今日に死ぬ覚悟

アップルの創業者が死ぬ 
 
アップルを横目に 
ベーシックPC 
マイクロソフト・ベーシックとPCを学ぶ 
 
今の Smartphone iPhone 理解できません 
興味もありません 
PCを目の前に 自分の時間を楽しんでいます


  
Smartphone でしょうか 
iPhone でしょうか 
人中で指先を走らせ 自分の世界に入る気持ちが理解できません 
隣に他人がいます
 
   
 
 
  
 
 
電車で隣の指先を覗き込む
 
 
 
 
 
  
せわしなく走らせる指先 何を見ているのでしょうか
 
 
 
 
 
 
カラフルな画面 小さな文字 
きれいな画面 どれだけの情報が詰め込まれているのでしょうか 
メール 
インターネット 
小説・漫画
 
東名高速 流れは良いのに前の車がおかしい 
じわっと速度が落ちる かと思うとスピードが上がる繰り返し 
煩わしい追い抜く 追い抜き際に運転手を見る 
ハンドルの上にSmartphone でしょうかiPhone でしょうか 見ながら運転 
殺人車を見る 
2011/10/31
 
 
 
 
 
 
 
毎日を大事に生きた方でしょう 
着想とその実現のための実行力 
PCの道具としての環境 「究極の使い勝手・楽しさ」を追い続けたのでしょうか 
新世界文化の創造者
  
 
 
このしおり代わりの写真 2005年どこかで見つけたもの 
先見の明 
今思えばすごいイラストと言えますね
  
 
 
 
 
 
 

 
2011/10 
 
  
「人生の残り時間」の思考法
“明日はない”と思うと、生き方が変わる  
死と向き合うと、自分にとっての価値や人生をじっくりと考え直さざるを得ない状況に立たされます。ツール・ド・フランスの優勝者ランス・アームストロングは、著書『ただマイヨ・ジョーヌのためでなく』のなかで、このような突然の状況の変化について話しています。  
医者から「癌です」という言葉を耳にするまで、恐怖とはどんなものか知っているつもりでいました。しかし、ほんとうの恐怖感に襲われたのはその瞬間がはじめてだったのです。それまでわたしが恐れていたのは、人に嫌われたり、笑われたり、お金を失うことでしたが、突然、そんな恐怖はまるっきりちっぽけなことのように思えてきました。大切なものがそれまでとはすっかり変わってしまったのです。機体が激しく揺れている飛行機など、癌に比べれば怖くもなんともないものだったのです。  
死にそうな体験をすると、従来の価値観がくずれ、自分が変わっていきます。心理学者ケネス・リングは、すんでのところで死を免れた経験を持つ何千もの人にインタビューしました。『光に学ぶ』のなかで、「このような体験をした人間は、人生をやり直し、もっと充実した生活を送り、人を素直に愛せるようになった。以前より目的をもって人生を送り、愛情、同情、受容など精神的な価値を意識的に選んで人生を築き上げている」。  
臨死体験者は、人生で大切なものが以前とは変わっていきます。権力、評価、名声、お金、仕事、地位のような典型的な「やる気の源」は、突然、さほど重要ではなくなります。  
手に入れたものはすべて消え去っていくものなので、モノを獲得することでは満足は持続できなくなるのです。人と自分を比べることももはや意味を失い、重要なことではなくなっていきます。  
競争などちっぽけなことで、人と手を取り合うことが一番素晴らしいことなのです。死に遭遇した人々は、自分のエネルギーや時間を地域社会や他人に捧げ、仕事を離れた私的な人間関係をもっと大事にするようになります。そして、自分自身を知り、その姿を受け入れることで、生きがいを持って人生を歩んでいこうとします。  
死と触れ合った人がしばしば報告する共通の体験が、自分の一生の回想です。多くの人が臨死体験のなかでこの回想体験が一番貴重な体験だったと説明しています。体験者は、この経験を、「目の前で全生涯がぱっと照らし出された」という言葉で表現しています。  
ケネス・リングの著書『オメガ・プロジェクト』のなかに紹介されたひとりの人物の例が、この回想過程を説明しています。  
今まで自分の人生に起こった出来事を、すっかり、漏れなく、はっきりと知ることができました。その瞬間、人生のあらゆることがもっと明確に理解できたのです。この回想体験は、すべての人間がこの地上に送られてきたのは、その人物にとって大切なことに気づき、それを学ぶためだったことが分かったのです。もっと愛を分かち合ったり、互いに愛し合ったりすることもそのひとつの例です。一番重要なのは物質的なことではなく、人とのつながりや愛なのです。  
臨死体験の研究に参加した人は、自分の人生、感情、思考、行動、他人に及ぼした影響などあらゆることを再び体験します。そして、この再生の過程を、個人的な判断は差し挟まず、ありのままに映し出される「教育ビデオ」として人生を回想したと報告しています。その結果、自分が実行したすべてのことがそのまま自分に戻ってくるという驚くべき認識に到達するのです。すなわち、人に与えたものをまさしく自分が受けとるのです。子供にたいし無償の愛を捧げていれば、あなたにもその愛が戻ってきます。人を傷つける言葉は、同じようにあなたを傷つけることになります。  
多くの臨死体験の報告から、人生を回想していく過程で、人々は人にたいする親切、同情、無条件の愛などに重点を置くようになり、それまでの成功の定義(お金、業績など)はそれほど大切なものではなくなります。  
わたしの友人のジュリアンの体験がこの価値観の変化をはっきりと証明しています。彼はアメリカンドリームを追い求めて過ごしてきた男でした。大成功を収め、公衆衛生局医務長官に上り詰めた彼は、仕事のためには余暇、家族、ついには自分の健康さえ犠牲にして、週80時間も働いていました。  
公私ともに順風満帆だった彼が、病院に運び込まれて、五カ所の心臓のバイパス手術を受けたという知らせには、わが耳を疑いました。手術の最中、状況は最悪となり、手術台で二度も心臓停止状態になったのです。  
手術をしてから数カ月後、病院の医者が集うロビーでわたしは偶然ジュリアンと出会いました。「多くの医者と同様、自分は医者なんだから、死を打ち負かす力があるんだって思っていたものだ。心臓発作が起こるまでの16年間、医者に診てもらったことは一度もなかったからね。死は自分以外の人間に訪れるものだって考えていたんだ」  
死と触れ合った体験後、ジュリアンは自分の人生をはじめて真剣に考えるようになりました。外科手術の回数を減らし、今までほうっておいた妻や子供との暮らしを取り戻し、自分のこころを豊かにし始めたのです。その後、彼が医学の才能を利用して、中央アメリカの子供を救うために結成された医師のボランティア組織に参加したことを知りました。わたしの知る限りでは、この人生を変えた決断をジュリアンはまったく後悔していません。 
 
ウェブ時代 5つの定理
ポジティブな金言と主体的な人生の可能性  
梅田望夫さんが精選した『ウェブ時代の金言』はビジネスの成功とポジティブな希望を志向する言葉の群れであり、一つ一つの言葉の中には『仕事(起業)のヒント』とは別に『生きる姿勢』への問いかけが含まれています。『ウェブ時代 5つの定理』では、理想的な未来のビジョンや先進的な思考過程を言語化するビジョナリーの金言が、5つのカテゴリーに分けて収録されています。興味を惹かれた定理の言葉から読み進めていく内に、絶え間なく変化する現代社会(情報化社会)を生きる勇気や未来の世界への知的好奇心が高まってくるような感じを味わうことになります。ビジョナリーの金言と自分の持つ基本的世界観を重ね合わせることで『明るい未来のイメージ』を増強することができ、本書に登場する一流の人物たちの持つ圧倒的なエネルギーの源流に接近することができるでしょう。  
自分の決断や未来の可能性を肯定的に信じる心の重要性は誰でも意識することがあるものですが、『自己の信念の方向性』は『繰り返される内言(内的な言語活動)』によって規定される部分があります。たかが言葉、されど言葉であり、自分で自分に語りかけるネガティブな言説は自己の決断への自信を揺るがせ、未来の悲観的な予測に従った行動へと人を無意識的に駆り立てることさえあります。『ウェブ時代 5つの定理』は、哲学者でもなく文学者でもないITビジネス(ベンチャー事業)の最先端を生きるシリコンバレーの経済人・技術者の金言を集めた珍しい書籍であり、それゆえに『哲学的な真理の洞察』とは違った角度から『経済的・技術的な未来の創出』についてインスパイアする内容になっています。こういうとベンチャービジネス(ファンド)の一攫千金や先端的ビジネスの成功哲学のイメージを思い浮かべる人もいるかもしれませんが、本書を貫く精神は『人生を主体的に生き抜く自由』であり、経済的成功というのはその為の必要条件の一つと考えられています。  
ビジネスの結果としての金銭そのものを目的とすれば、最終的に消費文明社会(記号としての商品)に自我が呑み込まれてしまい『やりたい仕事・没頭できる対象・創造的なチャレンジ精神』を見失いやすくなってしまいます。本書で繰り返し語られる倫理性(理想的ビジョン)と経済性の融合としてのシリコンバレー精神とは、『未来(自己)の可能性への終わりなき挑戦』であり、その精神を自分の実現したい目標や技術的な関心を抜きにして単なる金儲けの話として語ることはできません。お金は確かに大切なものでありあればあったで行動(活動)の選択範囲が広がりますが、反対に『主体的にやりたいこと・熱狂的にのめり込める対象』が何もなければ、幾ら有り余るほどの財力があってもそれを有効に活用することは出来ないかもしれません。本書に登場する経営者・投資家が実現した『他者へのポジティブな影響力(世界を変えるような画期的な仕事)』はお金だけでは到底発揮できないものであり、お金に発展的な可能性を付加するチャレンジ精神や画期的なアイデア(未来像)、それを現実化する事業展開のノウハウが必要になってきます。  
『第1定理 アントレプレナーシップ』では、ハイリスク・ハイリターンの起業を可能とするシリコンバレー独自の風土に基づいた金言が多いのですが、失敗を恐れない果敢なチャレンジ精神のみが世界を変えるような大きな変革を生み出すというのは、経済活動に限らず歴史的真理の一面を突いたものでしょう。最先端のテクノロジーとクールなデザインの可能性を徹底的に追求することで、コンピュータ(Mac)やデジタルプレイヤー(iPod)、ケータイ(iPhone)の分野に革命を起こし続けているAppleのスティーブ・ジョブズの以下の言葉は、『世界を変えるビジネス』というビジョナリーの巨視的な観点を象徴的に示唆しています。  
シリコンバレーの存在理由は「世界を変える」こと。「世界を良い方向へ変える」ことだ。  
そしてそれをやり遂げれば、経済的にも信じられないほどの成功を手にできる。  
── スティーブ・ジョブズ  
Silicon Valley is all about changing the world. It's all about changing the world for the better, and if you do that, you can be incredibly successful economically.  
──Steve Jobs  
世界や経済の大局に一石を投じるスティーブ・ジョブズのような大きな仕事をする機会はなかなか無さそうですが、『世界をより良く変える小さな仕事』であれば大多数の人たちがそれを行っているのではないかと思います。旧来の経済社会(産業構造)の中で極めて無力だった個をエンパワメントしたIT革命は、巨大な政治・経済機構に従属しない『個の表現活動の場』を大きく拡大しましたが、IT革命とインターネットがもたらしたツールの数々を、どう自分の人生(仕事)の中に取り込んでいくかが問われていると言えます。  
『第2定理 チーム力』では、大きなビジネスを展開する上で一人では何も出来ない『個』が、どうやってシナジー効果を発揮できるチーム(人間関係)を形成していけば良いのかにスポットを当てています。カリスマ的経営者が思い描く事業計画やビジネスモデル、製品・技術のアイデアを現実化していくためには『優秀で意欲的な個』の集積としてのチームが必要不可欠であり、相互に刺激し合う知的で野心的な仕事環境が『個の能力・適性の限界点』を更に引き上げていくことになります。あらゆる専門分野に精通して人格的にも魅力(カリスマ・リーダーシップ)のある全能の人物は存在せず、個の所有する時間資源には1日24時間の制限がありますから、一定以上のビジネスを円滑に運営していこうとすれば、自分の長所と相手の長所を相補的に拡張していけるような『チームの編成』が必然的に求められることになります。  
『問題は、スタートアップをやりたいと思っている人々の数が、スタートアップできる機会の数よりもはるかに多いことだ』というロジャー・マクナミーの言葉を引きながら、梅田氏は優秀な個が相互作用する少数精鋭のチームプレイの重要性を語っていますが、シリコンバレーではその事業の遂行に最適な経営者・技術者・各部署の実務担当者・専門家の人材を集めやすい『流動的な労働市場』があるという強みがあります。『好きな人と働かなければならない』というロジャー・マクナミーのシンプルな言葉もインパクトがありますが、好きな人というのは尊敬できる人というニュアンスに近いものであり、その人と一緒に働くことで『労働意欲・作業効率・知的興奮』が引き上げられるような仲間のことを意味しています。『チーム力』とは、ビジネスの目標や未来のビジョンを達成するために相互にポジティブ・フィードバックをもたらす力のことであり、未来の不安や現在の不満を紛らわすために人間がただ集まる『群れる力』とは明らかに異なるものです。  
企業の価値はさまざまな要素から構成され、時価総額という市場評価の指標で示されることもありますが、企業価値の根本的源泉は金銭や設備だけでは代替できない『優秀な個としての人材』にあります。企業の持続的成長やイノベーティブな製品・サービスの開発は『Aクラスの人材』を絶えず雇用し続けることでしか実現できず、『自分の優越欲求・ポジションを守るための保身的な採用』を人事担当者がするようになればどんなに優れた企業も斜陽へと近づくでしょう。シリコンバレーの格言として提起される『Aクラスの人は、Aクラスの人と一緒に仕事をしたがる。Bクラスの人はCクラスの人を採用したがる』はそのことを端的に示しており、『個人的な優越感・安心感』を満たすために自分の思い通りになりそうなイエスマンの部下ばかりを雇用し始めた時に、チームの成長が停滞するリスクが高まります。  
年功序列・職位階層といった『政治的原理』はチームの成長や人材の相互尊重の雰囲気を抑制する働きがあり、今現在の企業秩序を永続させようとする自然法則への無理な抵抗としての側面を持ちます。世界最大のECサイト(ネット書店)であるAmazonのCEOジェフ・ベゾスの以下の言葉は、ファクト・ベースの合理的な意志決定の大切さと政治的原理の束縛の無効性を主張するものです。事実(ファクト)やデータ(数値)を曲げてまで、間違ったものを正しいとするような権威主義(権限・威圧に対する萎縮)は政治の世界における害悪であることはもちろんのこと、経済の世界においてもチーム力や企業の成長、職場のエネルギッシュな雰囲気を阻害する要因になり得ます。  
ファクト・ベースの意思決定がいちばんだ。その素晴らしいところは階層構造をくつがえしてしまうことだ。ファクト・ベースの意思決定であれば、いちばん若い下っ端の人間が、いちばん上の者を議論で打ち負かしてしまうことができる。  
── ジェフ・ベゾス  
These are the best kinds of decisions! They're fact-based decisions. The great thing about fact-based decisions is that they overrule the hierarchy. The most junior person in the company can win an argument with the most senior person with a fact-based decision.  
──Jeff Bezos 
若者を応援する大人の流儀とインターネット  
追記ですが、本エントリーのURIに著者である梅田望夫さんがリンクを貼ってくださっていることに気づきました(My Life Between Silicon Valley and Japanの4月21日分の記事)。一般読者のエントリーに著者がフィードバックを返してくれることは非常にありがたいことであり、著者本人が自分の感想に目を通してくれたことを実感できるというのもウェブ時代に特有の貴重な体験であると思います。自分が書いた記事をいつも以上の多くの閲覧者に読んで貰えた事を大変嬉しく感じると同時に、またブログを続けていく際の励みにもなります。本記事の迅速なご紹介をありがとうございました。5月には梅田望夫さんと齊藤孝さんの対談を元にした『私塾のすすめ ─ここから創造が生まれる』という興味深いタイトルの本の発売が決まっているので、『ウェブ時代 5つの定理』や『ウェブ進化論』『ウェブ時代をゆく』『ウェブ人間論』『フューチャリスト宣言』など前作で描かれた世界観・人間観(人間形成の教育観)に関心を持たれている方には楽しみな一冊となりそうです。  
『第3定理 技術者の眼』では、物事の仕組みを観念的(思想的)にではなく具体的(技術的)に分析して理解する技術者の根本的態度について書かれており、『モノ(商品)・サービスの生産過程』における理系技術者の精力的な働きぶりを感じることが出来ます。文系と理系とを簡単に区別することは出来ませんが、技術者というカテゴリーで理系の人材を見ればそこに共通する特性として『形のあるモノづくり・実際に動くウェブサービスづくり』への熱狂的なコミットを見出すことができます。それとは対照的に文系のビジネスマンというのはどちらかというと『モノや仕組みそのもの』よりも『言葉(概念)による説明や理解』を好む傾向があり、パソコンやウェブサービスなどを利用することはあっても物理的・プログラム的な構成原理を理解してそれらを実際につくりたいという人は少ないのではないでしょうか。  
理系的な学問・技術の最大の特徴は専門性が高く論理的(法則的)な厳密性によって規定される部分が多いということであり、基礎的なルール・知識や技術的な適性を所持していなければ技術者としての仕事を遂行することが難しいということです。文系的な学問・思考の最大の特徴は誰もがそれなりの方法で参加することができ、言語的なレトリックの工夫によって相手に了解させるコミュニケーションの要素が多いということですが、言語表現と記憶能力に依存することが多い文系の領域は理系の領域よりも『能力の個人差』が一般に小さいと言えます。数学のセンスが全くない人が高等数学・高度な物理学を幾ら勉強しても上手く理解できないということはありますが、国語・歴史など言葉(観念・物語)に依存する科目ではそれなりに一生懸命に勉強すれば全く分からないという人はそれほど多くありません。  
IT・電機工学・バイオテクノロジー・材料科学などの先端技術分野で極めて専門性の高い仕事をする優秀な技術者は、継続的な努力さえすれば出来る仕事とは異なるという意味で『天職(calling)』により近い知的興奮に満ちた仕事に自発的に取り組んでいます。我慢して無理やり仕事をせざるを得ないと考えてしまえば、苦役としての労働のカテゴリーから抜け出すことが難しくなりますが、そこに『私がやりたいからするのだ』という“自発性”が加われば、苦役としての労働から創造(魅力的な使命・課題)としての仕事の相貌が姿を現してきます。  
技術者(プログラム)とお金の関係について書かれた以下のポール・グラハムの言葉では、『面白い仕事をし続ける自由』を得るために莫大なストックを求める技術者の心情が窺われて興味深いですが、こういった心情には自己を譲らないわがままさだけではなく、『一回きりの人生』を完全燃焼させたいという能力に裏打ちされた天職的仕事への気迫(狂気)を感じます。何故ならば、『面白い仕事』と言われるものの多くには、そこに十分な需要と対価、才能が伴わなければ経済的な困難を味わうという大きなリスクがあるからです。  
偉大なプログラマは金に関心がない、と言われることがある。これは必ずしも正しくない。  
ハッカーたちが本当に大切にしているのは、面白い仕事をすることだ。でも、十分な金を稼げば、それからはやりたい仕事ができる。そしてこの理由から、ハッカーは莫大な金を稼ぐことに惹かれる。  
── ポール・グラハム  
Great programmers are sometimes said to be indifferent to money. This isn't quite true. It is true that all they really care about is doing interesting work. But if you make enough money, you get to work on whatever you want, and for that reason hackers are attracted by the idea of making really large amounts of money.  
──Paul Graham  
人間が巨額の金銭を欲しいと思う欲求には、『贅沢や楽をしたいという物理的欲求』と同時に『衣食住の心配から離れて好きなことを徹底的に追究したいという精神的欲求』があり、本来的な自己実現へと向かう精神的欲求を充足する基盤として経済的自由があると解釈することが出来ます。  
両者とも衣食住の基本的欲求(経済的なサバイバルの問題)から解放されるという点では同じですが、前者は『何もしたくないからお金が欲しい・とにかく贅沢で派手な生活がしたい』という無為・享楽に主眼があり、後者は『やりたいことだけに全力を傾けたい・お金になるかならないかを気にせずに仕事や研究に取り組みたい』という理想的な仕事状況(研究環境・生涯学習)の整備に目的があるという大きな違いがあります。技術者(生涯にわたって何らかの生産活動や学習にコミットする人物)にとっての莫大な金銭とは、『金銭のための労働』から『目的志向の仕事』への質的転換を可能にするツールとしての意味合いがあるようです。  
この技術者の有する目的志向の自由主義は、Googleの創業者たちの反権威主義的な性格を表現したマリッサ・メイヤーの言葉『あの二人(ブリンとページ)は権威が嫌いで、「何かをしろ」と言われるのが嫌いだ』にも反映されています……若くして圧倒的な財力を得たサーゲイ・ブリンやラリー・ペイジでなければなかなか言える台詞ではないと思いますが、金銭の本質が『他者の使役(市場と雇用を介在した他者のサービス・労働の要請)』にあることを考えると、ブリンとページの事例は極端であるとしても、人生の主体性をグリップするためには一定の能力だけではなく一定の金銭が必要であるという現実原則は絶えず働いています。  
『第4定理 グーグルネス』では、世界のあらゆる情報を整理してアクセス可能(検索可能)にするという壮大なミッションを掲げ、それに相応した高度な倫理性(邪悪になるな)を自らに要求するGoogleの“グーグルらしさ”をピックアップしています。Googleは情報化社会におけるインターネットの申し子のような存在として急成長した企業ですが、個の自由と創造性を重視する独創的なマインドを保持し続ける企業です。Googleはインターネットを拠点として『世界をより良い場所にするための機関』を目指しているとされますが、企業規模の拡大と共にウェブと現実社会における影響力が日増しに高まっており、今後の企業経営と事業戦略の中で“Don't Be Evil(邪悪になるな)”の社是の倫理性が問われることになるのではないでしょうか。  
私たちは、人々がより良い教育を受けて、より賢くなれるようなものを生み出したい。  
それによって、世界の知力・知性は向上するだろう。  
── マリッサ・メイヤー  
We're doing things that make people better educated and smarter ─that improve the world's intelligence.  
──Marissa Mayer  
人間の知的な情報環境とコミュニケーションの可能性を飛躍的に拡大したインターネットは、『個の情報を得る力』を強化するだけではなく『世界(国家・メディア)の情報を統制する力』を弱めました。このことを良い変化と見るか悪い変化と見るかは人それぞれでしょうが、中央集権的な情報の選別(統制)と提供を困難にしたインターネットの登場は、人間の意識形成過程に極めて大きな影響を与える歴史的な転換点をもたらしたと考えられます。インターネットは『人間の知性』だけではなく『人間の欲求』も増幅する作用を持ちますから、性善説的な知識・人材のネットワークが構築されていく良い部分もあれば、性悪説的な事件・トラブル(誹謗中傷)を媒介するような悪い部分も当然あります。  
とはいえ、インターネットに光と闇の双方の領域が存在することは、現実社会に光と闇があることの鏡像に過ぎず、インターネットには現実社会以上に『個の自発的な情報発信(知的貢献)やコミュニケーション』を促進するという比類なき長所があります。ウェブに日々生み出されるコンテンツや情報は確かに玉石混淆ですが、それまで『不特定多数の他者』に自己の意見や知識・感情を伝達する手段をまったく持たなかった個人が『インターネットという場(情報を自由に受発信する力)』を得たことの歴史的価値は簡単に論じ尽くすことが出来ません。  
本書では、『ネットが負けるほうに賭けるのは愚かだ。なぜならそれは、人間の創意工夫と創造性の敗北に賭けることだから』というGoogleのCEOエリック・シュミットの言葉が収録されていますが、インターネットが負けるということは人間の精神的な自由(自律的倫理)が負けるということに匹敵する事態ではないかと思います。必要以上の規制・検閲によるパターナリズム(保護主義)は『集団主義的な社会秩序』を実現しやすくしますが、中央集権的な管理機構に否定的なインターネットの理念は『知的な個の自律的秩序』を志向します。今後、世界の国々で『現実・ネットの秩序形成原理』を巡る議論が強まりを見せてくることになるのかもしれませんが、『第5定理 大人の流儀』では『成熟した個』と『次代を担う若者の成長』にインターネットと現実世界の明るい希望を見出そうとしています。  
多くの可能性と素質を内在させた若者たちを大人たちがしっかりと見守って、その可能性と意欲・信念を積極的にエンパワメントしていくという本書の『大人の流儀』が、今の日本には大きく欠けているように感じます。政治でも経済(企業)でもアカデミズムでも、30代以下の若者たちの存在感や権限が殆どないことから生まれる若年層の倦怠と社会的な閉塞感をどのように打破していけば良いのかが、今後の政治や組織での大きな課題となってくるのではないでしょうか。年功序列的な社会システムを性急に変更するような改革を、日本型の組織で起こすことは極めて困難なことですが、若者の才能や意欲を積極的に応援するような仕組みづくりというのはやはり必要だと思います。特別に優秀な能力・素質を持つハイクラスの若者の支援はもちろん大切ですが、平均的な能力を持つ若者が希望と意欲を持って働けるような多面的支援のあり方がもっと真剣に検討されるべきではないかという感想を抱きました。  
最後に、優秀な才能と強い目的意識を併せ持った若者のチャレンジ精神を鼓舞するような、スティーブ・ジョブズの自由主義的な金言を引用して終わりにします。ここで紹介した以外にも、『ウェブ時代 5つの定理』には梅田望夫さんが集めた未来の世界(自分)に対する自信と勇気を強化する多くの金言がセレクトされており、『文藝春秋のウェブサイト』でもその金言を読むことができます。  
君たちの時間は限られている。その時間を、他の誰かの人生を生きることで無駄遣いしてはいけない。ドグマにとらわれてはいけない。それでは他人の思考の結果とともに生きることになる。  
他人の意見の雑音で、自分の内なる声をき消してはいけない。最も重要なことは、君たちの心や直感に従う勇気を持つことだ。心や直感は、君たちが本当になりたいものが何かを、もうとうの昔に知っているものだ。だからそれ以外のことは全て二の次でいい。  
── スティーブ・ジョブズ  
Your time is limited, so don't waste it living someone else's life. Don't be trapped by dogma─which is living with the results of other people's thinking. Don't let the noise of others・opinions drown out your own inner voice. And most important, have the courage to follow your heart and intuition. They somehow already know what you truly want to become. Everything else is secondary.  
──Steve Jobs 
 
キュレーションの時代 
コンテンツを“つくる人”と“見出す人”の相互補完性  
テレビ・新聞・出版・広告といったマスコミュニケーション(一方向的な大量情報伝達)が衰退した後に、人と人のつながりを介して双方向的に情報をやり取りするキュレーションの時代がやってくるという。  
プロローグでは、老年期になるまで職を転々とする放浪者として過ごしたジョゼフ・ヨアキムが、たった1回の偶然の出会いによって、画家として後世に名を残すこととなった数奇な人生が詳しく紹介されています。インターネットやメディアの話のはずなのに、なぜ老人になってから絵を描き始めた風変わりなアーティストの伝記なんて紹介するんだろうという疑問を持ちながら読み進めると、つくる人と見出す人という二項図式の関係に行き当たります。  
自分が手慰みに趣味として描いている絵に芸術としての価値があるなんて思いもしなかったジョゼフ・ヨアキムはつくる人であり、窓に洗濯ばさみでぶら下げられたその絵を見かけてプリミティブな芸術性が内在することに気づいたカフェオーナーのホップグッドは見出す人です。インターネットの世界では膨大な数のアマチュアが、文章を書き絵画を描き、作品を発表していますが、そういったつくる人だけでは作品の価値が幅広く共有されることはありません。出版・美術・マスメディアなど各業界の関係者が見出す人になって、それらの作品の価値に気づき広めることで、プロの世界でも通用する創作者が出現するのです。  
つくる人と見出す人の共同作業によって、新たな情報の流通経路が作られるだけでなく、自分の作品に大した価値がないと思っている人の作品に大きな注目・評価が寄せられるわけです。第一章 無数のビオトープが生まれているでは、ブラジル出身のミュージシャンのエグベルト・ジスモンチの日本公演の裏側が解説されており、アマゾンのジャングルの世界観や生命力を写し取ったような分類困難な音楽の魅力を伝えています。  
ジスモンチは楽器を自由自在に弾きこなす超絶技巧を持ち、クラシックでもジャズでもブラジル音楽でもない独特のサウンドの世界・魅惑を創造しているアーティストなのですが、日本では一部のマニアに知られているくらいでその知名度は極めて低い。こういった(生み出す音楽そのものは素晴らしいが知名度が高くない)アーティストのライブを成功させるためにはどうすれば良いのかが、どうすればジスモンチの音楽に興味を持ってくれる層にピンポイントの告知情報を届けられるのかが模索されます。音楽プロモーターの田村直子さんのアイデアと宣伝・告知の活動が紹介されますが、そこで佐々木俊尚さんが提示するビオトープ(biotope)という概念がなかなか面白い。  
ビオトープとは小規模な生態系(興味関心の志向性を共鳴させる人たち)のユニットが存在する場所であり、ある情報を求める人が存在している場所として定義されていますが、このビオトープという概念が情報発信で有効化してきた背景には、国・民族ごとの興味・共感の垂直統合のシステムが既に崩れかかっているという事があります。ジスモンチのような普遍性のある音楽に共鳴してくれるであろうファンのビオトープは、出身地のブラジル国内だけにあるわけではなく、アメリカや日本、フランス、ドイツ、中国、インド、セネガルなど世界の各地に幅広く散在していて、一つの国だけで通用するローカルな音楽文化の枠組みには収まりきらないのです。  
マスメディアの情報発信機能の独占によって、国ごとに興味関心や話題が垂直統合されていた時代には、新聞・テレビ・ラジオ・雑誌のマスメディア4媒体と折り込みチラシなどだけで、人々の興味の方向性や購買行動を大まかにコントロールすることもできたのですが、インターネットが登場して個人が情報発信拠点としての力を持つようになってきてからは、現代思想でいう島宇宙化(個別の関心領域やコミュニティ性の細分化)が急速に進むようになっています。島宇宙化の社会現象の変化は、ビオトープの細分化・多様化と言い換えることもできるわけですが、ウェブサイトやブログ、検索エンジン、SNSなどを経由する情報の流通経路・コミュニケーション回路が複雑化して、人々が本当に自分が好きな分野・関心事・コミュニティに引き寄せられるようになっています。  
マスメディアが主導するブームや流行に乗っからない小さなビオトープの領域が広がるようになり、ウェブの世界とリアルの世界とが相互接続されることで、次々に色々なウェブ内外の場所で新たなビオトープ(ある情報を求める人たちが存在する場所)が予測困難な形で生成されたり消滅したりしているのです。  
ジスモンチの音楽を聴いてくれる人たちはどこにいるのか?どこにコンサートの情報を告知すればもっとも効果的にジスモンチと共鳴するビオトープに情報を届けられるのか?を試行錯誤する田村直子さんは、フライヤーとウェブサイト(メーリングリスト登録)、専門雑誌への広告などを駆使して、従来のマスメディア広告とは異なる戦略を採用します。  
ジスモンチの来日コンサートに関する情報を極限まで絞り込むことで、逆に一体どんな団体や人物がジスモンチのコンサートを企画しているのかという好奇心を煽りたて、日本では余り知られていないジスモンチの700席の会場を準備したコンサートを成功に導いたのです。ビッグビジネスを取り扱うマスメディアや大企業からすれば小さな成功に過ぎないと佐々木氏は語りますが、それと同時にウェブ社会に適応した新たなビオトープ探しのビジネスモデル(必要としている場所に最適な情報を流し込むようなビジネス)の方向性が示されるのです。  
テレビ・新聞・ラジオ・雑誌といったマスメディアでは、画一的・一般的な情報や宣伝を数十万人〜数千万人のオーダーで大量にばら撒くことで、みんなが知っている作品・人物・商品・話題を人為的に作り上げてきたわけですが、ウェブ社会ではメディアが創作する流行・話題・人気がかつてほど強力なマスマーケティングの成功につながりにくくなっています。 
他者の眼差しに制御された戦後日本の“記号消費・階層意識”  
第二章 背伸び記号消費の終焉というジャン・ボードリヤールの著作をイメージさせるような表題がつけられた章では、映画業界と音楽業界が斜陽化してきた背景をバブル景気の期待・マス消費の幻想と絡めて詳述しています。インターネットの登場によってコンテンツの希少性(コンテンツに対する飢餓感)が格段に縮減されたために、マスメディアがとにかく宣伝してブームを作れば売れるという時代は終焉に近づいています。  
マスメディア主導型のコンテンツの大量生産・大量消費・マス広告の仕組みが通用しづらくなり、インターネットの配信型ビジネスやコンテンツ検索、シェアサービスの普及によって、コンテンツの氾濫(供給過剰)によるアンビエント化が進んだのです。佐々木氏はアンビエント化とは、動画・音楽・書籍などのコンテンツが大量に生産されて、いつでもどこでも好きな時に手に入る形で漂っている状態だと説明していますが、このアンビエント化はiTunesやYoutube、電子ブックリーダー(Kindle)などのイノベーションが必然的にもたらしたものでもあります。  
大量無数のコンテンツが漂い始めるアンビエント化は、コンテンツの価値をフラット化してマス広告の効果を低下させるだけでなく、信頼する人・好きな人・憧れる人からのコンテンツの評価(口コミ)の影響力を高め、人と人のつながりやソーシャルメディア上のコミュニケーションがフラットなコンテンツの再評価(広告・マスコミが干渉しづらい真の評価)を促進していってしまうのです。  
画一的で誘導的なマスコミュニケーションの有効性が低下していく要因には、人々がそれぞれの興味や嗜好に応じてコンテンツを消費するビオトープ(志向性の集団)が細分化していることがあり、みんなが持っているものを買う・他人より少し良いものを買うという近代の大衆社会・階層意識を支えていた記号消費の衰退があります。佐々木氏は商品・サービスの機能(効果)そのものを買う機能的消費と社会の人々が認めている社会的ステータス(社会的価値)を買う記号的消費とを区別して、ウェブ社会では見栄と関係する記号的消費は無くなりはしないが、商品を使うために買う(自分がただ好きで欲しいから買う)という機能的消費のほうが優勢になってくると予測しています。  
記号的消費というのは、トヨタのヴィッツよりもレクサスLSシリーズのほうが社会的ステータスが高くてカッコいい(お金のある社会的成功者として周囲に見られるという価値を買いたい)といった社会全体でおよそ共通する価値観に根ざした消費です。その商品・サービスを買うことによって周囲が自分を反射的に評価する目線が良い方向に変わることを期待するもので、その前提には、社会の大多数の人がレクサスLSやメルセデスベンツの金額の高さ・ステータス性を人生のどこかで知らされているはずという予測があります。そして、実際に大半の人は自分自身がそういった高級車を欲しいと思うか否か(自分の感覚としてカッコいいと思うかどうか)は別として、新車のレクサスLSやベンツSクラスは1000万円程度はする高い車で、普通のサラリーマンの給料ではまず買えない車種という事は知っているわけです。  
高度経済成長期を経たバブル景気の日本では、自分の社会的ステータスや帰属階層をグレイドの高い商品(消費できる購買力)を介して伝えようとする記号消費が全盛に達し、メルセデスベンツやロレックス、ルイヴィトン、ロマネコンティ、アルマーニなどの記号としてのブランド価値に大金を支払う人が増大したのですが、テレビや新聞、マス広告が商品・サービスのグレイド(相対価値)の階層性を作り上げる役割を果たしてきたわけです。みんながその商品を高級品であると知っていて、社会経済的に成功した人(余裕のある人)しかなかなか消費(購入)できないことを知っているからこそ、人々は少し無理をしてでも今よりもグレイドの高い商品をローンを組んだりして買おうとしてきたのです。  
自動車であれば最高級の記号として機能するのはロールスロイスやメルセデスベンツ、ジャガーなどであり、不動産であれば高級住宅街の立地と敷地面積、評価額などですが、バブル崩壊前のサラリーマンを中心とする人々は、自分がそういった最高級の記号消費にまでは行き着けないことは分かりながらも、自分なりの記号消費の上昇(経済的成功によって自分に相応しい商品を消費して身に付ける・いつかはカローラからクラウンへの世界観)を目指したのでした。佐々木氏は、今よりも社会的価値が高い自分になったのだと実感するために、あるいは、今よりも上の経済階層に進んだのだと周囲(社会)に見てもらうために、少し背伸びをして記号的消費をすることを背伸び記号消費と呼んでいて、この背伸び記号消費は世間体や見栄の心理と深く関わっています。  
そこには自分が社会の底層や貧しい境遇にいるのではなく、まさに人並みの中流階層に参画しているのだという自尊心があり社会的承認の欲求があったわけですが、佐々木氏はこの記号的消費による承認欲求の強度の時代的な変化を、それぞれの時代を象徴する若者の犯罪によって代理表象していて、この部分がキュレーションの時代の読みものとしては最も読み応えがあります。  
第二章で取り上げている事件は、永山則夫のピストル連続射殺事件・酒鬼薔薇聖斗事件・秋葉原無差別事件ですが、1960年代の永山則夫は貧しくて冴えない農村出身者(学歴もお金もない田舎者)として周囲に見られる自己アイデンティティを変革しようとして、ロレックスの腕時計やポールモールの洋モクといった記号的消費を背伸びして無理に行い、少しでも自分を社会階層的に上位の存在として周囲に認めさせようとするのですが、その見栄・承認欲求の過剰と他者のまなざしの想像によって自滅していくのです。  
1960年代の永山則夫が農村社会的なしがらみや自分を劣った存在と見なすまなざし(の想像)から、記号的消費の高級品を介して必死に逃げようとしていたのに対して、地域社会の衰退を背景に世間体の拘束が弱ってきた1990年代の酒鬼薔薇聖斗は、他者の視線が及ばない透明な存在になった自分にアイデンティティを付与するために、他者のまなざしをその評価の高低を問わずに求めるようになったというストーリーを紡ぎます。  
永山則夫は暑苦しいくらいの他者・共同体からの干渉やまなざしからどうにかして逃げ出したいと思い、自分独自のアイデンティティを記号消費(他者から商品所有を通して認められること)によって構築しようとしますが、酒鬼薔薇や秋葉原事件の加藤智大は他者からのまなざし(自己存在の承認)を求めて、リアル社会やウェブ社会に複雑にねじれた接続の仕方をしてしまった事例として取り上げられます。  
人はさまざまな行動を通して社会との関係性を求めており、他者の好意的なまなざし(尊敬・親愛・愛情)を求めているわけですが、インターネットが民衆に普及していない1990年代以前の時代には、不特定多数の内面・価値観と直接コミュニケートする手段がないので、記号的消費を通して人々は自分の社会的位置づけや他者からの承認の度合いを推測するしかなかったわけです。  
クラウンに乗っていれば企業の上級幹部で、ピアノやお花を習っていればお嬢様で、クラシック音楽を聴いていれば上品な家庭環境でといった社会の共通認識のコードが少しずつ崩されていくことで、マスメディアが創造して広告などで普及させてきた消費行動とリンクした階層意識や記号消費を介した他者や社会とのバーチャルなつながり(ある種の優越感ゲーム)も衰えていきやすくなっています。  
では、ウェブ社会では社会や他者との関係性をどのようにして確認するのかという話になりますが、ウェブの普及が引き起こした最大の情報革命は不特定多数の他者と興味関心・趣味をベースにして直接つながれること(コミュニケーションできること)であり、かつてのような記号としての商品価値を介在した間接的コミュニケーションに頼る必要性が落ちてきているのです。  
商品・サービスを消費する場合にも、そこに他者との共感・共鳴の物語的なコンテキスト(文脈)があったほうが商品が売れやすいし、気分的にも盛り上がって満足度の高い買い物につながるという事です。今人気のあるアイドルグループAKB48なども、ファン層の芸能活動への参加意識(応援実感)やつながり(接続)を煽ることで消費行動の満足度を高める営業戦略と解釈できるかもしれませんが、現代では消費することによって社会・他者との共感(つながり・参加感覚)を実感できるようなビジネスの仕組みが隆盛しているようです。 
キュレーターの視座を介した世界の拡張とグローバルな変化  
社会との接続・承認や他者とのつながり・共感のために、物語的なコンテキストをセットにした消費が増大することになり、更には商品の消費による間接的承認よりも場・行為による直接的承認(何かを一緒にすることや話すことを楽しむ)のほうが優勢になってきているというのは、社会変動の実態の一面を上手く捉えています。  
第三章「視座にチェックインする」という新たなパラダイムでは、スマートフォンのGPS機能を利用して自分の現在位置を友人に伝えて、その場所に関する情報を共有するフォースクエア(Foursquare)というウェブサービスを中心にして、位置情報がfacebookやTwitterとリンクしていくことによる新たな情報流通や行動様式の変化の可能性を模索しています。このGPS情報を活用したチェックインの仕組みは、現在では日本のmixiにも導入されていますが、普通に考えると確かに今自分がいる地点・場所を他人に伝えて何が面白いのかとなりやすいのですが、ウェブと現実社会をリアルタイムに接続する補助的な情報としてその活用範囲はビジネスからコミュニケーション、情報共有まで非常に幅広いのです。  
フォースクエアのような自分の位置情報を公開するサービスが、どういった発展の可能性を持っているかの具体的な事例については本書を読んで欲しいのですが、ウェブ上のビジネスや広告販促に関しては、買い手と売り手のダイレクトな関係性(その関係の持続性)に依拠してモノを売りながら共感を育む(相互にリスペクトして応援し合う)といった形式が増えてくることが予見されています。自分の今いる場所を公開するチェックインのプライバシー問題に言及しながら、未来社会では自分の生活行動や人間関係の履歴を半ば自動的にデータベース化していくライフログが非常に重要な位置づけを占めるようになるという話もされますが、それはウェブ社会とリアル社会の境界線が今以上に揺らいで一体化の度合いを強めるという事でもあるのでしょう。  
こういったウェブサービスの激変と言っても良い変化の中で、私たちの生活や人間関係、情報収集は一体どのように変わっていくのかというのが、本書キュレーションの時代の大テーマになるわけですが、チェックインする視点と多様性・可変性を持つ視座(他人の目線と価値観を通した世界)いうのが重要なキーワードになっています。チェックインする視点というのは検索エンジンにチェックインしたり場所にチェックインしたりすることで情報を得る視点のことですが、この視点は自分の価値観や場所を中心にしているがゆえに見渡せる世界の範囲に自ずから限界が生じるというわけです。  
多様性・可変性を持つ視座というのは、現在ウェブやソーシャルメディアを利用している人ならば、誰もが当たり前にやっていることであり、簡単に言えば他人の意見・考えやレコメンデーション(推薦)を参照して自分ひとりでは興味を持てなかった領域に光を当てることであり、他人の価値観やスタンスを通して広大な世界をより柔軟な姿勢で見渡せるようになることなのです。そして、ウェブ上の広大無辺な情報の海の中から、自分にとって必要な情報や感動的なコンテンツ、有益な知識の在り処を指し示してくれる豊かな視座を提供してくれる人こそがキュレーター(curater)であり、本書のタイトルにあるキュレーションの時代における主役なのです。  
キュレーター(curater)にせよキュレーション(curation)にせよ、日常生活の中ではほとんど耳にすることが無い言葉ですが、キュレーターというのは自分とは異なる感受性や価値観を生かして豊かで有益な視座を提供してくれる信頼・共感・好意敬意を寄せられる人物のことであり、本来の展示会をコーディネイトする学芸員の意味を飛び越えて、ウェブ社会において情報の流通・選別を司る者という重厚でエキサイティングな定義が付与されています。  
アンゲラ・ランプはロシア・アヴァンギャルドの前衛芸術とマルク・シャガールの芸術と思想を結びつけて展示するのですが、この画期的な試みによって誰もが知っているシャガールの絵に、今まで誰も連想したことがなかったロシアの民俗的根源性や前衛技術との歴史的なかかわりという新鮮なコンテキスト(意味ある文脈)が付与されることになります。この新鮮な物語として機能するコンテキストを生み出したアンゲラ・ランプは、本書で指摘されているように従来な学芸員としてのキュレーターであるだけでなく、情報の流通・選別を司って新たな価値を生み出すキュレーターになっているのです。  
キュレーターは膨大な数のノイズが含まれる情報の大海から意味ある情報をフィルタリングして、その情報・コンテンツに今まで他の人が見出せなかったコンテキスト(物語的文脈)を付与するのですが、本書を全体を通して読み進めると、キュレーターが実現するキュレーションとは人と人のつながりを介した意味・共感・発見のある情報流通の形態と言う風にまとめて定義することができると思います。これは裏返していえば、キュレーターの視座が介在しない単体としての情報価値が低下しているということであり、コンテンツ+文脈+キュレーター(信頼できたり共感できたりする他者の視座)のパッケージングが作られることによって、コンテンツの価値は格段に高まっていくということでもあります。  
インターネットの普及発展が必然的な社会変動として招来しようとしているキュレーションの時代は、facebookやTwitter、mixiといったソーシャルメディアのプラットフォームの普及と切り離して考えることはできず、情報の伝達+人と人のつながり+共感共鳴を前提とする消費によってウェブとリアルの境界線が揺らぎ、何に社会的価値(ビジネス価値)があるのかのセマンティックボーダー(意味の境界)が組み替えられていくのです。  
本書キュレーションの時代は新書としてはかなりページ数のある分厚い本であり、そこに収載されている話題やテーマ、エピソードも数多いのですが、日常的に現在のウェブサービスを使っている人であれば、無意識的にやっている事の多くがキュレーションの情報の流通・選択・活用にそのまま当てはまっていると感じることができると思います。その意味では、ウェブサービスやその周辺分野に該博な知識を持つ佐々木俊尚氏がまとめたソーシャルウェブ登場以後のウェブとリアルの統合化を主軸に据えて書かれた本といっても良いのですが、時代文化的にこの変化を眺めれば確かに数年前には想像できなかったコペルニクス的転換と呼べるようには思います。  
最後の第五章私たちはグローバルな世界とつながっていくでは、政治的な対立や地理的な国境にとらわれずにアンビエント化して拡大していく文化・流行、そしてアングロサクソン族の白人文化が世界の普遍的なスタンダードを形成してきた時代の斜陽が示されており、特定の文化・価値を強制しなかったモンゴル帝国のような文化・作品・思想の多様性を許容するプラットフォームがウェブ上に構築される未来が予見されています。  
最後はグローバル社会とウェブ文化の相互作用が語られ、人類が切り開いていく情報社会の共通プラットフォームという余りに壮大で革新的なビジョンが展開されていくわけですが、グローバル感覚―ローカル感覚の両立・多種多様なキュレーターの並立を可能にして人々を幸福にするようなビオトープの形成が為されることに期待したいという思いにさせられました。佐々木俊尚キュレーションの時代は、リアルタイムで急速に進行しているウェブ上の変化が、私たちの生活や意識、人間関係、情報(=キュレーター)との付き合い方をどのように変えていくのかを豊かな事例を引きながら詳述している書であり、自分のウェブ・リアルにおける現在位置(情報活用のあり方)を確認するトリガーとして機能するような内容になっています。