自業自得 分かれ道

自己崩壊
自業自得

自浄再生できるか 自民党


 
 
 
一強独裁 傲慢さが募る
優先順位 家族親族 お友達 すり寄り茶坊主
自業自得
民は蚊帳の外 心離れました
 
 
 
このままなら
自己崩壊
 
 
 
自己崩壊なら
派閥  党員 右往左往
 
 
 
お役人
しばらく 忖度不要
楽しくお休み

 
 
 
庶民
気分転換 ちょっとだけ野党

 
 
 
新聞紙 テレビ 自称評論家
風見鶏 口をつぐむ 

 
 
 
野党
もりかけで手一杯 お疲れ
役割思い出し もうひと頑張り
 
 
 
党の行き先  分かれ道
立党精神 初心もう一度
 
 
 
● 1955 昭和30年11月15日
 
立党宣言
政治は国民のもの、即ちその使命と任務は、内に民生を安定せしめ、公共の福祉を増進し、外に自主独立の権威を回復し、平和の諸条件を調整確立するにある。われらは、この使命と任務に鑑み、ここに民主政治の本義に立脚して、自由民主党を結成し、広く国民大衆とともにその責務を全うせんことを誓う。
大戦終熄して既に十年、世界の大勢は著しく相貌を変じ、原子科学の発達と共に、全人類の歴史は日々新しい頁を書き加えつつある。今日の政治は、少なくとも十年後の世界を目標に描いて、創造の努力を払い、過去及び現在の制度機構の中から健全なるものを生かし、古き無用なるものを除き、社会的欠陥を是正することに勇敢であらねばならない。
われら立党の政治理念は、第一に、ひたすら議会民主政治の大道を歩むにある。従ってわれらは、暴力と破壊、革命と独裁を政治手段とするすべての勢力又は思想をあくまで排撃する。第二に、個人の自由と人格の尊厳を社会秩序の基本的条件となす。故に、権力による専制と階級主義に反対する。
われらは、秩序の中に前進をもとめ、知性を磨き、進歩的諸政策を敢行し、文化的民主国家の諸制度を確立して、祖国再建の大業に邁進せんとするものである。
右宣言する。
 
綱領
一、わが党は、民主主義の理念を基調として諸般の制度、機構を刷新改善し、文化的民主国家の完成を期する。
一、わが党は、平和と自由を希求する人類普遍の正義に立脚して、国際関係を是正し、調整し、自主独立の完成を期する。
一、わが党は、公共の福祉を規範とし、個人の創意と企業の自由を基底とする経済の総合計画を策定実施し、民生の安定と福祉国家の完成を期する。
 
党の性格
一、わが党は、国民政党である / わが党は、特定の階級、階層のみの利益を代表し、国内分裂を招く階級政党ではなく、信義と同胞愛に立って、国民全般の利益と幸福のために奉仕し、国民大衆とともに民族の繁栄をもたらそうとする政党である。
ニ、わが党は、平和主義政党である / わが党は、国際連合憲章の精神に則り、国民の熱願である世界の平和と正義の確保及び人類の進歩発展に最善の努力を傾けようとする政党である。
三、わが党は、真の民主主義政党である / わが党は、個人の自由、人格の尊厳及び基本的人権の確保が人類進歩の原動力たることを確信して、これをあくまでも尊重擁護し、階級独裁により国民の自由を奪い、人権を抑圧する共産主義、階級社会主義勢力を排撃する。
四、わが党は、議会主義政党である / わが党は、主権者たる国民の自由な意思の表明による議会政治を身をもって堅持し発展せしめ、反対党の存在を否定して一国一党の永久政治体制を目ざす極左、極右の全体主義と対決する。
五、わが党は、進歩的政党である / わが党は、闘争や破壊を事とする政治理念を排し、協同と建設の精神に基づき、正しい伝統と秩序はこれを保持しつつ常に時代の要求に即応して前進し、現状を改革して悪を除去するに積極的な進歩的政党である。
六、わが党は、福祉国家の実現をはかる政党である / わが党は、土地及び生産手段の国有国営と官僚統制を主体とする社会主義経済を否定するとともに、独占資本主義をも排し、自由企業の基本として、個人の創意と責任を重んじ、これに総合計画性を付与して生産を増強するとともに、社会保障政策を強力に実施し、完全雇用と福祉国家の実現をはかる。
 
党の使命
世界の情勢を考え、国民の現状を省み、静かに祖国の前途を思うに、まことに憂慮にたえぬものがあり、今こそ、強力な政治による国政一新の急務を痛感する。原子科学の急速な進歩は、一面において戦争回避の努力に拍車を加え、この大勢は、国際共産勢力の戦術転換を余儀なくさせたが、その終局の目標たる世界制圧政策には毫も後退なく、特にわが国に対する浸透工作は、社会主義勢力をも含めた広範な反米統一戦線の結成を目ざし、いよいよ巧妙となりつつある。国内の現状を見るに、祖国愛と自主独立の精神は失われ、政治は昏迷を続け、経済は自立になお遠く、民生は不安の域を脱せず、独立体制は未だ十分整わず、加えて独裁を目ざす階級闘争は益々熾烈となりつつある。思うに、ここに至った一半の原因は、敗戦の初期の占領政策の過誤にある。占領下強調された民主主義、自由主義は新しい日本の指導理念として尊重し擁護すべきであるが、初期の占領政策の方向が、主としてわが国の弱体化に置かれていたため、憲法を始め教育制度その他の諸制度の改革に当り、不当に国家観念と愛国心を抑圧し、また国権を過度に分裂弱化させたものが少なくない。この間隙が新たなる国際情勢の変化と相まち、共産主義及び階級社会主義勢力の乗ずるところとなり、その急激な台頭を許すに至ったのである。他面、政党及び政治家の感情的対立抗争、党略と迎合と集団圧力による政治、綱紀紊乱等の諸弊が国家の大計遂行を困難ならしめ、経済の自立繁栄を阻害したこともまた反省されねばならぬ。この国運の危機を克服し、祖国の自由と独立と繁栄を永遠に保障するためには、正しい民主主義と自由を擁護し、真に祖国の復興を祈願する各政党、政治家が、深く自らの過去を反省し、小異を捨てて大同につき、国民の信頼と協力の基盤の上に、強力な新党を結成して政局を安定させ、国家百年の大計を周密に画策して、これを果断に実行する以外に途はない。わが党は、自由、人権、民主主義、議会政治の擁護を根本の理念とし、独裁を企図する共産主義勢力、階級社会主義勢力と徹底的に闘うとともに、秩序と伝統の中につねに進歩を求め、反省を怠らず、公明なる責任政治を確立し、内には国家の興隆と国民の福祉を増進し、外にはアジアの繁栄と世界の平和に貢献し、もって国民の信頼を繋ぎ得る道義的な国民政党たることを信念とする。而して、現下政治の通弊たる陳情や集団圧力に迎合する政治、官僚の政治支配、政治倫理の低下の傾向等を果敢に是正し、国家と国民全体の利益のために、庶政を一新する革新的な実行力ある政党たることを念願するものである。わが党は右の理念と立場に立って、国民大衆と相携え、第一、国民道義の確立と教育の改革 第二、政官界の刷新 第三、経済自立の達成 第四、福祉社会の建設 第五、平和外交の積極的展開 第六、現行憲法の自主的改正を始めとする独立体制の整備を強力に実行し、もって、国民の負託に応えんとするものである。
 
党の政綱
一、国民道義の確立と教育の改革 / 正しい民主主義と祖国愛を高揚する国民道義を確立するため、現行教育制度を改革するとともに教育の政治的中立を徹底し、また育英制度を拡充し、青年教育を強化する。体育を奨励し、芸術を育成し、娯楽の健全化をはかって、国民情操の純化向上につとめる。
ニ、政官界の刷新 / 国会及び政党の運営を刷新し、選挙制度、公務員制度の改正を断行して、官紀綱紀の粛正をはかり、政官界の積弊を一掃する。中央、地方を通じ、責任行政体制を確立して過度の責任分散の弊を改めるとともに、行財政の簡素能率化をはかり、地方自治制度の改革を行う。
三、経済自立の達成 / 通貨価値の安定と国際収支の均衡の上に立つ経済の自立繁栄と完全雇用の達成をはかる。これがため、年次計画による経済自立総合政策を樹立し、資金の調整、生産の合理化、貿易の増進、失業対策、労働生産性の向上等に亘り必要な措置を講じ、また資本の蓄積を画期的に増強するとともに、これら施策の実行につき、特に国民の理解と協力を求める。農林漁業の経営安定、中小企業の振興を強力に推進し、北海道その他未開発地域の開発に積極的な対策を講じる。国際労働憲章、国際労働規約の原則に従い健全な労働組合運動を育成強化して労使協力体制を確立するとともに、一部労働運動の破壊的政治偏向はこれを是正する。原子力の平和利用を中軸とする産業構造の変革に備え、科学技術の振興に特段の措置を講じる。
四、福祉社会の建設 / 医療制度、年金制度、救貧制度、母子福祉制度を刷新して社会保障施策を総合整備するとともに、家族計画の助長、家庭生活の近代化、住宅問題の解決等生活環境を改善向上し、もって社会正義に立脚した福祉社会を建設する。
五、平和外交の積極的展開 / 外交の基調を自由民主主義諸国との協力提携に置いて、国際連合への加入を促進するとともに、未締約国との国交回復、特にアジア諸国との善隣友好と賠償問題の早期解決をはかる。固有領土の返還及び抑留者の釈放を要求し、また海外移住の自由、公海漁業の自由、原水爆の禁止を世界に訴える。
六、独立体制の整備 / 平和主義、民主主義及び基本的人権尊重の原則を堅持しつつ、現行憲法の自主的改正をはかり、また占領諸法制を再検討し、国情に即してこれが改廃を行う。世界の平和と国家の独立及び国民の自由を保護するため、集団安全保障体制の下、国力と国情に相応した自衛軍備を整え、駐留外国軍隊の撤退に備える。 
 
 
 
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● 2005 平成17年11月22日
 
立党50年宣言
わが党は民主主義のもとに、平和と自由を愛する国民政党として立党以来、ここに50年の歳月を刻んだ。この50年間、我々は国民の負託に応え、情理を尽くして幾多の問題を克服し、国家の安全と経済的豊かさを実現すべく、つねに主導的役割を果たしてきた。
この半世紀は、わが国が国際化の道を歩んできた時代でもある。
また、冷戦が終焉し、世界が大きく変動した時代でもある。
わが国は、いまや少子高齢化、国際テロリズムの激化への対応など多くの課題をかかえている。
我々は先人が明治の改革、戦後の改革に大胆に取り組んできたように、新しい党の理念と綱領に基づき、構造改革、行財政改革、党改革などの諸改革を進めていかなければならない。
我々はわが国の歴史と伝統と文化を尊び、その是をとって非を除き、道徳の高揚につとめ、国際社会の責任ある一員として積極的に活動する国家の実現を国民に約束する。
右、宣言する。
 
新綱領
○新しい憲法の制定を / 私たちは近い将来、自立した国民意識のもとで新しい憲法が制定されるよう、国民合意の形成に努めます。そのため、党内外の実質的論議が進展するよう努めます。
○高い志をもった日本人を / 私たちは、国民一人ひとりが、人間としての普遍的規範を身につけ、社会の基本となる家族の絆を大切に、国を愛し地域を愛し、共に支え合うという強い自覚が共有できるよう努めます。そのために教育基本法を改正するとともに、教育に対して惜しみなく資源を配分し、日本人に生まれたことに誇りがもてる、国際感覚豊かな志高い日本人を育む教育をめざします。
○小さな政府を / 私たちは、国、地方を通じて行財政改革を政治の責任で徹底的に進め、簡省を旨とし、行政の肥大化を防ぎ、効率的な、透明性の高い、信頼される行政をめざします。また、国、地方の適切な責任分担のもとで、地方の特色を活かす地方分権を推進します。
○持続可能な社会保障制度の確立を / 私たちは、思い切った少子化対策を進め、出生率の向上を図り、国民が安心できる、持続可能な社会保障制度を確立します。
○世界一、安心・安全な社会を / 私たちは、近年の犯罪の急増やテロの危険性の高まりに対し、断固たる決意をもって闘うとともに、災害に強い国づくりを進めることにより、日本を世界一、安心・安全な社会にします。
○食糧・エネルギーの安定的確保を / 私たちは、世界の急速な変化に対応するため、食糧とエネルギー資源を確保し、経済や国民生活の安定に努めます。特に、食糧の自給率の向上に努めるとともに、食の安全を確保します。
○知と技で国際競争力の強化を / 私たちは、わが国の質の高い人的資源と技術力を基礎に、新しい産業の育成にも力を注ぎ、国際競争を勝ち抜くことのできる、活力と創造力あふれる経済の建設をめざします。特に、日本の中小企業の活力を重視し、また、最先端技術の基礎的、独創的な研究開発を推進し、知と技によって支えられる科学技術立国をめざします。
○循環型社会の構築を / 私たちは、自然も人も一体という思いから、地球規模の自然環境を大切にし、世界の中で最も進んだ持続可能な循環型社会の構築をめざします。
○男女がともに支え合う社会を / 私たちは、女性があらゆる分野に積極的に参画し、男女がお互いの特性を認めつつ、責任を共有する「男女がともに支え合う社会」をめざします。
○生きがいとうるおいのある生活を / 私たちは、ボランティア活動や身近なスポーツ・芸術の振興、高齢者や障害者の社会参加を促進し、生きがいとうるおいのある生活をめざします。そのため、NGO・NPO諸団体をはじめ、あらゆる団体との交流を深め、また、まじめに働く人たちの声を大切にします。
 
新理念
○わが党は、すべての人々の人格の尊厳と基本的人権を尊重する、真の自由主義・民主主義の政党である。
○わが党は、自国の安全はみずからが守るという、気概と使命感をもち、正義と秩序を基に世界平和を希求し、その実現に貢献する政党である。
○わが党は、貧困・疾病・環境など人類が直面する課題の改善に貢献し、地球規模の共生をめざす政党である。
○わが党は、常に長期的・国際的視点に立ち、日本の方向を定め、改革を断行し、また、直面する課題に対しても安易な迎合に堕することなく、強い責任感と実行力をもって対処する責任政党である。
○わが党は、先人達が築き上げてきた日本の伝統と文化を尊び、これらを大切にし、その発展をめざす政党である。
○わが党は、政治は国民のものとの信念のもとに、都市・地方の幅広い支持のうえに立つ国民政党である。 
 
 
 
● 2010 平成22年1月24日
 
綱領
○現状認識
我が党は、「反共産・社会主義、反独裁・統制的統治」と「日本らしい日本の確立」―の2つを目的とし、「政治は国民のもの」との原点に立ち立党された。平成元年のベルリンの壁の崩壊、平成3年のソ連邦の解体は、この目的の1つが達成されたという意味で、我が党の勝利でもあった。
そこに至るまでの間、共産主義・社会主義政党の批判のための批判に耐え、我が党は現実を直視し、日米安全保障条約を基本とする外交政策により永く平和を護り、世界第2の経済大国へと日本を国民とともに発展させた。
日本の存在感が増すにつれ、国際化のなかで我々は多くのものを得た反面、独自の伝統・文化を失いつつある。長寿国という誇るべき成果の反面、経済成長の鈍化と財政悪化からくる財政諸機能の不全に現在も我々は苦しんでいる。少子化による人口減少は国の生産力を低下させると言われる。
我が国は、これ等の現実を明るく希望ある未来に変えるため、少子化対策とともに、教育の充実と科学技術開発に国民資源を注力することにより生産性を向上させ、長寿人口の活用と国民資質の向上、国際化への良き対応により、経済成長が達成でき、国民生活の充実が可能なことを世界に示さねばならない。
我々は、日本国及び国民統合の象徴である天皇陛下のもと、今日の平和な日本を築きあげてきた。我々は元来、勤勉を美徳とし、他人に頼らず自立を誇りとする国民である。努力する機会や能力に恵まれぬ人たちを温かく包み込む家族や地域社会の絆を持った国民である。
家族、地域社会、国への帰属意識を持ち、公への貢献と義務を誇りを持って果たす国民でもある。これ等の伝統的な国民性、生きざま即ち日本の文化を築きあげた風土、人々の営み、現在・未来を含む3世代の基をなす祖先への尊敬の念を持つ生き方の再評価こそが、もう1つの立党目的、即ち「日本らしい日本の確立」である。
我が党は平成21年総選挙の敗北の反省のうえに、立党以来護り続けてきた自由と民主の旗の下に、時代に適さぬもののみを改め、維持すべきものを護り、秩序のなかに進歩を求め、国際的責務を果たす日本らしい日本の保守主義を政治理念として再出発したいと思う。
我々が護り続けてきた自由(リベラリズム)とは、市場原理主義でもなく、無原則な政府介入是認主義でもない。ましてや利己主義を放任する文化でもない。自立した個人の義務と創意工夫、自由な選択、他への尊重と寛容、共助の精神からなる自由であることを再確認したい。従って、我々は、全国民の努力により生み出された国民総生産を、与党のみの独善的判断で国民生活に再配分し、結果として国民の自立心を損なう社会主義的政策は採らない。これと併せて、政治主導という言葉で意に反する意見を無視し、与党のみの判断を他に独裁的に押し付ける国家社会主義的統治とも断固対峙しなければならない。
また、日本の主権を危うくし、「日本らしい日本」を損なう政策に対し闘わねばならない。我が党は過去、現在、未来の真面目に努力した、また努力する自立した納税者の立場に立ち、「新しい日本」を目指して、新しい自民党として、国民とともに安心感のある政治を通じ、現在と未来を安心できるものとしたい。

1.我が党は常に進歩を目指す保守政党である
(1)正しい自由主義と民主制の下に、時代に適さぬものを改め、維持すべきものを護り、秩序のなかに進歩を求める
(2)勇気を持って自由闊達(かったつ)に真実を語り、協議し、決断する
(3)多様な組織と対話・調整し、国会を公正に運営し、政府を謙虚に機能させる
2.我が党の政策の基本的考えは次による
(1)日本らしい日本の姿を示し、世界に貢献できる新憲法の制定を目指す
(2)日本の主権は自らの努力により護る。国際社会の現実に即した責務を果たすとともに、一国平和主義的観念論を排す
(3)自助自立する個人を尊重し、その条件を整えるとともに、共助・公助する仕組を充実する
(4)自律と秩序ある市場経済を確立する
(5)地域社会と家族の絆・温かさを再生する
(6)政府は全ての人に公正な政策や条件づくりに努める
  (イ)法的秩序の維持
  (ロ)外交・安全保障
  (ハ)成長戦略と雇用対策
  (ニ)教育と科学技術・研究開発
  (ホ)環境保全
  (へ)社会保障等のセーフティネット
(7)将来の納税者の汗の結晶の使用選択権を奪わぬよう、財政の効率化と税制改正により財政を再建する
3.我が党は誇りと活力ある日本像を目指す
(1)家族、地域社会、国への帰属意識を持ち、自立し、共助する国民
(2)美しい自然、温かい人間関係、「和と絆」の暮し
(3)合意形成を怠らぬ民主制で意思決定される国と自治体
(4)努力するものが報われ、努力する機会と能力に恵まれぬものを皆で支える社会。その条件整備に力を注ぐ政府
(5)全ての人に公正な政策を実行する政府。次世代の意思決定を損なわぬよう、国債残高の減額に努める
(6)世界平和への義務を果たし、人類共通の価値に貢献する有徳の日本  
 
 
 
党の行き先  分かれ道
どんな道
 
 
 
考えるのは面倒 世界の政治潮流に学ぶ
自国・ファースト
 
 
 
ジャパン・ファースト 
最適任者 安倍総裁
よって再選三期
 
 
 
実績は絶大
多くの文化を創りました
    天上天下唯我独尊
   一族郎党政治
   茶坊主の増産
   忖度行政
 
 
 
自浄再生できるか 
派閥戦争してみませんか
「禅譲」 馬鹿の夢
 
 
 
美しい日本
自己崩壊 しないことを願います
 
 


2018/4
 
 
●自業自得 
仏教用語。みずから行なった善悪の行為によって,本人自身がその報いを受けること。よい行為によってよい結果がその本人に生じ,悪い行為によって悪い結果がその本人に生じること。転じて,自分のしでかしたことだから悪い報いを得てもやむをえないということ。
幸せ不幸せという運命は一体、何によって決まるのでしょうか? 仏教では、運命の原因と結果の法則を一言で、自業自得と教えられています。
自業自得というと何か悪いことが起きた時だけに使うことが多いようです。例えば、全く勉強せずに遊びほうけていて、留年をしてしまった学生に対して、 「勉強しなかった君の自業自得でしょ」と言います。酒を飲みすぎて二日酔いになってしまった人が、 「飲みすぎた。自業自得だ」と自分で言ったりします。このように、うまくいかなかったり、ひどい目にあったりした原因が、 元をただすと自分の行いにあったと分かった時、「自業自得」と言います。
しかし、自業自得の本当の意味からいうと、悪いことが起きた時だけが自業自得ではありません。 善い結果が起きた時も自業自得なのです。
自業自得の業とは、カルマという昔のインドの言葉を漢字で表したものです。 日本語では、行為、行いという意味です。ですから、自業自得は、自分の行いの結果を自分で得る、という意味なのです。
自分の行いの結果は、自分に返ってきます。自分が一生懸命勉強すれば、自分の成績が上がります。 お酒を控え、食生活にも気をつけていれば、 自分の体が健康になります。これらは、自分の行いが自分に返ってきたのですから、自業自得なのです。つまり、「あなたの幸せ、不幸せを決めているのは、あなたの行いなのだよ」 とお釈迦さまは教えられています。これが自業自得という言葉の本来の意味なのです。私たちは物事が思いどおりにいかなかったり、苦しいことや失敗が続いたりしてしまうと、 なんで俺だけ、私だけこんな目にあうのだろう、頑張ってもどうせダメだと投げ出したい気持ちになってしまいます。
ですが、お釈迦さまは、「自分の行いは間違いなく自分に返ってくる。  あなたの行いは、あなたを裏切らないのですよ」 と言われています。だから、自分の行いを信じて頑張れば、必ず道は開けるのです。
自分の運命はどうなるのだろうと不安に思った時、このお釈迦さまの教えをものさしにしてください。
自業自得とは、「業」は、卒業の「業」の字を書いて、「ごう」と読みます。
意味は「行い」という意味です。インドの昔の言葉では「カルマ」といい、中国の昔の言葉で「業」といいます。日本の言葉でいうと「行い」です。ですから「自業」とは「自分の行い」という意味です。
「自得」とは「自分が結果、運命を得る」という意味です。
自業自得とは、自分の行為が自分の運命を生み出すということです。
私たちは、日常生活で、自分に悪い結果がきて、明らかに自分に原因がある時に「それは自業自得だよ」と使います。
例えば、授業をちゃんと聞かず、勉強しなかった学生が、試験前に、あたふた苦しんでいたら、「それは自業自得だよ」といいます。
よい結果がきた時には使いません。
一生懸命勉強して大学に合格した学生に「それは自業自得だね」という人はありません。
「自業自得」と使うのは、悪い場合に限られています。
この自業自得という言葉は、実は仏教から出た言葉です。仏教では、どういう意味でしょうか。
仏教では、悪い場合に限らず、良いのも悪いのも例外なく、すべての運命が自業自得と教えられています。
そういう意味では、大学合格も自業自得なのです。
行いと運命の関係を、このように教えられています。
善因善果(ぜんいんぜんか) / 悪因悪果(あくいんあくか) / 自因自果(じいんじか)
これを『因果の道理』といいます。『因果の道理』がわかれば、他人を恨まず、努力向上主義で、明るく楽しく毎日を過ごすことができます。
 
●自業自得と因果応報に違い
元々は仏教から
自業自得も因果応報ももともとは仏教からきている仏語となります。今から約1500年前に仏教が日本に伝わりました。その仏教の教えを端的に表したものが自業自得と因果応報になります。私たち日本人は宗教に関心があるとは言いにくい状態ですが、その教えは昔話などにより知らず知らずのうちに私たちの精神に刻まれています。
自業自得とは
○自業自得の意味
現代において、自業自得だよと言われるとまず良いイメージはわきません。
勉強をせずにテストを受けた結果、悪い点数が取れなかった場合、自業自得だと言われます。勉強をたくさんしてテストを受けた結果、良い点数が取れた場合、自業自得とは言いません。悪いことをした結果、悪いことが自分に返ってくるときに使用します。しかしこれは現代ならではの使い方なのです。
○仏語での自業自得
元々仏語での自業自得は、自分の行為の報いを自分自身が受けること、とされています。つまりテストで良い結果を得られたのも仏教では自業自得となるのです。 自業自得の業は行為、結果を伴う行為という意味となるので、実は善悪は関係がないのです。 現代において自業自得に良いイメージがないのは、子供に悪いことをしてはいけないという戒めのために使用されてきたせいと言えるでしょう。
因果応報とは
○因果応報の意味
こちらは良い意味でも悪い意味でも使用されていますが、自業自得と類似語として扱われています。
自業自得と違い、勉強に励んだ結果テストで良い点数を取ったのは因果応報である、という風に使っても良さそうです。また勧善懲悪を表す意味として昔話に使われたりもしています。例えば花咲かじいさんなどがそうです。おじいさんは親切にした犬から恩返しを受け、不親切にしたおじいさんには不幸が訪れました。これも因果応報と呼べるでしょう。
○仏語での因果応報
現代ではその場限りでの行いと結果に対して使われています。例えば先ほど例に挙げたように、テスト勉強を頑張った結果、テストで良い点数が取れたといった今の行為に対する結果に使っています。しかし仏教においては違います。仏教には前世というものが存在し、前世の因果が現代に影響するといわれています。それを因果応報と呼びます。つまり今の私が何か悪いことを行った場合、来世に影響を及ぼすということです。現代での使い方とは大きく違うのです。
自業自得と因果応報の違い
では自業自得と因果応報の違いはなんでしょうか。意味を書いたことによりはっきりと浮かび上がってきたと思います。
○意味によって使い分けるという違い
仏教においてはどちらも良い行いにも悪い行いにも使用しますが、現代においては自業自得は悪い行いに対して起こる結果にしか使用しません。仏教について正しい知識を持っていれば何となく違和感を覚えるこの違いですが、時代によって言葉の遣い方が変わっていくように、流れに沿って使用していければ良いかと思います。
○現在だけか死後も続くかの違い
今の自分の行いによって返ってくる得のことを自業自得、前世から今、今から来世へと続いていく因果と結果のことを因果応報と言います。とは言いましても今の日本では宗教信仰は残念ながら薄いため、因果応報も今現在起こっていることに対して使用することも多いです。 現在だけのことを指すか、死後のことも指すかが大きな違いでしょう。
○今が不幸なのは因果応報のせいなのか?
少々脱線しますが今がとても不幸せだとすればそれは何故なのでしょうか。自業自得なのであれば、自分の行いを正せば良いはずです。それでも今が改善しないのは何故なのでしょう。仏教的に言うと、因果応報により前世の業が今も受け継がれています。そのせいで今善行を積んでも不幸であるのかもしれません。じゃあ何をしたってしょうがないと諦めるのでなく、負の連鎖を断ち切るべく今善行を積むべきなのです。自業自得と因果応報の違いは負の連鎖を断ち切る行為という違いもあるのです。
○人生をより良く生きるための道しるべ
自業自得も因果応報も現代風にしてみると悪い意味で使われることが多いです。しかし逆にとってみればより良く生きるための道しるべになることに間違いはありません。自業自得なのであれば良い行いを行えばいいだけだし、因果応報なのであれば今が苦しくとも未来のために腐らず善行を積んでいけばいいのです。違いが理解できた今、仏教を信仰していなくても、自分の人生をより良く生きるために自業自得も因果応報も活用できるというわけです。 
 
●自業自得
「自業自得」というのは、『正法念経(しょうぼうねんぎょう)』に出てくる仏教の言葉で、『往生要集』にも引用されています。
「自業自得」の「業」は、行いのことです。
「自得」とは、自分が得た結果ですから、
「自業自得」とは「自分の運命は、自分の行いの報いですよ」
ということです。
あなたの運命は誰のせい?
仏教では、「すべての結果には必ず原因がある」という因果の道理に立脚して説かれています。自分に起きるすべての運命は、自分の行いの結果だと教えられています。
仏教では、因果の道理を根幹として、善因善果(ぜんいんぜんか)、悪因悪果(あくいんあっか)、自因自果(じいんじか)と教えられています。
善いたねをまけば幸せな運命が生み出され、悪いたねをまけば不幸や災難が引き起こされ、自分のまいたたねは、自分が刈り取らなければならないということです。
自分のたねまきに応じて、自分の運命が決まりますから、因に応じて果が報う「因果応報(いんがおうほう)」ともいわれます。
自業自得と思えないときもあります
ところが、そう簡単に自業自得と思えないときがあります。それは、どんなときかというと、自分に不幸や災難がやってきたときです。
自分に幸せがやってきたときには、自分の努力の結果だと思いますが、不幸や災難がきたときは、自分の責任ではないと思いたくなります。
例えば、
「今朝、遅刻してしまったのは、いつもと違って、急に渋滞したからだ」
「うまく売り上げが伸びないのは、不況だからだ。それとライバルが参入してきたからだ」
「子供がいじめに会合うのは、学校のせいだ。もっと言えば行政の責任だ」
などなど。
このように、不幸については、少しも自分の行いに責任があるとは頭をよぎらないのです。
そんなときも自業自得なのでしょうか?
結果が起きるのはどんなとき?因縁について
仏教では、すべての結果は、「因」と「縁」が和合して現れると教えられています。
お釈迦様は、このように説かれています。
一切法は因縁生なり。(大乗入楞伽経)
「一切法」とは、すべてのもののことです。すべてのものは、因と縁がそろって生じるということです。
因だけでも結果は起きませんし、縁だけで結果は起きません。
では因と縁とは何かといいますと、「因」とは、自分の行いのことです。
「縁」とは、環境や他人の行いなど、自分の行い以外のすべての要因です。
米でいいますと、因は、モミダネ、縁は、水や空気、温度、養分など、モミダネが米になるのを助けるものです。
なぜ自業自得?
では、例えば「今朝、遅刻してしまったのは、いつもと違って、急に渋滞したからだ」がなぜ自業自得なのでしょうか?
もし遅刻したのが本当に渋滞のせいだとすれば、少し不可解なのは、この朝、渋滞が起きたのに、同じ道を通って通勤している同僚の中で、遅刻したのは自分だけでした。何か自分に、他の同僚にはない原因がありそうです。
では「因」と「縁」と「果」は、それぞれどうなるかというと、まず「果(結果)」が遅刻です。次に、渋滞は、自分の行いではありませんから、因ではなく「縁」となります。
では「因」は何かというと、渋滞が起きる可能性があるのに、ぎりぎりに出発したという自分の行いにあります。他の人たちは、余裕を持って出発していたのです。
結果は、因だけでも起きませんから、確かにぎりぎりに出ても、渋滞という縁が来なければ、遅刻にはなりません。
しかし、縁だけでも結果は起きませんから、渋滞が起きても、ぎりぎりに出ていなければ、遅刻にはならないのです。
因だけでも縁だけでも結果は起きませんので、不幸や災難が起きたときには、必ず何か因があります。
ですからやはり自業自得です。
その行いを見ずに、結果を縁の責任にして、自分の行いを改善しなければ、次に同じ縁が来たときに、また同じ不幸が繰り返され、進歩も向上もないのです。
では生まれつきのことは?
生まれた時点のことについても、すべての結果には必ず原因がありますから、原因なしに何かが起きるということはありません。
原因は結果よりも前にありますから、「すべての結果には必ず原因がある」ことを認めれば、原因は、生まれる前にあることになります。
仏教では、私たちは、果てしない遠い過去から、永遠の未来に向かって、生まれ変わり死に変わり、生死生死を繰り返していると説かれています。
これを「輪廻転生(りんねてんしょう)」といいます。
ですから、生まれた時点での結果は、生まれる前の自分のたねまきを原因として、その報いが現れていると教えられています。
しかし、この記事を読めるということは、今のあなたは生まれた時点ではないと思いますので、生まれてからのたねまきだけでも、考えるべきことは足りなくならないのではないでしょうか。
自分の行いを変えるのさえ難しいのに、他人の行いは変えるのは至難の業です。
因果の道理を信じ、自分の行いを反省して、反省向上していきましょう。
因果の道理に立脚して説かれた本当の幸せになる道
そして、お釈迦さまが、この自業自得の因果の道理に立脚して、輪廻転生を教えられ、その苦しみ迷いから離れる道を明らかにされたのが仏教です。
この迷いの根元を知り、断ち切れば、生きているときに変わらない幸せになれます。 
 
●因果応報
人生には、色々な楽しみや苦しみが起きてきます。それらの楽しいことや、苦しいことは、どうして起きてきたのでしょうか。
その幸せや不幸を生みだしている法則が、仏教に説かれている「因果応報」です。
因果応報とは?
「因果応報」とは、 「因に応じて果が報う」ということです。
ですから因果応報とは、たねまきに応じた運命がやってくるという因果の道理のことです。因果の道理は、「縁起」と言っても同じで、 「縁起説」と言われることもありますが、この因果の道理のことです。
では、因果の道理とはどんなことなのでしょうか?
仏教の根幹
因果の道理は、仏教の根幹です。よく「仏教の中心思想は縁起説である」と言われたりしますが、要するに、因果の道理は仏教の根幹ということです。
「根幹」とは、根っこであり、幹である、ということです。
仏教を木にたとえると、因果の道理は、根っこであり、幹にあたります。
木には、枝が出て葉がしげり、花が咲いて、実がなります。それは、根っこがあり、幹があるからです。根っこや幹がなければ、木は枯れてしまいます。
お釈迦さまの説かれた一切経は、七千余巻のたくさんのお経ですが、その七千余巻の一切経を貫いているのが、因果の道理です。
仏教の根幹は因果の道理ですから、因果の道理が分からなければ、仏教は一切分かりません。
どんなに『法華経』の意味が知りたいとか、『華厳経』の意味が知りたいとか、『般若心経』の意味が知りたいと思っても、因果の道理が分からなければ、決して分かりません。それだけ重要なのが、因果の道理です。
因果の道理の「道理」とは?
まず、因果の道理の「道理」とは、三世十方を貫くもののことです。
「三世」とは、過去、現在、未来のことで、いつでも、ということです。「十方」とは、東西南北上下四惟(北東、北西、南東、南西)のことで、どこでも、ということです。
いつでもどこでも変わらないものを道理といわれます。
ですから、昔も今も、今からも成り立つ大宇宙の真理が、「道理」です。
では、いつでもどこでも変わらない大宇宙の真理とはどんなことでしょうか?
因果の道理の「因果」とは?
いつでもどこでも変わらない、大宇宙の真理とは何かというと、「すべての結果には必ず原因がある」ということです。これを「因果」といわれています。
もちろん、原因が分からないことはあります。 例えば、昔はなぜ伝染病になるのか分かりませんでした。そのため、神の怒りだとか、魔女のせいだとか、色々な原因を考えましたが、全部はずれでした。
しかしそれは、原因がないということではありません。
19世紀になると、科学が発展して、伝染病の原因は病原菌だと分かりました。
原因が分からないことはあっても、原因がないということは絶対にありません。
この世のことすべては、どんな小さな結果にも、必ず原因があるのです。
特に仏教では、私たちがもっとも知りたい運命の原因と結果の関係が教えられています。
運命をつむぎ出す原因と結果の法則
それが、善因善果(ぜんいんぜんか)、悪因悪果(あくいんあっか)、自因自果(じいんじか)のお釈迦さまのお言葉です。
これは、善いたねは、善い運命、悪いたねは、悪い運命を引き起こす。自分のまいたたねは、自分が刈り取らなければならないということです。
植物でいいますと、アボカドのたねをまけばアボカドが出てくる、柿のたねをまけば柿が出てきます。
アボカドのたねをまいて柿が出てきたり、柿のたねをまいてアボカドが出てくることは絶対にありません。
この「たね(因)」というのが、行いのことですので、善い行いは、幸せという運命を生みだし、悪い行いは、不幸という運命を引き起こす、自分の運命は、自分の行いが生み出すのだということです。
「因果応報」とは、善因善果、悪因悪果、自因自果という運命をつむぎ出す法則のことなのです。
因果応報のポイント
この因果応報というのは、幸せがやってきたときには、よく分かります。大学に合格したのは、自分が頑張って勉強したからだと思います。
お金が儲かったのは、自分が頑張って働いたからだとか、難しい局面を乗り越える自分のアイディアがよかったからだと思います。
ところが、因果応報が分からないのは、不幸が訪れたときです。
テストの点が悪かったときは、自分の勉強不足とはなかなか思えません。自分は頑張って勉強したのに、先生があんな問題を出すからだと思います。
仕事がうまく行かず、損したときには、自分は頑張って働いているのに、景気が悪いとか、ライバル社が悪いと思います。
しかし、因果の道理は、道理ですから、いつでもどこでも成り立つ大宇宙の真理です。自分の都合のよいときだけ、「自分が頑張ったからだ。因果応報は当然だ」と思って、自分に都合の悪いときは、「因果応報とはとても信じられない」と思うのは、一貫していません。
自分の都合に関係なく、因果応報は、いつでも成り立つ真理なのです。
運命の分かれ道
因果応報は、幸せが来たときには簡単に受け入れられますが、不幸が来たときには、なかなか受け入れられませんから、不幸がやってきたときに、自分のたねまきを反省できるかどうかが、今後の運命の分かれ道です。
パートナーが不倫をしたとき、相手が悪いと思いますが、接し方に問題があったり、実は自分も不倫をしていたりするかもしれません。
自分をたなにあげて、相手だけ変えようと思っても、事態が改善することはありません。
子供が言うことを聞かずに困っていたら、実は自分も、親の言うことを聞いていないかもしれません。
因果応報、自分のたねまきの報いが現れているのです。
運命を生み出しているのは、善くも悪くも、自分の行いですから都合が悪いときほど、自分のたねまきを反省して、少しでもよりよい未来を生み出せるよう、悪いことをやめて、善い行いをするようにしていきましょう。
では、そうやって生きていって、最後、死んだらどうなるのでしょうか?
死んだらどうなる?
仏教では、死んだ後は、因果の道理にしたがって、死ぬまでの行いによって決まると教えられています。どんな世界に生まれるにしても、やはり因果応報なのです。そうやって、生まれ変わり死に変わり、永遠に苦しみ迷いの輪廻転生(りんねてんしょう)を繰り返します。
では、輪廻転生の原因は何なのでしょうか?その苦しみ迷いの根本原因を知り、断ち切れば、苦しみを離れ、永遠の幸福になれると教えられたのが仏教です。 
 
●輪廻転生
「輪廻」とは輪が回ると書きますように、同じ所をぐるぐる回ることです。「転生」とは、生まれ変わることです。
一体、輪廻転生とはどんなことなのでしょうか?
輪廻転生は科学で分かる?
現代人の中には、心は脳神経の電気信号の組み合わせによってできているし、だから死んだら脳が壊れて無になる、と信じている人がありますが、その根拠は科学にはありません。
脳科学の研究からは、実は心と脳は別のものだということが、分かってきています。
強迫性障害治療の世界的権威、ジェフリー・M・シュウォーツ博士によれば、「脳(の化学的作用)が心に影響を与えている」のではなく、むしろ、「心が脳(の化学的作用)に影響を与えている」というのです。
また、哲学の世界でも、1990年代になってようやくチャーマーズという哲学者が、脳の電気信号の集まりがどれだけ複雑になっても、意識や物が見えたり聞こえたりする体験は絶対に生まれないことを「意識のハードプロブレム」と名付けて問題提起し、現在でもまったく未解決の問題です。
輪廻転生について、科学はまったく追いついていませんが、お釈迦さまは、仏の悟りによって、私たちは、果てしなく遠い過去から、永遠の未来に向かって、生まれ変わり死に変わりを繰り返し、車の輪が回るように、同じところをぐるぐる回っているのだと教えられています。
6つの迷いの世界……六道
生まれ変わりというと、ほとんどの人は、人間に生まれ変わるものと思っていますが、人間だけではありません。
どんな世界に生まれ変わるかというと、大きく分けて6つあります。
地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上の6つの迷いの世界です。これを「六道」といいます。修羅を人間におさめて、「五趣(ごしゅ)」といわれる時もあります。
それぞれどんな世界かといいますと、地獄界は、最も苦しみの激しい世界です。その苦しみは、とても言葉では言い表せないと教えられています。
餓鬼界は、食べ物があっても食べられず、飲み物があっても飲めない世界です。食べ物や飲み物を口元まで運ぶと青白い炎となって食べられません。飢えと渇きでガリガリにやせ細り、骨と皮になって苦しみます。
畜生界とは、犬や猫など、動物の世界です。これは人間界からも見えるので分かりやすいと思います。弱肉強食で常に不安に怯える世界です。
この3つを「三悪道」といい、特に苦しみの激しい世界です。
修羅界とは、闘争の激しい世界です。
人間界とは、苦しみも楽しみもある私たちの生きている世界です。
天上界とは、六道の中では楽しみの多い世界ですが、極楽浄土とは違って、やはり迷いの世界です。悲しみもあり寿命もあります。
これらの6つの苦しみ迷いの世界を、遠い過去から、生まれ変わり死に変わり、車輪が際限なく同じところを回るようにエンドレスに生死生死を続けて行くとことを「輪廻転生」とか「六道輪廻」と教えられています。「流転輪廻」とも「生死輪転」とも言われます。
次に生まれる世界はどうやって決まるの?
では、次は、どんな世界に生まれるかというと、仏教では、因果の道理にもとづいて、死ぬまでに造った行いによって次に生まれる世界が決まると教えられています。
次に生まれる世界を決めるのが、「引業(いんごう)」です。
「業」とは、行いのことで、「引業」は、生涯に造った業の中の最も重い業をいい、死後、六道のどの世界に生まれるかを決定します。
よく、死ぬと地獄の閻魔大王が、浄玻璃鏡(じょうはりのかがみ)で、死んだ人の生前の行いを映し出し、死後に行く世界を決めるというのは、引業をたとえたものです。
引業以外のすべての業を「満業(まんごう)」といい、次の世界での男女や、どんな家柄に生まれるか、そこはお金持ちの家か、貧しい家か、頭がいいか悪いか、美しいか醜いかなど、すべてを決定します。
どんなことをすると地獄に堕ちるの?
仏教では、生き物を殺す殺生罪を造ると、等活地獄(とうかつじごく)に堕ちると教えられています。
それに加えて、他人の物を盗む偸盗罪(ちゅうとうざい)を造ると、黒縄地獄(こくじょうじごく)に堕ちると説かれています。
それに加えて、邪淫(じゃいん)の罪を犯すと(殺生、偸盗、邪淫)、衆合地獄(しゅうごうじごく)、さらにお酒を飲むと(殺生、偸盗、邪淫、飲酒)、叫喚地獄(きょうかんじごく)さらに、ウソをつくと(殺生、偸盗、邪淫、飲酒、妄語)、大叫喚地獄(だいきょうかんじごく)です。
では、どうすれば人間に生まれられるのでしょうか。
人間に生まれるには?
人間に生まれるには、五戒(ごかい)という基本的な戒律を守り続けなければなりません。
「五戒」とは、不殺生(ふせっしょう)、不偸盗(ふちゅうとう)、不邪淫(ふじゃいん)、不妄語(ふもうご)、不飲酒(ふおんじゅ)の5つです。
ですから、お釈迦さまは、『涅槃経』に「人趣に生まるるものは、爪の上の土のごとし。三途に堕つるものは、十方の土のごとし」と説かれています。
地獄に堕ちる人は大宇宙の土のように多く、人間に生れる人は爪の上の土のように少ない、ということです。
こうして、苦しみ迷いの旅を果てしなく続けていくのです。
どうすれば輪廻転生を離れられるの?
では、どうすれば、この果てしない輪廻転生を離れることができるのかというと、仏教の根幹である因果の道理から、すべての結果には必ず原因がありますので、輪廻転生にも原因があります。
その根本原因をなくせば、輪廻転生から離れ、永遠に変わらない幸福になれるのです。
その迷いの根本原因が、仏教に教えられているのですが、仏教は、人間に生まれたときしか聞けませんので、人身受け難し今已に受く、仏法聞き難し今已に聞く、この身今生に向かって度せずんば、さらにいずれの生に向かってかこの身を度せん(お釈迦さま)と説かれています。
生まれがたい人間に生まれ、聞きがたい仏法にめぐりあえた今生に、迷いの解決をしなければ、いつするというのであろうか、永遠のチャンスは今しかない、ということです。