博打事始め

小学生で 花札・競艇・競馬・パチンコを知る 
中学生で 麻雀を知る 
 
良かったか悪かったかは別にして 
社会人になって 
物に動じない勝負度胸のような下地作りにはなったような気がする


 
職人の手慰み 花札「おいちょかぶ」 
小学生の頃 
毎晩 住込み職人さんたち 座布団に舞う花札 
花札に花札をたたきつける音を楽しむ様子を見る 
きれいな花札 いつの間にか覚える ふざけて参加した
 
桐生競艇 阿左美沼 
小学生の頃 「行くかい?」自転車で小一時間だったか 
母が父と喧嘩したときの 気晴らし気分転換 
いつもは 隣の阿左美沼でボートを漕いで時間つぶし 
のんびりひがな母を待っていた
 
「やるかい」 
2-4だったか4-5だったか 母が1枚買ってくれた 当たった 
100円が何十倍かになることを知った 
競艇は最初のコーナーを回れば ほぼ着順は確定することを知る
  
 
 
足利競馬 
小学生の頃 兄の自転車の後ろに乗り行く 
行く前から兄は買う馬券を決めていた 
父からのお使いだった 織物の旦那衆のデキレース情報に従ってのこと 
当たると父から兄は小遣いをもらっていた
競馬場の中は畑だった 
夏とうもろこしか何かで発馬地点がよく見えないこともあった
 
   
 
 
パチンコ 
母をまねて 左手にパチンコ玉 右手でハンドルを操作 
「軍艦マーチ」「お富さん」が懐かしい
  
麻雀 
中学生の頃  
カチャカチャにぎやかな音 
兄たちの麻雀を横から見る いつの間にか覚える
  
面子がそろうまでの合間を埋める
  
役を覚える 楽しさを知る
  
社会人になって仲間内での新ルールを作った 
サイコロを振ってゾロ目がでたら表ドラ一個増やす(当然裏ドラも) 
ピンゾロならば表ドラ二個増やす 
リーチをかければ四個か六個のドラが楽しめる 
リーチ 9個のドラ入りで上がったことがある 
このルールは広がった

 
2011/1 
 
 
「負けない」は「勝つ」より難しい
私は、仕事でも人生でも、「負ける」という行為の99%は「自滅」だといっていいと思っている。実際にスポーツ、経済、ギャンブル、あらゆる世界でくり広げられている勝負において、「負け」の原因をつぶさに見ていくと、圧倒的に多いのは自滅で負けを引き寄せているパターンである。 
世の中のあらゆることは動いている。さまざまなものごとが絶え間なく動き、変化することで世の中が成り立っている。流れが止まれば生き物はたちどころに死に絶え、この世はこの世でなくなる。つまり「生きる」ことは動きや変化に対応し、順応するということ。そしてそれは、あらゆる世界に通じる真理でもある。勝負の世界だって例外ではない。動きを観察していれば気づきが生まれ、相手の変化に対応できるようになる。「負けない」技術は、そうしたことのくり返しで徐々に身についていくものなのである。 
「勝つ」も「負けない」も、結果的には同じことを意味しているが、その本質はまったく別のものだ。「勝ちたい」という気持ちは、欲望と同じで限度がない。限度がないからそれを達成するために汚いこと、ずるいことなども平気でするようになってしまう。 
もう一方の「負けない」という気持ちは、「勝ちたい」よりも人間の“素”の部分、本能に近いところにある。 
勝ったまま死んでいく人はこの世にひとりとしていない。ただ、負けないように死んでいくということはできるかもしれない。 
ビギナーズラックはけっして偶然ではない。ビギナーズラックは起こるべくして起こっているのだ。「難しく考えない」ここにビギナーズラックの必然性がある。人は、ものごとがわかってくるとだんだん難しく考えるようになる。知識や情報が増え、考えが広がってくると、そこに迷いが生じてくる。 
勝負は複雑にすればするほど、「負け」へと近づくことになる。勝負の世界でも「シンプル・イズ・ベスト」ということがいえるのだ。