものや「風光が物情とともに」とするものなどがあるそうです(同文庫、200ページの〔余論〕参照)。参考までに、手元にある本からこの部分の訳を抜き出してみます。  
「目の前に飛ぶ蝶よトンボよ。春の風光よ。人生も君たちも共に流転をまぬかれないのなら、しばらくの間ぐらいは互いにめであい、心にそむかないようにしようではないか──」(新潮選書『杜甫の旅』田川純三著、183頁)  
「この春景色にことづてしたい。わが身も春光も、もろともに移り流れて行く上は、しばしが程は賞(め)であって、お互いにそむかぬようにしようではないかと。」(中国名詩鑑賞4『杜甫』目加田誠著、111頁)  
4. 「曲江一」の詩とその書き下し文を掲げておきます。  
一片花飛減却春一片の花飛んで、春を減却す。風飄萬點正愁人風は萬點(ばんてん)を飄へして、正に人を愁へしむ。且看欲盡花經眼且つ看る、盡きんと欲する花の眼を經(ふ)るを。莫厭傷多酒入脣厭ふ莫かれ、多くを傷む酒の脣(くちびる)に入(い)るを。江上小堂巣翡翠江上の小堂に、翡翠巣くひ、苑邊高塚臥麒麟苑邊(ゑんぺん)の高塚(かうちよう)に、麒麟臥す。細推物理須行樂細やかに物理を推(お)すに、須(すべか)らく行樂すべし。何用浮名絆此身何ぞ、浮名(ふめい)もて此の身を絆(ほだ)さんや。  
5. 河出書房新社発行の『中国故事物語』に、「古稀」についての分かりやすい解説があります。  
そこに引用された「朝より回りて……」の詩について、この項の筆者多田行夫氏は、「この詩のうち最後の二行には、古来さまざまの解釈があり、また「人生七十古来稀なり」というのは、言い伝えられた諺だろうともいう。だがともかく、この言葉は杜甫によってみごとに定着され、あるときは哀感をこめ、また稀な年に達したのを祝う意味にも使われるようになった。七十歳を古稀(こき)というのも、ここから出ている。」と書いておられます。  
6. 杜甫(とほ)  
盛唐の詩人、字は子美、号は少陵。鞏(きょう)県(河南鄭州)の人。先祖に晋の杜預があり、祖父杜審言は初唐の宮廷詩人。科挙に及第せず、長安で憂苦するうちに安禄山の乱に遭遇。一時左拾遺として宮廷に仕えたが、後半生を放浪のうちに過ごす。その詩は格律厳正、律詩の完成者とされる。社会を鋭く見つめた叙事詩に長じ、「詩史」の称がある。李白と並び李杜と称され、杜牧(小杜)に対して老杜という。工部員外郎となったので、その詩集を「杜工部集」という。(712−770) 
 
曲江 2  
曲江は、長安城の東南にあった池の名。はじめ漢の武帝が造築し、その水流が曲がりくねっているところからこの名がついた。玄宗のときに改修され、長安随一の行楽地としてにぎわった。  
通釈 「朝廷を退出すると、毎日毎日、春の衣服を質に入れ、そのたびに曲江のほとりで泥酔して帰る。酒の借金はふつうのことで、行く先々にできている。それというのも、人生七十歳まで生きることが昔からめったにないから、今のうちに存分に楽しんでおきたいのだ。花のまにまに蜜を吸うあげはちょうがむこうの奥に消え、水面に尾をつけて卵を産むとんぼがゆるやかに飛んでいる。私は自然に対して言葉を伝えたい。私と共に流れゆき、どうかほんのしばらくの間でも、このよい季節をお互いに楽しみあって、そむくことのないようにしよう。」  
乾元元年(758)杜甫47歳の作。これより先、杜甫は安禄山の乱の最中、決死の覚悟で新帝粛宗の仮御所に駆けつけ、その忠誠心によって、左拾遺の官を授けられた。ここにはじめて、若いころからの念願だった朝廷の役職を得た。  
ところが、彼の生真面目な性格は他の役人たちとなかなかウマが合わず、彼自身も宰相房カン(ぼうかん・カンは〈王偏に官〉)が敗戦の責任を問われたのを弁護して、粛宗の怒りを買った。このような意外な成りゆきに杜甫は大きな衝撃を受け、その後しだいに、酒に憂さを晴らすようになっていった。  
この詩はちょうどその時期のもので、「どうせ短い人生、せいぜい楽しくやろう」というところ。彼には珍しく、頽廃的、享楽的な気分が強く全面に出ている。最後の二句は、花の中に深々と入りこんで蜜を吸う蝶と、チョンチョンと尾を水につけてゆっくり飛ぶトンボをとらえ、それをいとおしむように描く。「時止まれ」という、作者の胸の底からの叫びなのであろう。  
第四句の「人生七十 古来稀なり」は「古稀」の語の出典となったもの。杜甫自身も古稀を迎えることはできず、59歳で亡くなっている。