野党消滅

なぜ 野党は衰退するのか
道を誤れば 消滅も

先も見えにくく 質素倹約 
庶民 僅かな幸せに我慢
アベノミクスなど信じていません

身を切る改革はお題目
野党 幸せの絵 描ける人がいない

最悪はマスコミ 「野党の目」からの情報 発信放棄


 
 

野党民進党民主党維新の党民共共闘公明党日本維新の会
日本社会党日本共産党
日本労働組合総連合会[連合]国公労連日本教職員組合[日教組]
 
 
民の幸せ
将来の絵があれば 我慢もします
増える借金に 不安膨らむばかり
 
 
民の不幸せ
国家予算 借金頼みの過去最高
お金の行き先 メリハリなし 大盤振舞
 
 
政権のあら探し 野党
予算のあら探し してみませんか
省庁のあら探し してみませんか
 
 
政権すり寄り 野党
予算のお零れ期待
政権すり寄り マスコミ パンとサーカスに注力
  
 
与党 一党独裁 平成の大本営
お祭り最優先 オリンピックが終るまで 
知らんぷり 不安はないことにする
借金を増やし続けて 安倍さん引退
後は 野となれ 山となれ 財政破綻
 
 
 

 


 
2017/2
 

衆議院

参議院

294

自由民主党・無所属の会

自由民主党・こころ

126

35

公明党

公明党

25

96

民進党・無所属クラブ

民主党・新緑風会

50

21

日本共産党

日本共産党

14

15

日本維新の会

日本維新の会

12

自由党

   

社会民主党・市民連合

希望の会(自由・社民)

   

無所属クラブ

   

沖縄の風

10

無所属

無所属

475

衆議院合計

参議院合計

242

                                   2017(平成29)年1月16日現在
 
野党 

 

政府を構成せず行政を担当しない政党のこと。「政府から離れた在野の政党」からきている。対義語は与党。
小選挙区制においてはデュヴェルジェの法則に従って二大候補が形成される傾向にあり、従って議会を占める政党は二大政党制がとられることになる。このような場合には政権の奪取に失敗した野党も未来の政府を構成する可能性が高く、公的な性格を帯びると認識される。
より比例代表制に重点をおいた選挙システムにおいては、複数の野党が形成される。このような多数野党は世界の一般である。
幾つかの民主主義国家においては長らく与党が固定されている場合には、形式的な平等主義をとってゲリマンダーによって野党に不利な選挙システムを構築される場合がある。
イギリスにおいては国王から野党第1党に対して公的地位があたえられており、「国王の王立野党」(His/Her Majesty's Loyal Opposition)との名称が与えられる。最大野党党首の存在する政党を公的野党と称することもある。  
「ゆ党」
与党の政策に対し常に批判的・対立的な姿勢を示しつつ、次期政権政党を目指して活動する政党もあれば、与党に対し常に対立的な姿勢を示すわけではなく、是々非々で臨む政党もある。
日本では「野党」という場合、前者のような姿勢をとる政党のみを示すこともある。これに対して、後者のような政党をゆ党(漢字表記は「癒党」)と呼ぶことがある。「ゆ」は五十音順では「や」と「よ」の中間にある文字であり、すなわち「ゆ党」とは「野党(や党)」と「与党(よ党)」の中間に位置するという意味である。この用語は主に反与党の立場を取る人物・団体が使用し、その際には若干の軽蔑のニュアンスが含まれることが多い。 
 
民進党 

 

日本の政党。略称は民進、DP。衆参両院計150人規模の野党第一党である。
民主党に維新の党が合流し、改革結集の会の一部や無所属の議員なども参加して、2016年3月27日に民主党が改称する形で結成された。そのため新党結成という形をとってはいるが、総務省に届出をしている法人(政治団体)としては、1996年結成の民主党が解散せずにそのまま同一団体として存続していることになる。
国政においては民進党は与党の自由民主党に次ぎ、野党第一党の勢力。二大政党制の一翼を担っている。 
党名
維新の党の松野頼久代表はかねてから「民主党という名前の政党に合流することはない」と述べており、民主党への合流も党名変更が条件とされたため、新党名決定が課題となっていた。こうした中、両党の国会議員からなる「新党協議会・党名検討チーム」が組まれ、話し合いの場が持たれた。しかし両党の間に隔たりがあったため、2016年3月3日に両党が記者会見で、合流に伴う新たな党名案を同月4日から6日にかけて、両党のホームページとファックスを使って、国民から一般募集すると発表した。最終的に1万9933件の応募が集まり、多かった案から順に「民主党」(1456件)、「立憲民主党」(725件)、「民新党」(352件)、「新民主党」(248件)となった。
公募結果も参考にして、3月10日には二つの新党名の案が決まり、民主党側は「立憲民主党」、維新の党側は「民進党」を提示した。民主党と維新の党がそれぞれ実施した各サンプル数約2000の電話世論調査の結果、民主党の調査では「民進党」24.0%、「立憲民主党」18.7%、維新の党の調査では「民進党」25.9%、「立憲民主党」20.9%といずれも「民進党」が「立憲民主党」を上回ったため、3月14日に新しい党名を「民進党」とすることが決定した。また3月22日には、新党名の字体(ロゴタイプ)を発表した。
「民進党」という党名について、発案者の江田憲司は「読んで字のごとく、『民』とともに『進む』政党。国民の立場に立って政治を進めていく意味を込めた。『進』という字は進化、進歩という言葉があるように、改革を前進させていくという意味も込めた」と説明している。
英語名について、維新の党側からは民主党(Democratic Party of Japan)と維新の党(Japan Innovation Party)を組み合わせた「Democratic Innovation Party」が提案されていたが、民主党側から略称の「DIP」(アメリカ英語の俗語で「間抜け」を意味する)を問題視する声が出たため、「民主党」の直訳に当たる「The Democratic Party」が採用された。 
党史

 

前史
民進党の前身政党の一つである民主党は、自由民主党と二大政党を形成していたが、2012年の下野後は勢力を永らく回復できず、安倍晋三が自民党・公明党の圧倒的な議席数のもとで長期政権を築いていた。2014年の第47回衆議院議員総選挙で野党各党は小選挙区での立候補者調整を行ったが、自公両党は議席数をほぼ維持した。民主党は議席を回復したものの、自民党の3分の1にも達せず、更に代表の海江田万里が落選するなど、勝利とは程遠い状況であった。海江田に代わって代表に就任した岡田克也新執行体制の下、民主党は野党第二党の維新の党との連携を図る。維新の党は自公、民主間での立ち位置を巡って松野頼久共同代表の旧結いの党勢力と橋下徹共同代表の旧日本維新の会(いわゆる「大阪系」)勢力が対立していたが、2015年8月に橋下をはじめ大阪系の議員が党を割り、おおさか維新の会(後に日本維新の会に改称)を結成した。
維新の党の分裂後、民主、維新両党は急接近する。前後して8月から9月ごろ、平和安全法制審議で両党以下一部野党は強硬な反対運動を繰り広げており、このような雰囲気も合同を後押しした。8月31日、岡田と松野の両代表が会談し、野党再編を視野に、両党が政策や選挙で協力する協議機関を第189回国会閉会後に設置することで合意した。野党再編の方法については、維新の党側が両党を解党した上で新党を結成することを主張し、民主党内でも解党論が浮上、9月10日には民主党の支持母体の日本労働組合総連合会(連合)の古賀伸明会長が「(民主解党も)選択肢の一つ」と言及した。
11月11日には民主党の細野豪志政調会長と前原誠司元外務大臣、維新の党の江田憲司前代表が会談して年内に両党解党・新党結成すべきとの認識で一致し、細野・前原が岡田に解党を申し入れたが、岡田は解党論を否定した上で年内の統一会派結成に取り組む意向を示した。12月18日、衆議院統一会派「民主・維新・無所属クラブ」が結成された。参議院側の統一会派については、維新の党側が翌年の参院選で議員が埋没しかねないとの懸念から延期されたが、両党間には政府提出の給与法改正案への賛否などに隔たりがあり、統一会派結成を前に課題も存在した。
2016年1月6日、維新の党は日本を元気にする会と参議院統一会派「維新・元気の会」を結成したが、民主党側の不信を招いたうえ、維新の党が民主党に歩調を合わせて給与法改正案賛成に転じ、統一会派内で対応が割れる事態となった(民主・維新合併合意後の3月4日、「維新・元気の会」は解消された)。
2月22日、岡田・松野両代表が会談し、民主党が維新の党を吸収合併することで合意した、さらに4日後の2月26日に岡田・松野の代表会談が再び行われ、民主・維新の両党が3月中をめどに合流することで正式に合意した。この吸収合併は1998年に民政党・新党友愛・民主改革連合が1996年結成の民主党に合流した際の方法を踏襲するものである。両党解党・新党結成による場合と異なり、この方法では、旧みんなの党の比例代表で選出されて結いの党から維新の党に合流した参議院議員5人は国会法109条の2第2項の規定により新党には合流できない。
3月14日には新しい党名を「民進党」とすることが決定、22日には改革結集の会議員5人の内4人が新たに加わることとなる。25日に岡田・松野が合併協議書に調印した。
3月27日、民進党結党大会に先駆けて午前中に行われた維新の党の臨時党大会において、民進党結成のための解党の決議が全会一致で採択された。
結党
3月27日午後、東京都内のホテルで「民進党」結党大会が開催され正式に発足した。来賓として神津里季生(連合会長)、茂木健一郎(脳科学者)、大沢真理(東京大学教授)、奥田愛基(SEALDs)らが挨拶した。結党大会では、結党宣言・綱領や、初代党首に旧民主党代表の岡田を起用することをはじめとする初代執行部の人事についての承認が議決され、全会一致で採択された。
初代執行部は、旧維新の党出身の江田と今井がそれぞれ代表代行と幹事長代理に就任した以外は、初代党首の岡田や幹事長の枝野をはじめ旧民主党出身の議員が顔をそろえた。一方、旧維新の党の代表だった松野は、かつて民主党を離党したことなどを理由に自らは民進党の役職に就くことを辞退している。なお、旧維新の議員は派閥を立ち上げ、党内最大派閥となった。
3月28日、衆議院会派「民主・維新・無所属クラブ」が「民進党・無所属クラブ」に変更(会派に参加していた野間健は無所属となり、勢力は95名)、30日には参議院会派「民主党・新緑風会」が「民進党・新緑風会」に変更した(旧みんなの党の比例代表選出議員ゆえに国会法109条の2第2項の規定により改選まで民進党に参加できない旧維新の党の参議院議員5名(小野次郎、川田龍平、柴田巧、寺田典城、真山勇一)が同日付で同会派に加わり、勢力は64名)。
地方組織においても旧民主・旧維新の一本化が進められたが、東京都議会や神戸市会など並立状態が継続している議会もある。
5月19日、4月に募集した党のロゴマークについて、3676通の応募から選ばれた最終候補の4作品の中から、地方組織や所属国会議員の投票で選ばれた新ロゴマークを発表した。この新ロゴマークは、最終候補4作品のうち「A案」と呼ばれたもので、青と赤の2本のラインで民進党の頭文字にあたるアルファベットの「M」をかたどり、党の理念として掲げた「自由、共生、未来への責任」を表現するとともに未来に向かって共に進む姿もイメージしたという。
岡田克也代表時代
反自民勢力による選挙協力
結党後の半年間で大規模な選挙(2016年4月補選・参院選・東京都知事選)が連続して行われ、いずれも共産、社民、生活の各党との連携下で行われた。
4月24日、結党後初の国政選挙となる衆院補選が実施された。京都3区は、共産党が候補者擁立を取り下げたことや、自民・公明の与党が候補者を立てずに不戦敗をとったこともあり、前回比例復活していた民進公認の前職泉健太(社民党推薦)が圧勝した。一方、北海道5区では民主党元職員の池田真紀を擁立。共産党が「民主公認ではなく無所属候補として出馬する事」などを条件に先に出馬を表明していた候補者の立候補を取り下げ、共産・民進・社民・生活推薦の野党統一候補として無所属で出馬し、自民党公認で公明党らが支援の和田義明に挑んだが惜敗した。
7月10日実施の第24回参院選では、野党4党が1人区で候補者調整を行い、一部の選挙区で共産が公認候補の擁立を取り下げたり、逆に民進が共産・社民・生活の他党系の候補に枠を譲るなどした。最終的に、民進党は選挙区に33名、比例区に22名の候補者をそれぞれ擁立した。その結果、選挙区で21、比例で11、合わせて32議席を獲得した。前回の参院選で民主党(当時)が獲得した17議席を上回ったが、改選数の45議席には届かなかった。参議院会派「民進党・新緑風会」には野党統一候補として無所属で当選した舟山康江が加わり、勢力は51名となった。
参院選の直前になって東京都知事選(7月31日投開票)の実施が決まり、これもまた野党4党で統一候補を出すことが決まった。参院選と並行しての候補者選定が民進党東京都連の主導で進められ、鳥越俊太郎や古賀茂明などに出馬を打診したが中々決定しなかった。12日(公示2日前)になって党本部と鳥越が連絡を取って鳥越が出馬を決断、4党が鳥越を統一候補として推薦し擁立。しかし候補決定が直前まで難航し、政策等の準備不足や4党の連携の足並みが揃わなかったこともあり、自民党を割って出馬した小池百合子にダブルスコア以上の差で敗れ、自公などが推薦した増田寛也にも及ばない3位に終わった。
代表選と岡田の不出馬
結党後初の代表選が9月に行われたが、参院選で野党4党が候補者を調整して挑んだ一人区では11勝21敗で与党候補に負け越したことや、「改憲勢力」(自民・公明・維新・こころの4党など)の3分の2議席獲得を阻止できないなど、岡田が推し進めてきた野党共闘は自公勢力に打撃を与えるに至らなかった。岡田は自らの地盤である三重県選挙区で候補が敗れた際は代表を退任することを宣言していた。選挙の結果、三重選挙区では勝利を収めたものの、党自体の選挙結果は不振に終わる。この結果を受けた岡田は代表選挙への出馬については「白紙である」と述べるに留めたものの、党内からは岡田に対する責任論が噴出。7月30日、代表選挙不出馬を表明する事態となった。
代表選には蓮舫、前原誠司、玉木雄一郎の三者が立候補した。選挙戦では民共共闘の是非や与党が推し進める憲法改正議論などが焦点となった。9月15日、投開票が行われ、蓮舫が前原・玉木を大差で下し、新代表に選出。女性の党代表は旧・民主党時代も含めて初となった。また、野党第1党の党首に女性が就任するのは旧・社会党の土井たか子委員長以来30年ぶり。
蓮舫代表時代
蓮舫執行部において、幹事長に野田佳彦前内閣総理大臣を、代表代行には細野豪志・安住淳前国対委員長・江田憲司(留任)の3人を、政調会長には大串博志前政調会長代理を、国対委員長には山井和則前国対委員長代理、選対委員長には馬淵澄夫元国土交通大臣を起用した。また、前原に対して党顧問への就任を打診したが、前原は辞退した。9月21日開催の両院議員総会において、新執行部の人事案の採決が行われこれを了承。これにより、蓮舫体制の新執行部が正式にスタート。また、同じ日には台湾民進党院長(国会議長)の蘇嘉全らと会談・交流し、蓮舫選出に関して祝意を受けた。
蓮舫体制下では初陣となる10月23日実施の衆院補選の公認候補として、東京10区に元NHK記者の鈴木庸介を、福岡6区に元在インド・チェンナイ日本総領事館職員の新井富美子を、それぞれ擁立することが常任幹事会で決定された。なお共産党は、福岡6区に候補者擁立を表明したが、それと同時に民進党側と野党共闘に向けた協議を始める方針を表明し、協議の結果次第では、4月の北海道5区補選と同様に擁立を取り下げる可能性も示唆した。また東京10区でも公認候補を擁立しているが、野党共闘に前向きな姿勢を見せており、民進党側に対し候補統一に向けた協議を呼びかける意向を示している。また、社民党も民進党側に対して、野党統一による候補者一本化に取り組むよう求める方針を示した。なお、この10月補選について蓮舫新代表は「これまでの基本的枠組みを維持しながらどういう形ができるのかこれから詰めたい」と野党共闘を続ける考えを示した。その一方、政権選択となる次の衆議院選挙については「綱領の違う党とは連立しない」ことを強調した。
そして10月5日に行われた野党4党(民進・共産・社民・生活)の書記局長・幹事長会談の場で福岡6区は民進党・新井で一本化する事で合意に達し、共産党・小林は翌6日に立候補取り下げを表明、また東京10区は民進党・鈴木で一本化する事で合意に達し、共産党・岸は立候補取り下げを表明した。
2016年10月の2016年新潟県知事選挙では、日本共産党、自由党(「生活の党と山本太郎となかまたち」より改名)、社会民主党の「野党3党」および新社会党、緑の党から推薦を受けた米山隆一が出馬。民進党は連合との意思統一がまとまらず表向きは自主投票であったが、実際は蓮舫をはじめ多数の所属議員が米山の応援に入った。選挙結果は、米山が自公推薦の候補を打ち負かして当選を果たした。
10月23日、2選挙区(東京10区・福岡6区)の補欠選挙が投開票され、いずれも与党系候補(福岡6区は無所属候補が当選後に自民の追加公認を受ける)に2連敗。
2017年3月17日に、民進党誕生以来初めてとなる党大会を開催する(予定)。 
2016年
2月22日 - 民主党の岡田克也と維新の党の松野頼久の両代表が、民主党を存続させて維新の党を吸収する形で両党が合流したうえで、新党を結成することで合意。
2月26日 - 岡田・松野の代表会談が再び国会内で行われ、民主・維新の両党が3月中をめどに合流することで正式に合意。
3月3日 - 両党が記者会見で、合流に伴う新たな党名案を同月4日から6日にかけて、両党のホームページとファックスを使って、国民から一般募集すると発表。
3月10日 - 民主党側は「立憲民主党」、維新の党側は「民進党」の2つの新党名称案を提示。
3月14日 - 民主党と維新の党は記者会見で、合流に伴う新しい党名を「民進党」とすることが決定したことを発表。
3月22日 - 改革結集の会の所属議員5人のうち、おおさか維新の会に合流する小沢鋭仁を除く4人が合流することを表明。
3月25日 改革結集の会が衆議院事務局に会派の解散届を提出し受理。「改革結集の会」は正式に解散。
松野・岡田の代表会談が国会内で開かれ、両者が合併協議書に調印。両党の合併手続きが完了。
3月27日 維新の党の臨時党大会において、解散を決議。維新の党は正式に解散。
民主・維新の両党が合併し「民進党」結党大会が品川プリンスホテルにおいて開催された。
4月4日 - 党のロゴマーク案の公募を開始(4月12日まで)。
4月24日 - 合併後初の国政選挙となる前期補欠選挙実施(北海道第5区・京都府第3区)。北海道第5区は民進がバックアップした民主党元職員で野党統一候補の池田真紀が自民党候補に挑むも惜敗。
京都府第3区は民進党公認の前職泉健太(社民党推薦)が当選。民主・維新合併後としては、国政選挙初勝利。
5月10日 - 公募した党のロゴマークについて、3676通の応募の中から選ばれた最終候補の4作品を発表。なお、この日より民進党公式サイトにおいて、国民からの意見を募集。その上で、民進党の地方組織や所属国会議員などが投票を行い、得票数がトップだった作品が新しいロゴマークとなる。
5月19日 - 民進党の新ロゴマークが、最終候補4作品のうち、A案に決定。
5月31日 - 民進・共産・社民・生活の野党4党が安倍内閣に対し内閣不信任決議案を共同提出。即日、衆議院本会議において採決され、自民・公明の与党、おおさか維新などの反対多数で否決。
7月10日 - 第24回参議院議員通常選挙実施。その結果、選挙区で21、比例で11、合わせて32議席を獲得した。
7月30日 - 岡田克也代表が9月の代表選への不出馬を表明。
7月31日 - 2016年東京都知事選挙実施。野党統一候補の鳥越俊太郎が小池百合子に大差で敗れ、落選。
8月2日 - 両院議員総会において、結党後初の代表選を9月2日告示、9月15日投開票の日程で行うことを決定。
8月5日 - 10月23日実施の後期補欠選挙の公認候補として、東京都第10区に元NHK記者の鈴木庸介、福岡県第6区に元在インド・チェンナイ日本総領事館職員の新井富美子をそれぞれ擁立することを常任幹事会で決定。
9月1日 - 旧民主党時代の党公認マスコットキャラクター(ゆるキャラ)・民主くんの後任となる新しい公認マスコットを公募すると発表した。党のホームページで同月6日〜15日まで受け付け、党外から募集する選考委員による選考などを経て、来年前半に予定される党大会で発表する。なお大賞には、正賞として10万円と、副賞として「民主くん」の等身大人形(全長:約130センチ)が進呈される。
9月2日 - 民進党代表選挙告示。蓮舫、前原誠司、玉木雄一郎の3人が立候補を届け出る。
9月15日 - 民進党代表選挙投開票。1回目の投票で過半数以上の503ポイントを獲得した蓮舫が新代表に選出される。
9月21日 - 両院議員総会において人事案が採択され、蓮舫体制の新執行部が正式に発足。 
政策

 

党綱領
我が党は、「自由」「共生」「未来への責任」を結党の理念とする。
私たちは、「公正・公平・透明なルールのもと、多様な価値観や生き方、人権が尊重される自由な社会」「誰もが排除されることなく共に支え、支えられる共生社会」「未来を生きる次世代への責任を果たす社会」を実現する。
○私たちの立場
我が党は、「生活者」「納税者」「消費者」「働く者」の立場に立つ。未来・次世代への責任を果たし、既得権や癒着の構造と闘う、国民とともに進む改革政党である。
○私たちの目指すもの
一. 自由と民主主義に立脚した立憲主義を守る / 私たちは、日本国憲法が掲げる「国民主権」「基本的人権の尊重」「平和主義」を堅持し、自由と民主主義に立脚した立憲主義を断固として守る。象徴天皇制のもと、新しい人権、統治機構改革など時代の変化に対応した未来志向の憲法を国民とともに構想する。
二. 共生社会をつくる / 私たちは、一人一人がかけがえのない個人として尊重され、多様性を認めつつ互いに支え合い、すべての人に居場所と出番がある、強くてしなやかな共に生きる社会をつくる。男女がその個性と能力を十分に発揮することができる男女共同参画を推進する。「新しい公共」を担う市民の自治を尊び、地方自治体、学校、NPO、地域社会やそれぞれの個人が十分に連携し合う社会を実現する。正義と公正を貫き、個人の自立を尊重しつつ、同時に弱い立場に置かれた人々とともに歩む。
三. 未来への責任 改革を先送りしない / 私たちは、未来を生きる次世代のため、税金のムダ遣いを排するとともに、国の借金依存体質を変える行財政改革、政治家が自らを律し身を切るなどの政治改革、地方の創意工夫による自立を可能とする地域主権改革を断行する。原発に頼らない社会を目指すとともに、東日本大震災からの復興を実現し、未来への責任を果たす。
四. 人への投資で持続可能な経済成長を実現する / 私たちは、市場経済を基本とし、地球環境との調和のもと、経済成長を実現する。安全・安心を旨とした上で、市場への新規参入を促し、起業を促進する規制改革を実行する。経済成長は幸福をもたらすものでなくてはならない。公正な分配による人への投資なくして持続可能な成長は達成できない。持続可能な社会保障制度の確立、生涯を通じた学びの機会の保障など人への投資によって、人々の能力の発揮を阻んでいる格差を是正する。それによって支え合う力を育み、幸福のための成長を実現する。
五. 国を守り国際社会の平和と繁栄に貢献する / 私たちは、専守防衛を前提に外交安全保障における現実主義を貫く。我が国周辺の安全保障環境を直視し、自衛力を着実に整備して国民の生命・財産、領土・領海・領空を守る。日米同盟を深化させ、アジアや太平洋地域との共生を実現する。国際連合をはじめとした多国間協調の枠組みを基調に国際社会の平和と繁栄に貢献し、核兵器廃絶、人道支援、経済連携などにより、開かれた国益と広範な人間の安全保障を実現する。  2016年3月27日制定。
基本的政策
基本政策は以下のとおりである。
1. 現実的な外交安全保障
○日米同盟を深化させるとともに、アジア太平洋地域との共生を実現し、国際社会の平和と繁栄に貢献する。安全保障については、立憲主義と専守防衛を前提に、現実主義を貫く。
○2015年に可決された安全保障法制については、憲法違反など問題のある部分をすべて白紙化するとともに、我が国周辺における厳しい環境に対応できる法律を制定する。
○核兵器廃絶、難民受け入れ、人道支援など、非軍事分野の国際貢献を積極的に行う。
2. 立憲主義の確立
○幅広い国民参加により、真の立憲主義を確立する。
○日本国憲法の掲げる『国民主権、基本的人権の尊重、平和主義』の基本精神を具現化するため、地方自治など時代の変化に対応した必要な条文の改正を目指す。
3. 新陳代謝のある経済成長
○新規参入を拒む規制の改革によって、起業倍増を目標に新陳代謝を促し、持続的かつ実質的な経済成長を目指す。
○経済連携協定によって自由貿易を推進する。ただし、個別具体的には、国益の観点から内容を厳しくチェックし、その是非を判断する。
○地域を支える中小企業の生産性向上のため、研究開発、人材、IT、デザインなど、ソフト面への支援を強化する。
○職業訓練とセーフティーネットを強化した上で、成長分野への人材移動を流動化する。科学者、芸術家、起業家など、クリエイティブ人材の育成と集積を進める。必要な海外からの人材は、計画的に認めていく。
○同一労働同一賃金と長時間労働規制を実現し、働きがいのある社会を創る。
4. 「居場所と出番」のある共生社会
○生活者、納税者、消費者、働く者の立場に立ち、社会の活力の根源である多様性を認めあう格差の少ない寛容な社会を目指す。政治は社会的弱者のためにあるとの考えを基本とする。
○子どもと若者の支援や男女共同参画を進め、正社員で働くことができ、希望すれば結婚し子どもを持つことができる「人口堅持社会」を目指す。
○世代間公平に配慮しつつ、重点化と効率化によって、持続可能な社会保障制度を実現する。
○地方自治体、学校、NPO、企業、地域社会など、公共サービスの担い手を多様化し、それぞれが十分に連携し合う社会を創る。
○公務員について、能力や実績に基づく人事管理を進めるとともに、労働基本権を回復して、労働条件を交渉で決める仕組みを構築する。労働基本権回復までの間は、その代償措置である人事院勧告制度を尊重する。
5. 2030年代の原発ゼロ
○2030年代原発稼働ゼロを実現するため、省エネを徹底するとともに、小規模分散電源や自然エネルギーへのシフトを推進する。
○原発再稼働については、国の責任を明確化し、責任ある避難計画が策定されることと、核廃棄物の最終処分場選定プロセスが開始されることを前提とする。
6. 身を切る改革
○既得権益を排し、「官権政治」から「民権政治」へ転換する。
○国民との約束である議員定数の削減を断行する。
○企業団体献金(パーティー券の企業団体による購入を含む。)禁止と個人献金促進を定める法律の制定を図る。また、透明性向上の観点から、文書通信交通滞在費の使途を公開する法律と、国会議員関係政治団体の収支報告書を名寄せし、インターネットにより一括掲載することを義務付ける法律の制定を図る。
○財政健全化推進法案に基づき、無駄な公共事業の削減と行政改革などを徹底することで、2020年度のプライマリーバランス黒字化を確実に達成する。
○職員団体等との協議と合意を前提としつつ、国家公務員総人件費の2割を目標に、その削減を目指す。
○消費税10%への引き上げは、身を切る改革の前進と社会保障の充実を前提とする。
7. 地域主権改革
○「権限・財源・人間」の東京一極集中を脱して、地域の創意工夫による自立を可能とする地域主権社会を実現する。
○基礎自治体の強化を図りつつ、道州制への移行を目指す。その際、それぞれの地域の選択を尊重する。
○国の出先機関をゼロベースで整理し、職員の地方移管を推進する。
○税源移譲や国庫補助金の一括交付金化、地方交付税制度の見直しを含め、地方財政制度を見直す。  2016年3月30日制定。 
組織

 

規約上は、民主党の制度を基本的に受け継ぐものとなっている。
党員・サポーター
党員・サポーター制度は民主党時代の2000年(平成12年)の党大会で導入されたもので、党ではFAQの中で「党員には規約・組織規則・倫理規則に基づく義務が発生するが、サポーターにはそれがない」と両者の決定的な違いを説明している。
党員の資格は「党綱領及びそれに基づく政策に賛同する18歳以上の日本国民で入党手続きを経た者」(党規約4条1項)、サポーターの資格は「党所属の国会議員、地方自治体議員及びこれらの候補者等を支援する18歳以上の個人(在外邦人及び在日外国人を含む)で定められた会費を拠出し総支部に登録した者(党員を除く)」(党規約6条1項)となっている。党費は年間6,000円で機関紙「民進プレス」が毎号自宅に郵送される。また党代表選挙に投票することが出来る。
サポーターの会費は年間2,000円。党代表選挙の投票権を購入するだけと誤解されがちだが、実際はサポーターであっても党が主催する講演会や勉強会、イベント、選挙ボランティアなどに参加することができるとされている。なお外国人サポーターは代表選挙に投票することができない(党規約6条3項)。
一般党員の入党・サポーター入会は最寄りの総支部で、地方議員の入党は選挙区を管轄する都道府県総支部連合会(組織規則2条4項)がそれぞれ受け付ける。なお国会議員の入党は幹事長が受け付け、役員会と常任幹事会の承認を受けることが必要となっている(党規約4条8項)。総支部は党費・サポーター会費を受け取った後、その中から一定額を「本部登録料」として都道府県総支部連合会経由で本部に送る(党員は組織規則4条、サポーターは同7条で1人につき1,000円とされている)。
また自民党の党友組織ないしは政治資金団体である自由国民会議や国民政治協会と異なり、サポーターでも党本部が登録を受け付け管理する形式となっていて、党の政治資金団体「国民改革協議会」に個人献金をしただけではサポーターとみなされない。
ちなみに、旧民主党の党員・サポーターは合流時に民進党に承継されたが、旧維新の党の一般党員については合流後、改めて民進党の入党手続きを取ることが求められていた。
地方組織
衆議院の小選挙区、参議院の選挙区ごとに総支部(そうしぶ)、基礎自治体ごとに行政区支部(ぎょうせいくしぶ)を擁する(党規約37条1項、38条1項)と定められている。この他に、自民党の職域支部に相当する任意の組織を置くことができるとされており、都道府県ごとにこれら支部を束ねる連合会を設置している。この連合会のことを県連(けんれん)と略しており、正式には「民進党○○県総支部連合会」という。東京都、大阪府、京都府、北海道においてはそれぞれ都連(とれん)、府連(ふれん)、道連(どうれん)になる。
県連代表は現職国会議員を就けるのが基本であるが、県内の衆議院小選挙区に議員がおらず(空白県)、衆議院比例代表にも地元出身者がいない場合は次の国政選挙の公認予定者を就かせることもできる。設立および代表の選任手続きは事前に党本部に通知し、執行役員会の了解と組織委員長の承認を得ることが必要となる(党規約39条1項、組織規則10条1項・2項)。
また、県連の上に立つ組織として衆議院比例代表選挙のブロックごとにブロック協議会を置くとしており、これは社民党のそれと同等の位置付けになる(党規約40条)。
総支部
民進党の総支部は、自民党の選挙区支部に相当するものであり、現職国会議員及び次回国政選挙の公認予定者の活動を支える組織となる。
参議院選挙区選挙の当選者と次回立候補予定者は、都道府県連に所属した上で(組織規則15条1項)その下に置かれる「参議院選挙区総支部」(組織規則11条3項)の支部長となる。衆議院比例代表単独で立候補し当選した議員(組織規則11条2項)、および参議院比例区選出議員(組織規則11条4項)、次回立候補予定者は出身都道府県ごとに置かれる「衆議院ブロック比例区総支部」「参議院比例区総支部」(組織規則11条2項)に所属しその支部長となる。なお総支部長が国政選挙で落選、もしくは離党、除籍処分により党籍を失った場合は、県連代表または同県出身の他の現職国会議員を暫定総支部長とすることができる(党規約36条5項、組織規則12条3項・4項)。その後、当該選挙区の次回立候補予定者が決まった場合は予定者が総支部長に就任する(組織規則13条5項)。
総支部長の選任と異動は事前に本部に通知し、執行役員会の了解と組織委員長の承認を得ることが必要とされる。
行政区支部
行政区支部は自民党の地域支部に相当し、地元の選挙区選出の都道府県議会議員と、その地域の基礎自治体議会の議員が所属する。原則として1つの基礎自治体につき一つの支部(「地域型行政区支部」)とするが、複数設置することが党勢の拡大に寄与すると判断される場合は、都道府県・政令市議会議員の選挙区を単位とする行政区支部(「地方自治体議員型行政区支部」)を議員1人につき1つ設置することができる(組織規則18条4項)。
行政区支部長の選任と異動は、事前に本部に通知して組織委員長の承認を得ることが必要とされる(党規約39条4項、組織規則10条2項)。
地域型・自治体議員型のどちらの行政区支部も総支部の国会議員や公認予定者と緊密な連携を取る。
県連・総支部傘下の任意組織
自民党の職域支部に相当する組織として、都道府県総支部連合会または総支部の下に任意の組織を作ることができるとされている。 
主な支持母体

 

労働組合 / 日本労働組合総連合会(連合)
旧民主党時代から労働組合の総本部である連合を最大の支持母体とし、国会・地方議会いずれにおいても官公労や民間労組から多数の組織内候補が立候補し民進党の所属議員となっている。連合傘下組合の組織内議員は次の通り。
○全国繊維化学食品流通サービス一般労働組合同盟(UAゼンセン):川端達夫、川合孝典
○全日本自治団体労働組合(自治労):逢坂誠二、相原久美子、江崎孝
○全日本自動車産業労働組合総連合会(自動車総連):古本伸一郎(全トヨタ労連)、磯崎哲史、濱口誠(全トヨタ労連)
○全日本電機・電子・情報関連産業労働組合連合会(電機連合):大畠章宏(日立労組)、平野博文(パナソニックグループ労連)、石上俊雄、矢田稚子(パナソニックグループ労連)
○日本基幹産業労働組合連合会(基幹労連):高木義明、柳田稔
○日本教職員組合(日教組):神本美恵子、那谷屋正義、斎藤嘉隆
○日本郵政グループ労働組合(JP労組):難波奨二
○情報産業労働組合連合会(情報労連):吉川沙織、石橋通宏
○全国電力関連産業労働組合総連合(電力総連):小林正夫(東電労組)、浜野喜史(関電労組)
○日本鉄道労働組合連合会(JR連合):伴野豊(JR東海ユニオン)
○全国農林漁業団体職員労働組合連合(全国農団労):小山展弘、郡司彰
政治連盟等各種団体
○生活クラブ事業連合生活協同組合連合会(生活クラブ生協連合会):生活クラブ生協組合員らが中心となって結成された全国市民政治ネットワークに加盟する地域政党の支持を得ている。2016年参院選では比例区の大河原雅子を中心に支援していた。
○第一次産業:農業協同組合(農協)、漁業協同組合(漁協)の支持を得ている所属議員や候補が多数存在する。その他「民進党水産振興議員連盟」「民進党花き産業振興議員連盟」「民進党お茶振興議員連盟」「民進党・たばこ産業政策議員連盟」、「都市農業推進議員連盟」、「民進党ワイン産業振興議員連盟」が活動している。
○中小企業政策:民進党中小企業政策推進議員連盟が中小企業団体の要望の窓口となる。会長:増子輝彦、幹事長:大島敦。
○製造業:「民進党日本鋳造産業振興議員連盟」
○エネルギー業界:「民進党LPガス議員連盟」、「民進党分散型エネルギーシステム推進議員連盟」、「民進党 再生可能エネルギー・省エネ技術促進議員連盟」
○環境業界:「民進党環境整備・生活排水適正処理推進議員連盟」、「民進党資源循環型社会推進議員連盟」
○教育業界:「民進党私学振興推進議員連盟」、「民進党スポーツ議員連盟」、「民進党野球振興議員連盟」、「民進党宇宙政策推進議員連盟」「インクルーシブ教育を推進する議員連盟」、「理数・科学技術教育推進議員連盟」、「塾教育を考える議員連盟」、「社会的養護を必要とする子どもたちを応援する議員連盟」
○医療・福祉業界:「民進党国民生活と薬を考える議員連盟」、「国民の安心の医療をめざす看護議員」(看護師)、「民進党 障がい・難病政策推進議員連盟」(障害者団体など)、「民進党柔道整復師の業務を考える議員連盟」、「安心社会の構築に向けたリハビリテーションを考える議員連盟」、「民進党医療技術者政策議員連盟」、「民進党音楽療法推進議員連盟」、「民進党障害者政策推進議員連盟」、「民進党難病・脳脊髄液減少症を考える議員連盟」、「民進党統合医療を普及・促進する議員の会」。また「民進党歯科医療議員連」(日本歯科医師連盟は組織内候補として西村正美を支援している)。
○建設・社会インフラ業界:「民進党都市・まちづくり議員連盟 」、「民進党港湾振興議員連盟」、「民進党 建設職人の安全・地位向上推進議員連盟」、「民進党建設労働議員懇談会」、「民進党環境にやさしい総合交通体系を実現・推進する議員連盟」、「民進党無電柱化の在り方を考える議員連盟」、「民進党旧公団居住安定化推進議員連盟」
○不動産業界:「民進党不動産団体議員連盟」「民進党住宅・マンション対策議員連盟」等がある。これらは、民主党時代から各種団体へのアプローチが進み、政権交代、政権下野、民進党設立後も連携している。
士業:「民進党司法書士制度推進議員連盟」(司法書士)、「民進党税理士制度推進議員連盟総会」(税理士)、「民進党行政書士制度推進議員連盟」(行政書士)、「民進党土地家屋調査士制度推進議員連盟」(土地家屋調査士)、「弁理士制度改革・知的財産制度改革推進議員連盟」、「獣医師問題議員連盟」。
○運輸業界:「民進党オートバイ議員連盟」、「民進党日本バス議員連盟」「民進党タクシー政策議員連盟」、「民進党福祉タクシー議員連盟」、「民進党トラック議員連盟」、「民進党リニア中央新幹線推進議員連盟」、「民間航空振興議連」、「私鉄交通政策議員懇談会」、「民進党自動車整備議員連盟」などがあり、これも民進党移行後も引き続き活動している。
○通信業界:「民進党情報通信議員連盟」、「民進党郵政議員連盟」
○観光・娯楽業界:「民進党ツーリズム推進議員連盟」、「民進党IR推進議員連盟」
○小売業界:「民進党電機商業振興議員連盟」
○その他:「民進党生活衛生業振興議員連盟」、「民進党クリーニング振興議員連盟」、「民進党の街の酒屋さんと共に歩む議員連盟」、「民進党消防政策議員懇談会」、「民進党消防団支援議員連盟」。前身の民主党時代には、日本林業協会から党宛に公式要望書が送られたり、全国商店街振興組合連合会の要望を受ける形で議員連盟が設立されたりしていた。
社会運動団体
○民進党は2016年参院選では共産党などとの共闘をする中で、市民連合から公式に政策提言、選挙での支援を受けた。
○辺野古新基地を造らせないオール沖縄会議:民進党沖縄県県連は通称「オール沖縄」の構成団体の一つである。
○反ヘイトスピーチを掲げた活動団体:第24回参議選では「本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律」(ヘイトスピーチ対策法、2016年5月施行)の成立に関わった有田芳生などの民進党議員に対して、対レイシスト行動集団(C.R.A.C.)などの団体が支援を行っている。
○反原発運動:2016年参議院選では、首都圏反原発連合やたんぽぽ舎といった反原発団体から民進党を中心とした野党共闘が支援を受けている。
○その他:一方、党内には日本会議の関係団体である日本会議国会議員懇談会に所属している(または過去に所属していた)保守系議員も複数存在する。
宗教団体
○立正佼成会:2013年参院選では風間直樹と大島九州男を、2016年参院選では藤末健三と白眞勲を支援している。
○その他:旧民主党時代から浄土真宗本願寺派・曹洞宗・霊友会・世界救世教・新生仏教会・天理教・崇教真光・椿大神社などを中心とした宗教団体からも公認候補者を擁立している。2016年5月には「民進党仏教議員連盟」が発足し、全日本仏教会が祝辞を述べている。
その他
○部落解放同盟(解放同盟):旧民主党時代から有力な支持母体で、民主党時代には組織内候補に松本龍がいた。また、2016年参院選の比例区においても、江崎孝・那谷屋正義・石橋通宏・難波奨二・森屋隆といった部落解放中央共闘会議加盟単産の候補を中心に推薦し、支援の地域割りを決めている。
○パチンコ業界:全日本遊技事業協同組合連合会(全日遊連)および日本遊技関連事業協会(日遊協):旧民主党時代には民主党娯楽産業健全育成研究会があり、2016年9月7日 現在、衆参両院で16名の民進党議員がパチンコチェーンストア協会政治分野アドバイザーを務める。
○在日本大韓民国民団(民団)及び在日本朝鮮人総聯合会(朝鮮総連):旧民主党時代から永住外国人の地方参政権付与を目的に支援している。民団は、2016年参院選で白眞勲を支援している。 
他党との関係

 

現政権与党
現在の与党である自由民主党および公明党とは、民主党時代に大連立構想が浮上したり、民主党政権末期に消費増税に関する三党合意を締結するなど一定の協力関係にあったが、現在の安倍政権の下では政策的距離の遠さなどもあり国会運営では対立関係にある。民進党結党の際、岡田克也代表は「今の自民党は相当、右に寄っている。自民党の中のリベラルな考え方を持った人たちを含め、民進党にしっかり結集していくことが必要だ」と述べ、自民党内部のリベラル系議員の合流も歓迎する姿勢を表している。
共闘関係の野党
○日本共産党は民社国連立政権・民国連立政権を含む非自民政権から連立参加を持ちかけられたことはなかったが、2015年の平和安全法制審議時の反対運動の頃から民共両党で提携を深めており、第24回参議院議員通常選挙など2016年の主要な選挙で選挙協力を行った。両党間の表向きの交流では、次期総選挙などでの共闘も合意しているが、党内からは共産党との連携への慎重意見も根強い。共産党との連立政権樹立については、岡田は否定している。
○自由党(旧称:生活の党と山本太郎となかまたち)とはすでに各選挙で協力関係を築き、第47回衆議院議員総選挙の際に一部議員が生活の党から民主党へ復党している。ただ、生活の党代表の小沢一郎らがかつて民主党を集団離党した経緯もあり、野田佳彦前内閣総理大臣(当時の民主党代表)が「一番足を引っ張った(小沢)元代表さえ来なければ、後は全部のみ込む」と公言するなど、党内に小沢への反発もあることから党としての合流の見通しは立っていない。
○社会民主党とは民主党時代に連立政権を組んでいたことや同じ自治労を支持基盤とすること、これまでも選挙協力を行ってきた経緯などもあり、一定の協力関係にある。民進党結党の際にも合流を呼びかけていたが、その際は又市征治幹事長が「参院選前の判断は難しい」という考えを示した。結党後の5月12日には、社民党の吉田忠智党首が常任幹事会で「民進党との合流も選択肢」と発言したが、党内の合意を得られず断念した。
○沖縄社会大衆党とは民進党沖縄県連が「オール沖縄」に参加している関係で共闘関係にある。第24回参院選では「オール沖縄」として共同で支援した伊波洋一が当選した。伊波は同党の糸数慶子参議院議員と参議院会派「沖縄の風」を結成した。
○この他、全国市民政治ネットワークに加盟する各地の地域政党や、緑の党グリーンズジャパン、新社会党といった左派リベラル系勢力が、第24回参院選で「野党共闘」を全面的に支持し、民進党の複数の候補者を推薦している。
対立関係の野党
○日本維新の会(おおさか維新の会から改称)とは、政策的距離の遠さ、維新の党分裂時の経緯、安倍政権との距離感の違い、維新の会側が民進党の支持母体である自治労や日教組などの官公労に批判的であることなどから、全面的な対立関係にある。国会質疑においても、維新の会所属議員の発言には民進党批判が盛り込まれることが多く、とりわけ足立康史衆議院議員は「(安保法廃止法案をもって対案だと言っている)民進党は国会の恥。あほ、ばか、どうしようもない政党」「(熊本地震対応で)民進党は何やってるか。足引っ張ってるんですよ、足を。ふざけるなよ、お前らホンマに」などの度重なる暴言で、民進党側から三度懲罰動議が提出される事態となっている。第24回参議院議員通常選挙をめぐっても、維新の会は民進党との選挙協力を拒否して独自候補を擁立し、それに対し枝野幸男幹事長が「邪魔だ」と公言するなど両党の対立は深刻である。
○新党大地はかつて民主党と共闘関係にあったが、現在は民進党と対立関係にある。その背景には鈴木宗男代表(公民権停止中、非議員)が共産党との共闘に拒否反応を示していること、および宗男の実娘である鈴木貴子衆議院議員が共産党との共闘に異を唱え民主党に離党届を提出した際に、比例代表(比例北海道ブロック)選出議員であることなどを理由に民主党側がこれを受け容れず除籍(除名)処分を行ったことがある。民進党との協力関係を解消した新党大地は、現在自民党と選挙協力を行っており、貴子も今後自民党との統一会派結成を検討する方針である。
○幸福実現党は民進党に批判的である。第24回参院選では複数の選挙区で競合した。なお、同参院選の一人区のうち自民党が惜敗した選挙区では自民党と幸福実現党の票数を合わせると野党4党統一候補の票数を超えていたケースが4例あり、結果的に民進党の勝利に貢献したとの指摘もある。
○この他、日本のこころを大切にする党や減税日本、政党そうぞうも民進党に否定的である。第24回参院選では民進党と対立関係にあった
海外の政党
○米国の民主党とは実務者派遣などの党間交流を積み重ねている。2016年民主党全国大会には民進党議員が招待され、外国人の入場券取得が困難な中、4日間連続の入場を許された。
○略称が同じ「民進党」である台湾の民主進歩党の楊家s報道官は民進党結党の際に、「同名の政党が増えることに親近感を覚える。祝福する」とのコメントを発表している。一方、同党内からは「台湾の民主主義を勝ち取ってきた我々とは背景が違う気がする。あまりうれしくはない」との声も出たという。 
 
民主党 

 

かつて存在した日本の政党。略称は民主、DPJ。1998年に旧民主党などを中心として結党された。2009年9月から2012年12月までは衆議院第一党として、日本の政権を担当した。2016年3月に、維新の党や改革結集の会の一部などが合流して民進党に改称した。
1998年4月、院内会派「民主友愛太陽国民連合」(民友連)に参加していた民主党・民政党・新党友愛・民主改革連合が合流して結成された。法規上は民主党以外が解党して合流したという形をとっているものの、民主の議員もいったん全員離党し再度入党、その他人事や要綱、ロゴなどを一新したこともあって、同じ政党名でありながら旧民主党とは区別して扱うことが慣例になっている。その後、2003年9月に自由党が合流(民由合併)。
結党時には保守中道を掲げる旧民政党系と中道左派を掲げる旧民主党系が対立した結果、党の基本理念を「民主中道」とすることで落ち着いた。
保守・中道右派を自認する自民党に対して、主に海外メディアからはリベラル・中道左派の政党と位置付けられる。しかし結党・合併の経緯により、自民党などの流れを汲む保守本流・保守左派や旧民社党系の反共色の強い議員も一定多数存在し、左派政党と位置付けられることに否定的な党員・支持者も存在する。なお、2001年に党内左派より「中道左派という概念から社会主義インターナショナルに加盟すべき」という提案がなされたが、当時の代表・鳩山は「左派というのは民主党のコンセンサスではない」と反対し、頓挫した。
国際組織の民主主義者連盟に加盟している。
自民党は1955年の結党以来、国政選挙の選挙区の公認候補の当選を47都道府県全てで経験しているが、民主党は1998年の結党から2016年の改名までの間に福井県・島根県・宮崎県の3県で国政候補の当選者が出なかった。
2016年の維新の党との合流にあたり党名を民進党に改称。旧民主党から続いた党名は20年で消滅した。 
党史 

 

前史
非自民連立政権
1980年代の後半からリクルート事件などを契機として政治とカネのあり方が問われ始めると、小沢一郎・後藤田正晴らを中心に自民党内の一部で小選挙区制と政党交付金の導入を主張する政治改革の機運が高まっていった。これには政権交代可能な二大政党制を実現させ、中選挙区制によって馴れ合いに陥っていた(小沢談)55年体制を打破するという目的があった。
小選挙区制への移行は短期的には最大政党の自民党に有利なものであったため、野党は一斉にこれに反発した。一方で自民党内でも、将来的に政権から転落する可能性が高まることや特定団体からの組織支援効果が薄まることなどから反対論が相次ぎ、海部内閣では政治改革四法は廃案に追い込まれた。
1993年、宮澤内閣でも法案が否決されるに至って党内の対立は決定的となり、小沢・羽田孜・岡田克也ら改革推進派は内閣不信任案に賛成票を投じて自民党を離党した。首相の宮澤喜一は衆議院を解散して第40回衆議院議員総選挙に踏み切るも、自民党は政権から転落。この選挙では枝野幸男・前原誠司・野田佳彦・小沢鋭仁ら、後に民主党の主要メンバーとなる議員が政治改革を訴えて日本新党から多数初当選した。
この選挙の結果、小沢・羽田らは、8党派連立による非自民・非共産連立政権を樹立、政治改革四法を成立させた。しかしその後は政党間による対立が表面化し、約1年でこの連立政権は崩壊した。
また不信任案には反対した鳩山由紀夫らも新党さきがけを結成し、翌1994年には小沢、羽田、岡田らが新進党を結成。この二つの政党の一部に社民党右派議員を加えたものが、後の民主党のおおまかな源流となる。
旧民主党
1996年9月、新党さきがけを離党した鳩山由紀夫、菅直人らと社民党右派議員、ほか鳩山邦夫らが集い、「官僚依存の利権政治との決別」「地域主権社会の実現」を標榜して旧民主党を結党。両院合わせて57名での船出であった。翌月に控えていた第41回衆議院議員総選挙を横ばいの議席で乗り切り、翌1997年には菅が党代表に、鳩山由紀夫が幹事長にそれぞれ就任して党の体制が整えられた。
一方の新進党は同じ総選挙で政権獲得はおろか議席を減らすという敗北を喫していた。党の求心力は急激に衰え、1997年12月、党の再生が困難だと判断した小沢は新進党の解党を宣言。自民党に復党、合流する議員が更に多数出る中、小沢を中心とする自由党にも公明党にも与しない形で野党に留まる勢力があった。
旧民主党はこれら民政党・新党友愛・民主改革連合と1998年1月に院内会派「民主友愛太陽国民連合」(民友連)を結成し、合流に向けた協議を進めた。旧民主党の枝野幸男、民政党の岡田克也、新党友愛の川端達夫らが基本理念をまとめる協議にあたり、合意に至った。同年4月27日、新たに「民主党」が誕生。手続上は他政党が解散し、民主党に合流した形となった。
野党時代(1998年 - 2009年)
新民主党は、「行政改革」「地方分権」「政権交代」を掲げ、自民党に代わる政権政党となること、二大政党時代を作り上げることを目指すとした。「生活者」「納税者」「消費者」の代表という立ち位置、「市場万能主義」と「福祉至上主義」の対立概念の否定などを結党時の基本理念に掲げている。
この年の第18回参議院議員通常選挙では、大型公共事業の抜本的見直しや地方分権の推進などを訴え、10議席増の27議席を獲得した。しかし、当時衆議院で単独過半数の回復に成功していた自民党と比して、この頃の民主党を二大政党の一角と見る動きはまだ少なく、あくまでも最大野党という位置付けが一般的であった。
1999年9月、代表選挙で菅を破った鳩山由紀夫が代表に就任。
2000年6月の第42回衆議院議員総選挙では、定数削減があったにも関わらず改選前の95議席を大きく上回る127議席を獲得、二大政党時代の到来を宣言した。とはいえ、自公保政権は引き続き安定多数を維持しており、与党を過半数割れに追い込むという狙いは達せられなかった。この選挙では、現行消費税の年金目的税化、扶養控除の廃止と児童手当の金額倍増などが公約に盛り込まれた。
2001年4月、小泉内閣が公共事業改革や分権改革を推し進める聖域なき構造改革を掲げて発足。これらの改革は民主党の政策と共通するものを含んでいたため、鳩山は小泉に対し「協力することもやぶさかではない」という姿勢も見せ始めるようになる。以後、小沢が代表に就任する2006年までは、改革の速度や手法を競う「対案路線」で与党と対峙することになる。
同年7月の第19回参院選では小泉旋風の前に伸び悩んだものの、4議席増の26議席獲得し、引き続き党勢を拡大させた。選挙公約には、道路特定財源の一般財源化、天下り禁止法の制定、全てのダム建設の一時凍結などが新たに盛り込まれた。
2002年9月に鳩山は代表に再選されたが、これに関連して中野寛成を幹事長に起用する論功行賞人事が党内の求心力の低下を招き、自由党との統一会派構想の責任を取る形で12月には辞任に追い込まれた。同月、岡田を破った菅が代表に返り咲く。
二大政党化
2003年9月、来る総選挙を前に執行部が自由党との合併に踏み切ることを正式に決断する。枝野ら強硬に反対を唱える声もあったものの、役員・要綱・党名を据え置くという民主党による事実上の吸収合併という形で決着を見せた。この民由合併により民主党は両院合わせて204人(衆院137・参院67)を擁するまでに党勢を拡大させた。
同年11月、日本初のマニフェスト選挙となった第43回総選挙では、明確に「政権交代」を打ち出し、改選前を40議席上回る177議席を獲得、大きく躍進する。比例区の得票数では自民党を上回った。高速道路の原則無料化、年金制度の一元化、衆議院の定数80削減などがこの選挙から新たに政権公約に加えられた。
2004年、年金制度改革を巡るいわゆる「年金国会」において菅の納付記録に未納期間があることが判明し、代表辞任へと追い込まれた(後に社会保険庁職員のミスよるものであったことが明らかとなり、厚生労働省が謝罪した)菅の後継にいったんは小沢一郎が内定したが、小沢にも年金未納が発覚し、出馬辞退に追い込まれた。
同年5月、新代表に若手の筆頭格であった岡田克也を無投票で選出。間を置かず7月の第20回参院選を迎えた。発足間もない新体制に一部不安視する声もあったが、50議席を獲得し、国政選挙において初めて自民党(49議席)に勝利を収めた。
この時期から政権選択選挙という言葉が急速に現実味を帯び始めるようになる。
2005年8月、首相の小泉が郵政民営化の是非を問うとして衆議院を解散(郵政解散)。自民党は民営化に反対したいわゆる造反議員との分裂選挙に突入した。選挙戦の序盤は「漁夫の利」などとして民主党に楽観的な論評も飛び交い、政権交代を確実視して伝える一部海外メディアもあった。
郵政民営化の是非を争点に選挙戦を展開した与党に対し、民主党は郵貯・簡保の徹底的な縮小と郵便事業への民間事業者参入促進など、2003年以来党が掲げてきた改革案で応えた。また、郵政問題よりも重要な争点として、利益誘導型政治・官僚支配からの脱却、公務員人件費の2割削減、18兆円に及ぶ税源の地方への委譲、大型公共事業の見直しなどを改めて提示し、「徹底した無駄削減」と「コンクリートからヒトへ」による大胆な社会構造の変革を訴えた。しかし、「造反議員」と「刺客候補」の対決構図が連日のように報道されていく中で政策論争は次第に世論の関心を失い、民主党は小泉劇場の前に埋没。結局、改選前を大きく下回る113議席に終わった。岡田は即日代表辞任の意向を表明した。
党代表後継には菅直人と前原誠司が名乗りを上げた。当初は菅有利と見られていたが、最終演説で投票議員の心を掴んだ前原が僅か2票差で選出された。前原は、「脱労組」「世代交代」を打ち出し、党の再建に着手。当時43歳の前原は清新なイメージを与え、耐震偽装問題で馬淵澄夫による証人喚問が世論の喝采を浴びるなど、新生民主党は順調な出直しを図ったかに見えた。
しかし、2006年2月に堀江メール問題が起きると、一転して民主党は激しい世論の批判を浴びることになる。情報の真偽を巡って執行部の対応が後手に回ったことも問題を長引かせる要因となり、翌3月にはついに前原が辞任に追い込まれた。これにより、民主党は解党の噂すら囁かれる、危機的な状況に陥った。
トロイカ体制
2006年4月、小沢一郎が菅を破り、新代表に就任。小沢は菅を代表代行に指名し、幹事長を務める鳩山と共に「トロイカ体制」と言われる挙党一致体制を敷いた。
小沢体制ではまず小泉構造改革を否定するという大きな政策的転換が図られた。それまで民主党の方針であった経済成長路線は影を潜め、子ども手当ての導入、農家への戸別所得補償といった多額の財政出動を伴う政策が打ち出された。更に2005年総選挙時に掲げていた年金目的消費税を凍結するなど、財源に関して甘い見通しが立てられたのもこの時期である。
地方組織が磐石ではない民主党にあって、小沢は各議員・候補に徹底した地元活動を求めるなど、地盤の強化にも力を注いだ。2007年4月の統一地方選挙を勝利し、7月の第21回参院選でも60議席獲得と大勝。ついに参議院で与野党を逆転させた。
小沢は参議院での多数を武器に与党に激しく抵抗する「対立軸路線」を敷き、政権を追い込む戦術を選択した。一方で11月、小沢はねじれ国会の運営に行き詰った福田康夫に大連立構想を提案。しかし、予てから「健全な二大政党制」を望んでいた民主党役員会では小沢を除く全ての議員がこれに反対、世論も同様の反応を示した。その後、民主党は2008年のガソリン国会などで抵抗を続け、ねじれ国会の中で有利に戦いを進めた。この頃には首都圏の政党支持率では自民党を圧倒するようになった。
ところが2009年3月、西松献金問題で小沢の公設第一秘書が逮捕・起訴されると、支持率は軒並み低下。迫る総選挙への影響を避けるためとして5月、小沢は代表を辞任した。
次期総理候補を決める代表選挙として大きな注目を集める中、小沢に近い議員らが推す鳩山と岡田が争った。消費税率見直しは4年間議論もしないとした鳩山と、議論は行うべきだとした岡田であったが、参院票の取り込みで優勢に立った鳩山が接戦を制した。初めて表面化した親小沢と非小沢との対立構図であったが、選挙後は岡田が幹事長職を引き受け、選挙後の融和を図れた。小沢の献金問題で一時的に落ち込んでいた政党支持率は献金問題の表面化前よりも上昇し、自民党に拮抗する調査も出始めるようになった。
2009年総選挙
7月翌13日、首相の麻生太郎が衆議院を解散する意向を表明。この月、NHKの全国世論調査で初めて民主党が政党支持率で自民党を逆転した。
2009年7月21日、衆議院が解散され、事実上の任期満了選挙に突入する。鳩山はこの総選挙を「政権交代選挙」と銘打ち、連立をみすえる社民党・国民新党と合わせて過半数の議席確保を目指した。マニフェストには、前回の参院選で訴えた内容とほぼ変わらぬ政策が盛り込まれた。各種世論調査では終始民主党の圧倒的優勢が伝えられた。
結果、絶対安定多数を超える308議席を確保して、結党以来の悲願であった政権交代をついに実現する。308議席は一つの党が獲得した議席数としては戦後最多であった。また比例区の得票も2984万4799票を獲得し、日本の選挙史上で政党名の得票としては過去最高を記録した。
与党時代

 

鳩山政権
第172回国会で鳩山由紀夫内閣が正式に発足し、社民党・国民新党との連立政権が誕生。党幹事長に小沢、内閣官房長官には平野博文が起用された。
鳩山内閣は当初、70%を超す高い支持率を得てスタートした。CO2削減目標の引き上げ、自衛隊インド洋派遣の撤退、公共事業の見直しなどの政策を推し進めるが、同時に幹事長の小沢と鳩山自身に政治資金収支報告書の虚偽記載問題が再燃する。「政治とカネ」を巡る不信に加え、鳩山よりも小沢に実質的な権力が集中する「二重権力構造」や、選挙支援と引き換えに予算配分を行う小沢の政治手法などが党内外で問題視されるようになると、内閣支持率は一転、下降の一途を辿ることとなる。
そんな中、行政の無駄をあぶりだすことを目的に事業仕分けが行われ、これが世論から概ね好意的な評価を受ける。しかし子ども手当などの新たな歳出や、不況による税収落ち込みもあって平成22年度予算では過去最大となる44兆円の国債発行をするに至った。
2010年以降、小沢をはじめとする所属議員の政治資金問題で世論の反発が強まった。また、鳩山自身の献金問題も、国会などで厳しい追及を受けた。ただ、これらの「政治とカネ」問題そのものは、政権を揺るがすまでには至らなかった。
内閣にとって決定的な打撃となったのは、前年から徐々にクローズアップされてきたアメリカ軍の普天間基地移設問題であった。移設先を「最低でも県外が期待される」と総選挙時に明言していた鳩山は、沖縄及びアメリカが合意していた辺野古沿岸部へ移設する現行案を白紙に戻し、県外・国外移設の道を探っていた。しかし5月、移設先を見つけることができず、これを断念。失望した沖縄が現行案の辺野古沿岸部案をも受け入れ撤回する事態に発展し、移設問題は大きく後退してしまう(この際、県外移設を求めた社民党が連立を離脱した)。
このほか、野党時代の民主党の主張と、与党としての民主党の能力や政策との乖離が徐々に明らかになるにつれ、鳩山内閣への国民の不信はピークに達し、来る参議院選挙では20議席台に留まるという衝撃的な事前調査も明らかとなる。鳩山は事態打開のため、一連の問題の責任を取る形で首相を辞任した。
菅政権
後継の代表選挙は、まず小沢の影響力排除を目指す副総理・財務大臣の菅直人がいち早く出馬を決め、小沢と距離を置く議員から支持を受けた。これに対し党内最大勢力を誇る小沢グループは中立派として出馬した樽床伸二を支持した。6月4日に行われた両院議員総会では、小沢グループ以外の票を固めた菅が圧勝した。この代表選では小沢の処遇を巡って党を二分する激しい攻防が繰り広げられ、党内には深刻な対立が残ることとなった。
菅内閣は発足にあたり、幹事長に枝野、内閣官房長官に仙谷由人など、主要ポストにいずれも非小沢の急先鋒を据えた。政策面では「強い経済、強い財政、強い社会保障」を一体的に実現させていく「第三の道」を打ち出し、財政再建と雇用創出を最大の国家的課題とする方針を表明。併せて消費税率見直し議論の提起、経済効果の薄い一部マニフェストの修正に着手するなど、鳩山内閣の政策方針からは大きな転換を図った。発足当初は、60%を超える高い内閣支持率を記録した。
しかし、選挙戦での菅の消費税を巡る発言が二転三転し、2010年7月11日の第22回参院選では現有の54議席から失って44議席に下がり、参院過半数を失うねじれ状態に陥った。小沢グループは参院選敗北の責任は消費税議論を提起した菅にあるとして、総理退陣や枝野の幹事長更迭を迫った。しかし国民の7割超は菅の続投を支持し、これを背景に菅も応じる姿勢を見せなかった。
こうした中で迎えた9月の代表選挙に小沢が出馬。小沢による事実上の倒閣宣言であった。財政再建とマニフェスト一部修正を目指す菅陣営には菅・前原・野田の各グループに加え岡田が、消費税議論封印とマニフェスト堅持を掲げる小沢陣営には小沢・鳩山・羽田・樽床の各グループが参集し、深刻な党内抗争が始まった。新聞主要四紙が揃って小沢・鳩山を批判し、世論調査でも菅支持が小沢支持の4倍超を記録するなど、戦いは次第に菅優勢へと傾いていった。9月14日、地方議員票と党員・サポーター票で大差を付けた菅が圧勝で再選された。幹事長には外務大臣から転じた岡田が再登板となり、閣僚からは小沢グループの議員は一掃された。この戦いにより党内の亀裂は更に深刻化することとなった。
尖閣諸島中国漁船衝突事件の対応を巡り内閣官房長官の仙谷と国土交通大臣の馬淵澄夫に対する問責決議が参院で可決されるなど政局は混乱。これを受けた内閣改造により、2011年1月14日に菅第2次改造内閣が成立。3月11日には東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)が発生し、政権は震災復興と福島原発事故の対応に追われた。
6月1日、「菅首相では災害復旧と復興、原発事故の処理に対応できない」との理由で自民党などが提出する内閣不信任決議案に対し、小沢に近い50人余りの議員が同調する意向を示したが、翌2日の採決前に開かれた党代議士会で菅が辞意とも取れる発言をしたことで小沢グループは自主投票となり、不信任案は否決された。菅はその後、福島第一原発事故の対応にメドがつくまで続投する意欲を示したが、政府・党執行部からも菅への退陣要求が出始めた。
8月26日に菅が退陣を正式に表明したため、民主党代表選が行われ、野田佳彦・海江田万里・前原誠司・鹿野道彦、・馬淵澄夫の5人が出馬した。代表選では小沢と鳩山のグループから支援を受けた海江田が先行し、前原と野田が追う展開となった。第一回投票では海江田が最多の143票を得るが過半数には至らず、野田との決選投票では前原・鹿野陣営の支持を集めた野田が勝利し、第9代党代表に選出された。
野田政権
第9代党代表に選出された野田は、2011年8月30日の衆参両院本会議内閣総理大臣指名選挙において第95代内閣総理大臣に指名された。野田は代表選挙当時から消費税率を現行の5%から10%に引上げる消費増税を掲げたが、歳出削減が進んでないうえ、景気にも悪影響だとして小沢グループや連立を組む国民新党などから反対意見が噴出した。このため、野田は小沢とも良好な関係にある党参院会長の輿石東を『党内融和』の象徴として幹事長として起用(党参議院議員会長も兼務)し、挙党体制の構築に努めた。
しかし、閣内では経産相の鉢呂吉雄や小沢グループから起用された国家公安委員長山岡賢次、防衛相一川保夫らに閣僚の資質が問われる問題が続出した。
元民主党議員の松木謙公(著書で2011年中の新党大地入党を示唆)らは、新党大地へ合流、新党大地・真民主を結党した。さらに12月28日、小沢に近い内山晃ら9人の衆議院議員が離党届を提出(認められず除籍処分)、新党きづなを結成。他にも離島が相次ぎ、2011年の間だけで民主党は14人の国会議員を失うことになった。
2012年1月13日、野田は内閣改造を行った(野田内閣 (第1次改造))。今国会の最大の課題とする消費増税関連4法案を含む社会保障・税一体改革関連法案を国会で成立させるため、野党との協力関係構築と人心一新、体制強化を目的とした。
しかし、改造後も閣内外で問題が頻出。防衛相の田中直紀は北朝鮮ミサイル問題に関する失言で、国交相の前田武志は公職選挙法に抵触する可能性がある問題で、閣僚としての資質が問われ、4月10日に参議院で問責決議案が可決された。
また、社会保障・税一体改革関連法案が閣議決定されたことに抗議し政府・党の要職を辞める者が相次いだ。連立を組む国民新党も社会保障・税一体改革関連法案が閣議決定された事で連立離脱派と維持派が対立、離脱派で代表の亀井静香らが離党する(金融・郵政改革担当大臣の自見庄三郎が代表となり、連立維持)など党内外で混乱を露呈する事態となった。5月には中国の一等書記官によるスパイ疑惑が政治問題化したこともあり、野田は組閣からわずか5ヶ月余りで、内閣再改造(野田内閣 (第2次改造))を行う事態となった。
社会保障・税一体改革関連法案の採決は6月26日に衆議院本会議で行われ、民主党・国民新党・自民党・公明党・たちあがれ日本などの賛成多数で可決された。消費増税法案の採決では反対の意を表明していた鳩山、小沢以下57名が反対票を投じ、原口一博・小沢鋭仁ら13名が棄権、2名が欠席(病欠した元首相の羽田孜を除く)するなど72名の造反者を党内から出した。
野田は造反者に対して除籍も含めた厳しい処分方針を示唆した。一方で輿石は党内融和と分裂回避を重視する観点から小沢と数回に渡って会談を持つも、消費増税法案の撤回を求める小沢と分裂を避けたい輿石の議論は平行線をたどった。小沢が離党と並んで検討していた党籍を残したまま会派を離脱する案は野田が拒否。院内会派離脱願が受理される可能性がなくなり、7月1日午後に小沢は記者に離党の意思を表明した。
2日、小沢ら国会議員52名(後に2人が撤回し50名)が離党届を提出した。3日、党執行部は離党届を提出した小沢ら衆院議員37名を除籍処分とする方針を決定。鳩山は党員資格停止6か月、衆院議員18名には党員資格停止2か月の処分とする方針を決定した。棄権・欠席した衆院議員15名についてはそれぞれ常任幹事会名の厳重注意、幹事長名での注意とした。
党倫理委員会での審査を経て、9日、党執行部は小沢ら衆院議員37名の除籍を正式決定。一方鳩山の党員資格停止期間は短縮された。
小沢グループの離脱後も党分裂は収まらず、17日には谷岡郁子ら参院議員3名が反原発掲げ「みどりの風」を立ち上げた。消費税増税関連法案の採決以後の離党者が55人となり、参議院では第2会派との差が2人まで縮まった。
8月、社会保障・税一体改革関連法案の参院採決が迫り、除籍された小沢らが結成した国民の生活が第一を含む野党会派が、消費増税法案採決を阻止すべく野田内閣に対する内閣不信任決議案を上程した。採決前日の8日、野田は、自民党総裁谷垣と公明党代表山口那津男を交えた党首会談で、衆院解散について「近いうちに国民に信を問う」こと、消費増税法案に賛成することで合意。9日、一部を除く自民・公明の各衆院議員が採決を欠席し、内閣不信任案は否決された。
しかし、内閣不信任案や消費増税法案は民主党内の造反が相次ぎ、一部議員は除籍された。29日に参院で上程された野田首相への問責決議案は、一転自民党が賛成に回り可決された。9月、大阪維新の会が国政進出を目指し、日本維新の会を結成。党内からも松野頼久らが離党届を提出し合流した。執行部は各議員の離党届を受理せず除籍処分としたが、離党者の増加に歯止めがかからなくなった。
10日、党代表選挙が告示され、一時は再選を狙う野田に対し、総選挙での惨敗を危惧する勢力から環境相の細野豪志を候補に擁立する動きを見せたが断念、最終的に野田と元農相・赤松広隆、元総務相・原口、前農相・鹿野が立候補し、野田が1回目の投票で総投票数の過半数となる818ポイントを獲得し、再選された。
10月1日には野田は内閣改造を実施した。野田と代表選で戦った原口・赤松・鹿野の3グループから登用はなく、反発する声や離党者が相次いだ。
しかし、3度目となった内閣改造も、法相の田中慶秋が早期辞任(事実上の更迭)に追い込まれた。また、野田が自民党前総裁の谷垣らと交わした「近いうちに解散する」という約束をめぐり、解散時期について自民・公明両党と対立した。
2012年総選挙
各社世論調査で内閣支持率が軒並み低迷し、求心力を失っていた野田は、日本維新の会などの「第三極」の選挙準備が整う前に解散・総選挙を行うのが得策と判断。11月に入ると自民・公明両党の求めに応じる形で、年内に解散・総選挙を行う意向を明らかにした。野田は、衆院議員定数削減やTPP交渉参加推進などを党公約として選挙戦に打って出る構えを見せたが、党内では選挙を行えば惨敗必至として反対意見が相次いだ。しかし11月14日、国家基本政策委員会合同審査会における党首討論で自由民主党総裁の安倍晋三と対峙した野田は、「(衆院議員定数削減法案への賛同の)御決断をいただくならば、私は今週末の16日に解散をしてもいいと思っております」と発言。これを受けて自民・公明両党も野田の提案を受け入れ、事実上16日の衆院解散が確定した。
この電撃的な解散決定を受けて、早期解散に反対していた党内から離党届を提出する国会議員が続出した。その中には元環境相小沢鋭仁(日本維新の会へ移籍)、元農相 山田正彦(亀井静香と共に「反TPP・脱原発・消費増税凍結を実現する党」結成)ら閣僚経験者もいた。結局この解散を前後しての離党者は11名、2009年9月の民主党政権誕生以後党を離党・除籍された衆参両議員はあわせて103名を数え、民主党は両院で少数与党に転落した。
11月16日、衆議院は解散され、第46回総選挙が行われた。党執行部は解散前後に離党届を提出した前議員を除籍処分とし、また党公認に際しては党の定める方針に従う誓約書に署名させ、従えない立候補予定者には公認を与えないと決定した。党創設者の一人で7月に消費増税法案に反対していた元首相の鳩山は、消費増税やTPP交渉推進などには従うことができず、総選挙への不出馬と政界引退を表明した。
12月4日公示・16日投開票の日程で行われた第46回総選挙では、解散前の230議席を大きく下回る57議席と大きく後退した。
特に、前回の勝因となった小選挙区で軒並み敗北(獲得議席はわずか27)し、比例も30議席にとどまる記録的な大敗となった。野田内閣の閣僚では官房長官の藤村修、財務相の城島光力、総務相の樽床伸二、文科相の田中眞紀子、厚労相の三井辨雄、国家公安委員長の小平忠正、金融相の中塚一宏と現憲法下で最多の7閣僚(国民新党で郵政改革相の下地幹郎を含め8閣僚)、さらに3人の首相補佐官、23人の副大臣・政務官など政務三役が大量に落選した。閣僚経験者でも元官房長官の仙谷由人、元農水相の鹿野道彦ら、多くの主要議員が落選した。前首相の菅、前衆院議長の横路、元経産相の海江田らは小選挙区では落選したが、比例重複により復活当選した。他の党公認候補も苦戦を強いられ、小選挙区では第3位以下の得票数となる候補が続出し、供託金没収となる候補まで出る結果となった。この結果、有力政党としては珍しい参院議員が衆院議員を上回る党内構成となった。
野田は大敗を受けて開票センターとなっていた都内ホテルで会見し「たいへん厳しい結果となった。同志を失ったことは痛恨の極み」とし「全ての責任は私にある」と代表辞任を表明した。連合会長の古賀伸明は、「敗因は内部抗争」と発言した。
野田の代表辞意表明を受けて、12月25日に代表選挙が党所属国会議員のみの投票で行われ、海江田万里が馬淵澄夫を破り、代表に選出された。
12月26日午前、野田内閣は臨時閣議を開き、辞表が取りまとめられ総辞職した。民主党を中心とした連立政権(民社国連立政権→民国連立政権)は1198日で終焉した。同日午後、第182回国会の首班指名選挙にて自民党総裁の安倍晋三が第96代首相に指名され、大勝した前回衆院選から3年3カ月で再び野党に転落した。
野党時代(2012年 - 2016年)

 

党勢の低迷
新代表の海江田は執行部人事に着手、3年3か月にわたる政権運営を検証する「党再生本部」・「党綱領検討委員会」を設置、政策決定機関である「次の内閣」(ネクスト・キャビネット)を復活させ、「党再生内閣」と名付けた。
党勢の立て直しが求められる中、国会議員の離党が相次ぎ、党創設者で議員を引退した元首相の鳩山も「4年間の総括を見る限り、これでは民主党の再生は難しい」と党を批判して、離党を表明した。また、2013年4月5日に日本維新の会やみんなの党など他の野党との選挙協力を断念したことを明らかにした。これに対して、前原誠司らからは「野党がバラバラに戦っていては自公が喜ぶだけだ」などと批判の声が上がった。
2013年参院選では候補が擁立できない「不戦敗」(富山・和歌山・山口)を含めて1人区で全敗し、改選前44議席から17議席へと減らし、非改選と合わせた参院議席数は59議席と第2党に転落した。また青森など13県では県連所属の国会議員がいなくなった。ただし、海江田体制は維持された
安倍は消費税率引上の先送を表明し、この判断の是非を問うとして衆院を解散した。民主党にとっては野党転落後初の総選挙である2014年総選挙が行われた。12月14日の投開票の結果、民主党は小選挙区と比例代表合わせて73議席を獲得し、改選前の63議席から10議席増やした。しかし、代表の海江田が東京都第1区で敗れ、重複立候補していた比例東京ブロックでも復活当選できず、議席を失った。党としては小選挙区比例代表並立制導入後初の野党第1党首落選となった上、対する与党は3分の2以上を獲得し、「一強多弱」の情勢は崩しきれなかった。
当初、海江田は代表の引責辞任を否定していたが、民主党は党規約第8条で役員を国会議員から選ぶと規定しているため、12月15日に党代表の辞任を表明した。
1月7日告示、1月18日投票の民主党代表選には、長妻昭・岡田克也・細野豪志の3人が出馬した。岡田と細野が国会議員による決選投票に進み、1度目2位の岡田が1位だった細野に逆転して第10代民主党代表に選出された。
改称
12月18日、民主党と維新の党は、衆議院事務局に統一会派「民主・維新・無所属クラブ」の結成を届け、会は人数は93名となった。会派代表には民主党幹事長の枝野幸男が就任した。
2016年2月22日、岡田と維新の党代表の松野頼久が会談し、民主党が維新の党を吸収合併することで合意した。これに合わせて党名・ロゴマーク・綱領を刷新することとなり、新党名の候補には「立憲民主党」「日本民主進歩党」、「民主党立憲同盟」、「国民党」、「憲政党」などが浮上した。また、無所属議員や日本を元気にする会・生活の党と山本太郎となかまたちなども参加を呼び掛けられた。党名案は3月4日 - 6日に、両党のホームページとファックスで、国民から一般募集された。世論調査の結果も反映して、3月10日には2つの新党名の案が決まった。民主党側は「立憲民主党」、維新側は「民進党」を提示した。3月14日、両党がそれぞれ実施した電話世論調査ではいずれも「民進党」が「立憲民主党」を上回り、新党名を『民進党』とすることに決定した。江田は、党名には「国民と共に歩むという意味」とした。
両党で合併手続が進められ、3月25日、松野・岡田の代表会談で合併協議書に調印した。3月27日、民主党・維新の党、それに改革結集の会の一部などが合併された新党として『民進党』結党大会が開催され、これを以て民主党は結党以来18年の歴史に幕を下ろすことになり、「民主党」の党名は旧・民主党時代も含め20年で消滅。 
基本理念・綱領

 

1998年の第一回党大会で以下の「基本理念」と「基本政策」が決定された。結党以来長らく多党における「綱領」は存在せず、「基本理念」が綱領的文書ともされてきたが、2011年に「党の基本理念・基本政策に代わる「綱領」について検討する」として「綱領検討委員会」を設置。野党転落後の2013年2月14日の党大会において、綱領を採択。それまで綱領と扱われた「基本理念」は『1998年綱領』とされた。
基本理念
私たちの基本理念 - 自由で安心な社会の実現をめざして - 1998年4月27日民主党統一(第1回)大会決定より
私たちの現状認識
日本は、いま、官主導の保護主義・画一主義と、もたれあい・癒着の構造が行き詰まり、時代の変化に対応できていません。旧来の思考と権利構造から抜け出せない旧体制を打ち破り、当面する諸課題を解決することによって、本格的な少子・高齢社会を迎える21世紀初頭までに、「ゆとりと豊かさ」の中で人々の個性と活力が生きる新しい社会を創造しなければなりません。
私たちの立場
私たちは、これまで既得権益の構造から排除されてきた人々、まじめに働き税金を納めている人々、困難な状況にありながら自立をめざす人々の立場に立ちます。すなわち、「生活者」「納税者」「消費者」の立場を代表します。「市場万能主義」と「福祉至上主義」の対立概念を乗り越え、自立した個人が共生する社会をめざし、政府の役割をそのためのシステムづくりに限定する、「民主中道」の新しい道を創造します。
私たちのめざすもの
第1に、透明・公平・公正なルールにもとづく社会をめざします。
第2に、経済社会においては市場原理を徹底する一方で、あらゆる人々に安心・安全を保障し、公平な機会の均等を保障する、共生社会の実現をめざします。
第3に、中央集権的な政府を「市民へ・市場へ・地方へ」との視点で分権社会へ再構築し、共同参画社会をめざします。
第4に、「国民主権・基本的人権の尊重・平和主義」という憲法の基本精神をさらに具現化します。
第5に、地球社会の一員として、自立と共生の友愛精神に基づいた国際関係を確立し、信頼される国をめざします。
理念の実現に向けて
私たちは、政権交代可能な政治勢力の結集をその中心となって進め、国民に政権選択を求めることにより、この理念を実現する政府を樹立します。
党綱領
日本は古来より東西の文化を取り入れ、大いなる繁栄と独自の誇るべき伝統・文化を築き上げた。多大な犠牲をもたらしたさきの大戦からも復興を遂げた。しかし、経済の長期停滞、少子高齡化、人口減少による国力の低下に加え、新興国の台頭等による国際環境の変化は国民に長期にわたる閉塞感と不安感を与えている。
このような状況下で発生した東日本大震災及び原子力発電所事故は、未曾有の被害をもたらし、私たちに生き方や、科学・技術、物質文明のあり方までも問い直している。大きな変革期を迎えた今、公正・公平・透明なルールのもと、生きがいを持って働き、互いに負担を分かち合う持続可能な社会を再構築しなければならない。そして政党と国民が信頼関係を築かなければならない。
私たちは、政権交代の実現とその後の総選挙の敗北を受け、あらためて原点を見つめ直し、目指すものを明らかにする。そして道半ばとなった改革を成し遂げるため、必ずや国民政党として再生し、政権に再挑戦する。
私たちの立場
我が党は、「生活者」「納税者」「消費者」「働く者」の立場に立つ。同時に未来への責任を果たすため、既得権や癒着の構造と闘う改革政党である。私たちは、この原点を忘れず、政治改革、行財政改革、地域主権改革、統治機構改革、規制改革など政治・社会の変革に取り組む。
私たちの目指すもの
一. 共生社会をつくる
私たちは、一人一人がかけがえのない個人として尊重され、多様性を認めつつ互いに支え合い、すべての人に居場所と出番がある、強くてしなやかな共に生きる社会をつくる。
1. 「新しい公共」を進める
私たちは、公を担う市民の自治を尊び、近代以降、官が独占してきた「公共」をそれぞれの主体に還す。地方自治体、学校、NPO、地域社会やそれぞれの個人が十分に連携し合う社会を目指す。
2. 正義と公正を貫く
私たちは、互いの人権を尊重し、正義と公正を貫き、生涯を通じて十分な学びの機会と環境を確保する。男女がその個性と能力を十分に発揮する男女共同参画を実現し、不公正な格差の是正と、将来にわたって持続可能な社会保障制度により、すべての国民が健康で文化的な生活を送ることができる社会をつくる。
3. 幸福のために経済を成長させる
私たちは、個人の自立を尊重しつつ、同時に弱い立場に置かれた人々とともに歩む。地球環境との調和のもと経済を成長させ、その果実を確実に人々の幸せにつなげる。得られた収入や時間を、自己だけでなく他者を支える糧とする、そんな人々の厚みを増す。
ニ. 国を守り国際社会の平和と繁栄に貢献する
我が国の発展は開かれた交流の中からもたらされた。私たちは、外交の基軸である日米同盟を深化させ、隣人であるアジアや太平洋地域との共生を実現し、専守防衛原則のもと自衛力を着実に整備して国民の生命・財産、領土・領海を守る。国際連合をはじめとした多国間協調の枠組みを基調に国際社会の平和と繁栄に貢献し、開かれた国益と広範な人間の安全保障を確保する。
三. 憲法の基本精神を具現化する
私たちは、日本国憲法が掲げる「国民主権、基本的人権の尊重、平和主義」の基本精神を具現化する。象徴天皇制のもと、自由と民主主義に立脚した真の立憲主義を確立するため、国民とともに未来志向の憲法を構想していく。
四. 国民とともに歩む
私たちは、地域社会に根差した活動の中から課題を見出し行動する。積極的な議論と結論の遵守を旨として、健全な党内統治を徹底する。公開・参画・対話を重んじ、広く国民との協働による政策の決定と実行を目指す。
政策 

 

経済財政
1998年基本政策では、次のような主張をしていた。
○財政 - 企業会計的視点の導入、数値目標の設定。経済成長と財政再建の両立
○行財政 - 中央集権的な政府を「市民へ・市場へ・地方へ」再構築
○税制 - 「簡素・公平・透明」。所得・消費・資産のバランス、税と社会保険料の役割分担。消費税のインボイス制導入、納税者番号制導入
○財政投融資・特殊法人 - 評価システムの導入。役割の終わった特殊法人等の廃止
○公共事業 - 入札制度改革、公共事業単価引き下げ。長期計画や単年度主義の見直し。包括交付金制度の導入、土木型から新社会資本型へのシフト
○経済 - 市場原理貫徹による経済構造改革。持続可能な経済成長
○規制改革 - 経済的規制は原則廃止。環境・消費者・勤労者保護などの社会的規制は透明化
○新産業 - 成長分野に戦略的基盤整備。ベンチャー企業へのインセンティブ
○中小・零細企業 - 中小企業を重視、モノづくりの基盤整備、第3次産業の自立を支援
○金融 - 裁量行政から決別、競争を原則。透明で公正なルールと消費者保護。債権の証券化。不良債権処理
○農林水産業 - 誇りと将来展望ある農業、定住や環境・国土保全の農村政策。森林保全政策。資源管理型漁業
○雇用・労働 - 雇用安定・勤労者保護の充実。公的能力開発制度の拡充など。仕事と家庭の両立、労働基準法制の整備。女性や高齢者の雇用機会拡大。
鳩山由紀夫内閣における平成22年度一般会計総額は過去最高の92兆2992億円、菅内閣における平成23年度一般会計は92兆4116億円。
政権交代前は、将来的にも消費税を財政赤字の穴埋めには使わないと明記していた。しかし、菅政権以降は消費税の引き上げによる財政再建を明確に主張した。
社会保険庁を廃止・解体し、業務を国税庁に吸収させて歳入庁を設置し、年金保険料の無駄遣いを無くすとしている。社会保険庁は解体されたが、主に自民党が主張していた日本年金機構が2010年1月1日に設置された。
2012年以降の消費税引き上げを否定していない。民主党の当初の案では2013年に8%としていたが、2014年4月に8%、2015年10月に10%まで消費税を増税する修正案を民主党内では容認した。
中小企業の法人税率を一時的に11%に引き下げるとしていた。
相続税・贈与税・酒税・たばこ税の引上を検討していた。
野党時は、ガソリンの暫定税率廃止を主張していた(与党になると、税収確保のため継続。鳩山内閣時、リッターあたり150円を超えた場合は暫定税率分を値引きする「トリガー条項」が定められたが、震災復興財源捻出のため、トリガー条項は廃止)。
アベノミクスの『3本の矢』について、2013年2月12日の衆院予算委員会で民主党衆院議員後藤祐一は「3本の矢は元々は我々民主党が言い出たもの」と主張した。一方、安倍晋三は「そもそも3本の矢と言い始めたのはあなた(後藤)でも日銀でもなく私であり、総裁選を通じて申し上げてきたもの」と反論した。
予算見直し
○マニフェストで示された各種政策を実行するために、事業の効率化や歳出削減を断行して2013年度には16.8兆円の財源を生み出すとした。
○不要不急の公共事業やハコモノ建設の凍結・廃止を表明した。
○高速道路の原則無料化により、交通・流通コスト軽減による内需拡大や、渋滞の解消による地球温暖化対策などの効果を見込んだ。
外交・安全保障
民主党の構成員は保守からリベラルまで幅広く分布しており、自民党を批判することで纏まりを保っていた。そのため、外交政策で一致を図るのが難しく、民主党の外交防衛政策は自民党を批判するために作り上げられた「個別論点の集積」に過ぎないとみる向きもあった。
1998年基本政策では、次のような主張をしていた。
○外交・安全保障 - 「外交立国・日本」。平和主義に則った防衛政策を継続、日本外交の自立性とダイナミズム。
○外交姿勢 - 積極外交、国連中心、世界平和。米国との関係成熟化。近隣諸国との信頼関係。中国との友好協力関係。EU・ロシアとの友好関係。
○非軍事的貢献 - 政府開発援助(ODA)、地球環境重視・自立支援・人道主義。市民、NGO、企業、シンクタンクなどの参加。
○国連政策 - 核の廃絶、軍縮、地球環境、人口・エネルギー問題、国際人権問題、貧困の撲滅などに積極的外交。国連の問題解決、安全保障理事会の常任理事国入り。国連平和維持活動に憲法の枠内で積極参加。
○防衛政策の諸原則 - 専守防衛、集団的自衛権反対、非核3原則、海外武力行使反対、文民統制。
○安全保障体制 - 日米安全保障条約を基軸。アセアン地域フォーラム(ARF)充実、アジア太平洋多国間安全保障の確立。基地問題の協議。沖縄米軍基地の整理・縮小・移転。
○有事対応体制 - シビリアンコントロールと基本的人権を原則に、関連法制を整備。
国際政治では「対等な日米関係」を掲げ、「対米追従」をしないことを目指していた。コソボ紛争・イラク戦争など、アメリカの単独行動主義的な武力行使に対しては批判的で、国連における安保理プロセスを経た軍事出動には賛成の立場を取っていた。小沢一郎のISAF参加発言やテロ根絶法案に見られるように国連中心主義を基調とした自衛隊の海外派遣に比較的積極的であるとされる。ただし、民主党の基本政策では党内左派に配慮し「海外における武力行使を行わないこと」と明記されていた。
米国を含む世界各国と自由貿易協定(FTA)、経済連携協定(EPA)の締結を推進するとしていた。
2013年8月16日、新華社日本語経済ニュースにより、民主党代表の海江田が人民日報(中国共産党機関紙)系の国際情報紙・環球時報の取材の中で『「歴史認識問題で、安倍首相は戦後の国際秩序を再び戦前に戻そうとしている。だが、そんなことはアジア各国のみならず国際社会全体が賛同しない」』と述べた事が報道され、また同記事の中で環球時報が海江田を『日本で「親中派」と呼ばれる海江田代表』と評している事が報道された。
行政刷新・地域主権
1998年基本政策では、中央政府の役割を外交・防衛・司法とナショナル・ミニマムの分野に限定し、それ以外の行政サービスを「基礎的自治体」が担うとしていた。また、官僚の仕事を事前調整から事後チェックへとシフトさせ、企業や市民の自立を促すとしていた。行政法分野では、行政手続法・行政事件訴訟法などを整備・強化し、行政裁量を減らすとともに公務員の責任明確化を掲げた。国家公務員人事制度では、天下り規制の強化、一括人事制度の導入など、抜本的改革を訴えた。そのほか、特殊法人、行政代行的業務に関わる公益法人も情報公開法の対象に加えるとした。
政策INDEX2009では、首相直属の「国家戦略局」が各省縦割りを排除して予算の骨格を作り、各大臣が連携する「閣僚委員会」が政策決定を行い、「行政刷新会議」が行政全般を見直し、国会議員100人近くを行政に送り込むなどして、官僚依存から政治主導への移行を訴えた。地方に対しては、ひも付き補助金の地方移転や国直轄事業に対する地方負担金制度の廃止により、地方自治体の財源を移すとともに、国と地方の対等な関係を築くとした。国家公務員の天下りや、中央省庁による再就職の斡旋を禁止し、官製談合や随意契約の原因を根絶するするとしていた。独法については、非効率であるとして、それそれ廃止か民営化・国直轄化するとしていた。
社会保障
1998年基本政策では、次のような主張をしていた。
○育児・介護のNPO活用。医療・医療保険の市場原理活用、情報公開、制度改革。高齢者医療は税を主財源
○公的年金は、税の比重を高める。バリア・フリー社会。
野党時代は障害者自立支援法による福祉サービスの負担増が障害者の自立を妨げているとして、マニフェストに廃止を掲げた。2009年の政権交代後、自民党・公明党と同法案を継続することで合意し、2010年11月17日、障害者自立支援法一部改正案を衆院厚生労働委員会で可決した。なお、野党時代は障害当事者を参画させた機関を設置して「障がい者総合福祉法(仮称)」を制定し、能力に応じた負担額に見直すことや、中小企業を含めた雇用促進に取り組むとしていた。
2008年6月に後期高齢者医療制度を廃止する法案を共産・社民・国民新の3党とともに参院で可決させ、2009年総選挙のマニフェストにも掲げたが、前提となる老人保健制度復活は全国の自治体・医療関係者の反対が強いため断念し、時間をかけて新制度に移行する方針を固めた。第22回参議院議員通常選挙のマニフェストで2013年に後期高齢者医療制度を廃止することを掲げたが、野田佳彦首相は2012年7月18日、自民・公明両党の反発を受け、超党派で社会保障改革を議論する国民会議に棚上げし廃止法案の提出先送りを認めた。
2013年までに介護労働者の賃金を月4万円程度引き上げ、介護事業者に対する介護報酬も7%加算することを政権交代時の公約に掲げたが、政権交代の実現後に反故にした。
農業政策では、戸別所得補償制度を掲げ、現在の農業協同組合への支援を中心とした政策を改めることを目指している。
○労働政策では格差是正緊急措置法案により、欧米並みの最低賃金全国平均1,000円を目指していた。また、製造業の派遣労働を原則禁止とし、専門業務(高い給与水準)の労働派遣に限って認める方向で労働者派遣法の改正を行うとしていた。違法な派遣が行われた場合、派遣労働者が直接雇用を通告できるようにすると主張した。
年金
○年金制度を一元化し、全ての職業の人が「所得が同じなら、同じ保険料の負担」となる仕組みに改めるとしていた。この制度の給付は「所得比例年金」と「最低保障年金」の二階建てから成る。
○「所得比例年金」は、所得から徴収される保険料を財源とし、職業を問わず納めた保険料に応じて給付額が決定される。制度の『二階部分』にあたる。会社員は負担・給付額共にほぼ変わらず、公務員は給付額が下がる。自営業者は負担・給付額共に増える。
○「最低保障年金」は、どんな低所得者であっても最低7万円の年金を受給できるようにするものである。制度の『一階部分』にあたる。ただし、「所得比例年金」の給付水準が高い高額所得者へは減額、又は支給されない。制度導入前(〜2013年)に年金未納だった者もその分だけ減額される。
○「最低保障年金」の財源には消費税5%分が充てられる。そのため、2033年〜53年までに年金目的の消費税を段階的に引き上げる必要があるとしていた。
○年金保険料は年金給付以外に使わず、事務費や広報費に費やされてきた年間約2000億円の経費は圧縮した上で国庫負担とすることにしていた。
○「消えた年金」「消された年金」問題を早期に解決するため、2009年から約2000億円を投入して2年間集中的に取り組むとしていた。
少子化対策
○高額所得者に有利とされる扶養控除を2011年に廃止し、同年から中学卒業までの子供1人当たりに年31万2000円(月額2万6000円)の「子ども手当」を直接給付することを決定し、2010年度は半額にて実施したが、2012年3月に自民党と公明党の要求する「児童手当」を復活させた。
○高校授業料無償化。公立高校の授業料を無料化し、私立高校生にも授業料を補助(年12万〜24万円程度)する制度を2010年度から開始させた。
○出産一時金の給付額を42万円から55万円に増額する方針だった。
○不妊治療への医療保険適用を検討し、支援拡充を方針だった。
○保育所に入所できないいわゆる待機児童の解消に向け、認可保育所の増設と共に、小中学校の空き教室の活用した施設の拡充や保育ママ制度の積極活用などを推進する方針だった 。
エネルギー・原発
民主党の原子力発電に関する記述は以下のように推進から廃止へ変化した。
1998年の「基本政策」では「原子力発電の安全性向上と国民的合意を形成する」とし、1999年8月の「政権政策委員会提言」では温室効果ガス削減の考慮、老朽化の廃炉、新規原子力発電所の建設検討、原子力安全委員会の独立性、原子力の安全確保、「原子力情報公開ガイドライン」などを列挙した。2003年マニフェストでは「安全を最優先し、原子力行政の監視を強めます」、2005年マニフェストでは「過渡的エネルギーとして慎重に推進」、2007年および2009年の政策集では「着実に取り組みます」とした。
2009年の政権獲得後、鳩山由紀夫内閣がCOP15で温室効果ガス排出の1990年比25%減を掲げたが、原子力発電の増設を前提とした数値であった。2010年マニフェストでは「総理、閣僚のトップセールスによるインフラ輸出」に「原発」を含め、2010年10月にニントゥアン第二原子力発電所への原発輸出の技術協定を締結した。
2011年3月の福島第一原子力発電所事故発生後は、菅直人が浜岡原子力発電所の停止要請を行い「脱原発」を主張したが、退陣条件の1つに再生可能エネルギー特別措置法を挙げ、成立後に退陣した。同年6月、海江田万里経済産業大臣(当時)は東京電力が求めていた福島第一原子力発電所事故の汚染水流出を防ぐ遮水壁設置の先送りについて、「中長期的課題」とすることを条件に認めた。
2011年5月25日、菅がフランス・パリで開かれた経済協力開発機構(OECD)設立50周年記念行事で講演し、日本国が太陽光や風力など自然エネルギーの総電力に占める割合を「大胆な技術革新」により2020年代の早期に20%へ拡大する方針を表明した。
2011年9月に党代表となった野田は「脱原発依存」を掲げる一方、2012年7月に大飯発電所の再稼動を行った。2012年9月、民主党は「原発ゼロ社会を目指して」を了承し、2012年マニフェストで「2030年代に原発稼働ゼロを可能とするよう、あらゆる政策資源を投入」と記載した。
情報公開
○1998年基本政策では、情報公開の徹底、公益法人の情報公開を主張していた。
○2010年9月に尖閣諸島付近で起きた中国漁船と海上保安庁巡視船との衝突事件において、海上保安庁職員(当時)の一色正春が船上で撮影した映像を、民主党菅政権の了承を得ないまま11月4日にインターネットで公開した。この映像公開を琉球新報・読売新聞・産経新聞・日本経済新聞などは肯定的に評したものの、朝日新聞・毎日新聞・北海道新聞・東京新聞(中日新聞)・沖縄タイムス・北國新聞など様々な報道機関からこの映像公開に対し『政府や国会の意思に反する行為であり、許されない』(朝日新聞)、『日中関係の修復に水を差そうとする意図があったのだろうか。ゆゆしき問題である』(北海道新聞)、『国家公務員が政権の方針と国会の判断に公然と異を唱えた「倒閣運動」』(毎日新聞)、など否定的な声が上がり、日本政府の外交機密・情報・危機などの管理体制や法整備の甘さが指摘された。
首相の菅は11月5日(公開翌日)の閣僚懇談会で、国交相・馬淵に「情報管理の徹底と、事実関係の確認をするように」と述べ、流出の経緯などについて調査し、原因究明を図るよう指示した。また、同日夜には首相官邸で記者団に対し、「国の情報管理がしっかりとした形になっていないことに危機感を強く覚えた」と述べた。この映像流出事件を受け、官房長官の仙谷は11月8日の衆院予算委員会で「国家公務員法の守秘義務違反の罰則は軽く、抑止力が十分ではない。秘密保全に関する法制の在り方について早急に検討したい」と述べ、秘密保護法の制定に前向きな姿勢を示し、検討委員会を早期に立ち上げる考えを示した。その後、2011年8月に有識者会議が「秘密保全法制を早急に整備すべきである」とする報告書をまとめ、国会提出を目指していた。
○特定秘密の保護に関する法律(特定秘密保護法案)について、 幹事長 大畠章宏は東京・銀座での街頭演説で『マスコミもこぞって、特定秘密保護法案については反対しよう、という声を上げている。あとは、国民のみなさんの声をあげてください』と述べた。また民主党は、特定秘密保護法案の廃止法案を2014年1月24日に召集予定の通常国会で共産党・社民党などと共に提出する考えを示している。
戦後補償問題
民主党の「政策集INDEX 2009」は、冒頭で「戦後諸課題への取り組み」を記載し、国立国会図書館に恒久平和調査局を設置するための国立国会図書館法改正や、従軍慰安婦とされた者に金銭の支給を行う戦時性的強制被害者問題の解決の促進に関する法律案の成立を掲げている。
他党に先駆け、戦時性的強制被害者問題の解決の促進に関する法律案を国会に8度にわたり提出した。起案者の本岡昭次は「政権交代が実現したら真っ先に実現する法案」と述べている。
2010年7月16日の朝鮮日報は、日本政府が8月の日韓併合100周年に合わせて発表する談話に最大限の誠意を盛り込むことを検討しており、1995年の村山談話をどれだけ上回るかに関心が集まっていると報じた。8月10日、政府は村山談話をほぼ踏襲する菅首相談話を閣議決定した。
選挙・政治
1998年基本政策では、次のような主張をしていた。
○政治 - 国会改革や参政権の拡充、自立した市民が参画し政治を直接監視。民主主義の質的充実と活性化。憲法の基本精神を守り発展。
○国会 - 政府委員制度の廃止、議員立法の緩和、優先審議の制度化、スタッフ充実。二院制のあり方の見直し。政党・民間の政策立案向上。
○内閣機能 - 総理大臣及び内閣の政治的リーダーシップ強化。副大臣制度の導入、政治的任命職の拡大。
○政治倫理・国会議員 - 資産公開の徹底、政治的地位利用罪の導入。政治献金の公開・透明化、国から助成を受けている団体の政治献金禁止。議員の定数見直し、永年表彰制度の廃止。
○選挙制度 - 一票の格差の是正、選挙制度見直し。選挙権・被選挙権年齢の引き下げ、在外投票制度、定住外国人の地方参政権。
○司法 - 適正で迅速な裁判、裁判官などの増員、法曹養成の充実、手続法の整備、法曹一元化など。法律扶助制度。
その後、次のような政策を掲げるようになった。
○企業・団体献金を全面禁止し、税額控除やインターネット献金の推進によって個人献金を普及させるとしている。
○世襲議員の制限。現職の国会議員の配偶者および三親等内の親族が、同一選挙区から連続して立候補することを民主党の内規で禁止している。
○資産公開の徹底、政治的地位利用罪の導入などにより、政治倫理を確立するなどを基本政策に掲げている。
○衆議院の比例定数を80議席削減するとしている。
○選挙権の年齢を18歳に引き下げる方針を固めている。
○2006年に与党の反対で否決された「インターネット選挙運動解禁法案」を成立させ、政策本位の選挙・カネのかからない選挙の実現を図るとしている。
○鳩山政権では、地域からの陳情は民主党都道府県連で聞き、党本部幹事長室を通じて関係各省庁に伝えるという仕組みを作った。吉田治副幹事長は、地方県知事からの道路建設などの陳情受け付けの条件として「民主党を選挙で応援すること」を挙げた。
○2009年9月18日、民主党は政府・与党一元化のため、議員立法を禁止し、政府提出法案を原則とすることを決めたが、議員立法の禁止には至っていない。
○外国人地方参政権の成立を推進。2009年の第45回衆議院議員総選挙では、鳩山由紀夫内閣は外国人参政権法案の成立を予定したが、鳩山由紀夫内閣の総辞職により頓挫した。後任の枝野幸男幹事長は永住外国人への地方選挙権付与法案(外国人参政権法案)について、早期の提出に慎重な姿勢を示している。
難民認定の緩和
先進国中最も冷たいとされる日本の難民受け入れ状況を改善するため、「難民等の保護に関する法律」を制定し、国連難民高等弁務官事務所が認定した難民は原則として受け入れる方針を打ち出していた。
2010年、難民の申請者に申請から六カ月が経過すれば無条件、一律に就労を許可した。しかし実際には難民に該当しないビザなしでの不法就労目的の「偽装難民申請」が相次いだ。そのため、自民党安倍政権時の2015年9月、この規定を見直しししっかりと審査し、該当しない場合には国外退去を求めるようになった。
人権
1998年基本政策では、少数民族・被差別部落・在日外国人・障害者・難病患者などへの差別解消、プライバシー保護などを主張していた。人権 - 人権擁護法案(人権侵害救済法案)など。警察の取り調べの可視化や証拠開示義務を法制化し、冤罪の防止を図るとしていた。
男女共同参画・差別撤廃
○婚外子(非嫡出子)の相続差別をなくすことをめざし活動を行い、2013年に、婚外子の相続差別撤廃する改正民法が成立した。
○性同一性障害者の性別変更について、未成年の子供がいてもこれを認めるように法制を見直すとしていた
○選択的夫婦別姓の早期実現。
○「離婚後300日以内に誕生した子を前夫の子と推定する」「推定を覆す申し立ては前夫からしか起こせない」とした現行制度により「戸籍のない子」問題が生じている現実を踏まえ、事実上離婚状態にあった期間を勘案して本当の父親を認定できるよう法改正するとしている。
2015年には、これらの問題について最高裁判所が違憲性を判断することとなったことを受け、政調会長の細野豪志が定例記者会見において、「民主党は、選択的夫婦別姓と再婚禁止期間の短縮を含む民法改正案を1998年から2009年まで超党派で提出してきた経緯がある。その経緯も踏まえ、もう一度この問題についてしっかり議論する機会をつくりたい。法務部門で議論が始まると聞いているが、できるだけスピードを上げて民主党としての考え方を提示できるよう努力をしていきたい」と述べた 。
その他
1998年基本政策では、次のような主張をしていた。
○官と民 - 簡素なルール、官僚は事前調整から事後チェックへ。公務員倫理法、天下り規制強化など。
○土地 - 保有から利用へ、土地の流動化、有効利用促進。
○国民生活 - 公平な機会、多様な価値観や個人の尊厳と権利、活力に満ちた社会。少子・高齢社会に備えたセイフティー・ネット整備、地球環境、人と自然との共生、「安心・安全・ゆとり・豊かさ」。
○男女共同参画 - 男女の固定役割や差別、不平等の解消。家族法の整備、女性の権利保障、性的いやがらせ防止、女性政策の強化、男女共同参画社会。
○教育 - 教育の地方分権、価値観や能力の多様性、自立した青少年。30人学級、入試や奨学金の見直し。リカレント教育、コンピュータ教育、国際化対応など。地域学習、子育てネットワーク。
○科学技術・芸術文化 - 基礎的研究開発や先端技術研究、複合的人文科学研究の推進。多様な芸術文化の活動支援、知的所有権制度の充実。重要文化財の保全。
○環境 - 環境教育、資源循環型社会。温暖化・環境破壊対策、不法投棄やダイオキシン問題の解決。
○災害対策 - 大規模災害に対する公的支援。危機管理体制の確立。
○NPO - NPOへの支援。 
党内対立 

 

民主党には保守系から革新系まで政治的思想の異なる議員が集まっているため、全体の合意は存在しても、個別政策によってはしばしば対立が生じた。また、民由合併から小沢の離党まで、小沢一郎を支持するグループと、小沢に批判的なグループとの対立が根強く存在した。
具体例
○小泉政権時代には、小沢一郎を中心とする「対立軸路線(与党に反対的な立場を取り、違いを明確にする)」を主張するグループと、前原誠司を中心とする「対案路線(小泉構造改革の方向性に同調し、改革の速度や手法を競う)」を主張するグループの対立がしばしば指摘された。
○菅政権発足以降、菅・前原・野田グループに岡田克也を加えた反小沢派と小沢・鳩山グループの親小沢派の対立が激化している。反小沢派は財源不足やねじれ国会などに応じてマニフェストを柔軟に修正していくべきであると主張しているのに対し、小沢らは小沢・鳩山代表時代のマニフェストの堅持を訴えている。
○2006年10月、北朝鮮が核実験を行った後の朝鮮半島情勢は「周辺事態法」を適用できるかどうかを巡り、「周辺事態法は適用できない」とする小沢ら執行部の見解を発表した。しかし、前代表前原誠を始め、党内右派から「周辺事態法は適用できる」とする意見表明が行われ、また民主党の外交・防衛部門は、「小沢代表らトロイカ体制の見解は民主党の公式見解ではない」と発表したため、有事に対する対応の不一致が浮き彫りになった。
○2008年10月、長島昭久が衆議院のテロ防止特別委員会でソマリア沖の海賊対策として海上自衛隊艦艇による民間商船の護衛を麻生太郎首相に提案。麻生首相が賛意を示す一方で、直嶋正行政調会長からは自衛隊の海外派遣につながるとして「どういうことなんだ」と詰め寄られた。
○戦時性的強制被害者問題の解決の促進に関する法律案を積極的に国会に提出し、慰安婦(日本人女性のみ除外)に戦時性的強制被害者と新たな呼称を付すなど共産党や社民党と積極的に共闘する一方で、法案と反対の見解をとり、自民党保守派と呼応する議員連盟「慰安婦問題と南京事件の真実を検証する会」も存在する。
○鳩山由紀夫・岡田克也をはじめとする主流派が所属する「在日韓国人をはじめとする永住外国人住民の法的地位向上を推進する議員連盟」が永住外国人への参政権を付与する活動を行っているが、反対の見解をとる議員連盟「永住外国人の地方参政権を慎重に考える勉強会」も存在する。
○同党所属の土屋敬之東京都議会議員は、民主党が政策集に明記している永住外国人への地方参政権付与、選択制夫婦別姓制度、実子と婚外子の相続平等化などについて、「マニフェストにも正直に明記して国民の信を問うべき」と主張し、同党の衆院選マニフェストを「(耐震)偽装マンションのパンフレット」などと揶揄した。民主党東京都連は「党の決定に背く行為」があったとして土屋を党から除籍した。 
組織 

 

党員・サポーター
党員・サポーター制度は2000年党大会で導入され、党ではFAQの中で「党員には規約・組織規則・倫理規則に基づく義務が発生するが、サポーターにはそれがない」と両者の違いを説明していた。
党員の資格は「民主党の基本理念と政策に賛同する18歳以上の日本国民」、サポーターの資格は「民主党を支援したい18歳以上の人間」となっている。2012年9月の規約改正以前は日本に帰化していない在日外国人でも党員になることができたが、改正後は日本国民に限定され、既存の外国人党員はサポーターへ切り替えさせられた。党費は年間6,000円で機関紙「プレス民主」が毎号自宅に郵送される。また党代表選挙に投票できた。
サポーターの会費は年間2000円。サポーターも党が主催する講演会・勉強会・イベント・選挙ボランティアなどに参加できた。2002年の代表選挙では1人1,000円を支払えば誰でも登録・投票できたが、2004年からはその年の5月末時点の登録者が9月の代表選挙に郵便で投票できるようになった。また2012年の党規約改正で外国人サポーターは代表選挙に投票できなくなった。
一般党員の入党・サポーター入会は最寄りの総支部で、地方議員の入党は選挙区を管轄する都道府県総支部連合会がそれぞれ受け付ける。なお国会議員の入党は幹事長が受け付け、役員会と常任幹事会の承認を受ける必要があった。総支部は党費・サポーター会費を受け取った後、その中から一定額を「本部登録料」として都道府県総支部連合会経由で本部に送る。
また自民党の党友組織ないしは政治資金団体である自由国民会議や国民政治協会と異なり、サポーターでも党本部が登録を受け付け管理する仕組みで、党の政治資金団体『国民改革協議会』に個人献金をしただけではサポーターとみなされない。ちなみに党所属国会議員にはサポーターを集めるノルマが課せられ、達成できない者は幹事長厳重注意処分が行われる。
党員・サポーターの人数は合わせて、2004年度は約11万人、2005年度は約15万7000人、2006年度は約24万4000人、2007年度は約20万1000人、2008年度は約26万9000人、2009年度は約26万3700人、2010年度は34万2493人、2011年度は30万3219人、2012年度は32万6974人、2013年度は21万8508人という推移となっている。
学生組織
青年局学生部 (CDS) が存在する。
地方組織
衆議院の小選挙区、参議院の選挙区ごとに総支部(そうしぶ)、基礎自治体ごとに行政区支部(ぎょうせいくしぶ)を擁していた。この他、自民党の職域支部に相当する任意の組織を置くことができ、都道府県ごとにこれら支部を束ねる連合会を設置していた。この連合会のことを「民主党○○県総支部連合会」といい、県連(けんれん)と略していた(東京都・大阪府・京都府・北海道はそれぞれ都連(とれん)、府連(ふれん)、道連(どうれん)と略す)。
県連代表は現職国会議員が就くのが基本だったが、県内の衆議院小選挙区に議員がおらず(空白県)、衆議院比例代表にも地元出身者がいない場合は次の国政選挙の公認予定者を就かせることもできた。設立および代表の選任手続きは事前に党本部に通知して幹事長の許可を得た上で、役員会と常任幹事会の承認を得ることが必要となる。
総支部 / 民主党の総支部は、自民党の選挙区支部に相当し、現職国会議員・次回国政選挙公認予定者の活動を支える組織となっていた。参議院選挙区選挙の当選者と次回立候補予定者は、都道府県連の下に置かれる「参議院選挙区総支部」の支部長となる。衆議院比例代表単独で立候補し当選した議員、および参議院比例区選出議員、次回立候補予定者は出身都道府県ごとに置かれる衆参両院どちらかの「比例区総支部」に所属しその支部長となる。なお総支部長が国政選挙で落選、もしくは離党、除籍処分により党籍を失った場合は、県連代表または同県出身の他の現職国会議員を暫定総支部長とすることができる。その後、当該選挙区の次回立候補予定者が決まった場合は予定者が総支部長に就任する。
行政区支部 / 行政区支部は自民党の地域支部に相当し、地元の選挙区選出の都道府県議会議員と、その地域の基礎自治体議会の議員が所属する。原則として1つの基礎自治体につき一つの支部(「地域型行政区支部」)とするが、複数設置することが党勢の拡大に寄与すると判断される場合は、都道府県・政令市議会議員の選挙区を単位とする行政区支部(「地方自治体議員型行政区支部」)を議員1人につき1つ設置することができる。地域型・自治体議員型のどちらの行政区支部も総支部の国会議員や公認予定者と緊密な連携を取る。
県連・総支部傘下の任意組織 / 自民党の職域支部に相当する組織として、都道府県総支部連合会または総支部の下に任意の組織を作ることができるとされている。
本部
2009年12月現在の民主党本部は、東京都千代田区永田町にある『三宅坂ビル』の一部を間借している。2009年の総選挙で政権与党の座に就いたことから来客が多くなり、党本部の手狭さが大きな悩みとなっているが、2012年に政権を手放し、2016年に民進党に改組した後も移転は実現できていない。
内規
勝てる候補者
民主党2005年総選挙での惨敗を受け、衆院小選挙区で「勝てる候補者」を育てることを狙って公認内定基準を定めてきた。全般的に自民党の公認内定基準よりも厳しく設定されているが、党本部による裁量の余地も残っていた。
2009年総選挙以降に初めて立候補する新人は、公認内定時に59歳以下でなければならず、なおかつ小選挙区で2回連続敗北した場合、その2回のうち1回比例復活当選していたとしても、以後民主党の公認を受けることができなくなる。第45回総選挙以前に当選経験のある者が第46回以降の総選挙で比例復活できずに落選して元職となった場合は、内定時に64歳以下であれば次回総選挙での公認を得られ、また小選挙区で3回連続までの敗北が許される。
比例代表選挙の候補者は、比例単独か重複立候補かに関係なく公認内定時に69歳以下とする。
世襲制限
同じく第45回総選挙以降、世襲政治家制限の一環として内規において選挙区の候補について配偶者および三親等内の親族が当該議員と同一選挙区から連続立候補をする場合は新規に国政参入する新人については公認候補としないことを決めた。なお、第45回総選挙で福島1区から当選した石原洋三郎は父が2003年まで福島1区選出の衆議院議員であった石原健太郎であるが、6年間の空白がありこの間に総選挙も1回行われている。この結果、元職者の一親等の親族が元職者と同一の選挙区に立候補するのであれば、最低6年の空白を設けることで認められるという慣習が確立した。
国会議員の公設秘書に配偶者を新規採用することは2004年(平成16年)に法律で禁じられたが、民主党では透明性確保に向けた取り組みをアピールするため、「三親等以内の親族」を公設秘書に採用することを禁止した内規を設けた。ところが第45回総選挙で多くの新人議員が誕生したことで秘書に採用できる人材が不足したため、2009年9月15日の常任幹事会で「一親等以内の親族」に緩和することを決定した。 
支持層 

 

政党支持率の推移
2007年参院選までは、民主党の政党支持率は自民党と比べ上下変動が大きく、国政選挙の直前に急上昇する傾向が見られた。各種全国紙の世論調査では大体15%前後で推移していたが、朝日新聞の調査では2003年総選挙前に20%台まで上昇した。また同調査で2004年参院選・2007年参院選前には30%台まで急上昇し、自民党支持率を逆転するまでに至った。しかし一方で、選挙後は選挙前の水準まで下がるのが一般的であった。また堀江メール問題など党内不祥事が起きると平時よりも政党支持率が一段と下落していた。
年齢別に見ると、結党後しばらくは20〜40代の世代に強い支持を集めていたが、自由党と合併し小沢一郎の代表就任後は50〜60代の中高年層・保守層などにも支持を広げた。性別で見てみると、女性議員の数は自民党より多いにも関わらず、女性層の支持は男性層より少ない。
2007年参院選後は、選挙後に支持率が急降下する現象が発生じず、各種世論調査で20%以上の支持率を維持した。このため、選挙後もおおむね自民党を上回る支持率を維持していた(両党の党首交代の前後には支持率が逆転することもあった)。その後、政権に混乱が相次ぎ、支持率は再び低迷、第46回衆議院議員総選挙で敗北を喫し、自民党が政権を再奪還したが、その間に自民党との支持率の差は大きく開くに至った。
都市部優位からの変化
かつての民主党は、 都道府県庁所在地などの都市部での支持が圧倒的に強い傾向があった(1区現象)。ところが、2005年総選挙では、民主党が都市部で議席を大きく失い、大敗北を喫した(「逆1区現象」)。これは、自民党が、地方を軽視する傾向にあったものの、「小泉劇場」「刺客選挙」で増幅され続けた首相・小泉への個人的人気(小泉旋風)により、特に都市部において自民党候補への票が圧倒的に増加したことが原因とされている。
その後、小沢が代表に就任すると地方・農村部で民主党が健闘するケースも見られた。小沢は2007年参院選に備え、自ら参議院一人区を重点的に回り、自民党の支持基盤を切り崩した。その結果、安倍内閣の不祥事もあり(新聞各紙のアンケート調査)、地方で民主党への着実な支持が新たに広がり、参議院一人区で民主党公認候補が17勝6敗(野党系無所属候補を合わせて23勝6敗)という大躍進が実現した。
その後、政権交代を実現した 2009年総選挙では、民主党が都市部において支持を挽回し自民党を圧倒する一方、西日本の農村部を中心に自民党が議席を守るといった傾向が顕著となった。
政権交代後
政権交代後初の大型国政選挙である2010年参院選では、一人区で8勝21敗と大敗したことが響き、比例代表の獲得議席で自民党を上回ったものの、改選議席を大きく下回る結果となった。その後の統一地方選でも敗北。
2012年12月の2012年総選挙では、殆どの小選挙区で自民党に塗り替えられる「振り子現象」が起きた。2014年総選挙では多少回復したものの自民党が前回衆院選で獲得した小選挙区の多くを死守し、第18回統一地方選挙においては、大阪で議席を大幅に失うなど敗北を重ね、同年の山形市長選挙でも1966年以来非自民系が守ってきた山形市長を自民推薦の候補に明け渡すなど、党勢回復には至らなかった。
地方政治における勢力
民主党は、愛知県・北海道などの旧社会党・旧民社党系の組織がそのまま参加した地域を除き、地方組織がほとんどない状態でスタートした。そのため、国政の議員数の割に地方議員数が少ない状態が続いていた。しかし、複数の国政選挙の経験や代表・小沢一郎の方針により、地方組織の充実のため地方議員を増加させることが党の課題とされた。2007年の統一地方選挙がその試金石であった。
統一地方選挙の前哨戦と言われた2006年12月10日投開票の茨城県議選で、保守王国(自民王国)である茨城において、水戸市・日立市で民主党議員がトップ当選し、県南地域の土浦市でも民主党が議席を獲得した。2007年4月8日実施の44道府県議選では、民主党は都市部を中心に躍進し、埼玉・千葉・神奈川・愛知といった大都市圏の県議会で大幅に議席を増やした。また、政令指定都市の市議選でも、札幌市・名古屋市などで議席数が自民党を上回り、仙台市などでは自民党に1議席差まで迫った。議員定数の少ない選挙区でも、民主党新人が自民党の大物議員に競り勝った。
2007年4月22日実施の特別区議選では43議席増、市町村議選でも一般市議選で82議席を増やしており、地域での基盤の充実の方針が成果を収めつつあったと考えられる。しかし、市区町村地方議会議員の数では、公明党・日本共産党と比べると少なく、社民党よりも議員の数が少ない地域もあった。
その後は2008年9月の麻生太郎の首相就任後、自民・民主両党が対決した知事選・政令市長選など7つの大型地方選で5勝した後、2009年7月12日に行われた東京都議会議員選挙では自民党を44年ぶり第一党から転落させ、都議会第1党に躍進するなど着実に地方での支持を拡大させた。
政権交代後は、地方組織の弱さや政権への不信が露呈し、民主党推薦・支持の候補者落選が相次いだ。第17回統一地方選挙の前哨戦として注目された2010年11月14日投開票の福岡市長選。12月12日投開票の茨城県議会選。12月18日投開票の和歌山知事選、金沢市長選、さらには菅直人首相の「おひざ元」西東京市市議選など重要な選挙で敗北を重ねた。その他に、2011年2月6日の名古屋市長選・愛知県知事選および同年3月13日の名古屋市議会議員選では元民主党の河村たかしが結成した減税日本公認・推薦の候補者が大量に当選したのに対し、既成政党の候補者は民主党を中心に落選が相次いだ(候補者を絞った公明党を除く)。
第17回統一地方選挙では、先の震災・原発事故対応に対する批判や地域政党躍進、自民党の復権に追い立てられ事実上の惨敗に終わったとされる。
2012年衆院選以降は党勢衰退が顕著になり、2013年東京都議選で議席が大幅に減るなど、地方政治でも民主党凋落の影響が色濃く出ている。
与党圧勝後のこれから 野党勢力を立て直すのは"あの"政党 2013/7
先般の参議院選挙は、予想通りの自民・公明党の圧勝で終わった。自民党の単独過半数とまでは行かなかったが、自公両与党は参院でも多数を確保し、衆参の「ねじれ」が解消した。
3年と少し前までは、民主党が両院で多数を持っていた訳だが、共に消費税率引き上げに熱意を見せた、菅直人元首相、そして野田佳彦前首相が、参院選、衆院選と敗れたことに加えて、今回の参院選が「仕上げ」となって、民主党の政治的な力はすっかり霧消してしまった(結果論の可能性が大きいが、消費税という毒まんじゅうを二度食わせて民主党を選挙で負けさせて、さらに、消費税率引き上げを国会で通した財務省の「妙技」には感心せざるを得ない)。
今回「ねじれ」が解消したことで、いわゆるアベノミクスが国民の信任を得てより強固に推進できるだろうという期待が生じる一方で、有権者として少なからず気になるのは、野党勢力が核を失って、事実上の野党不在時代が始まるのではないかということだ。
野党勢力の立て直しは可能なのだろうか?
先般の参院選の、比例代表の政党別得票数をあらためて見返してみて、驚いたことが大小三つある。
一つは、政党名・個人名を合計した総得票で見て、民主党の得票率13.40%が、与党のサブである公明党の14.21%にも及ばなかったことだ。この支持状況では、野党第一党とは名ばかりに過ぎない。そして、敢えて言わせて貰うと、民主党は、今後も勢力を減らすであろう。
実際、今回の選挙で明らかになったことは、「民主党」というブランドが、むしろ候補者の足を引っ張ったことだ。岩手選挙区では、民主党を離れて無所属で立った平野達男氏が旧民主党系候補が三つに分裂する選挙情勢を抱えながらも自民党候補につけいる隙を与えずに圧勝した。一方、東京選挙区では、菅直人氏の反党的行為があったとはいえ、民主党が公認候補を一人に絞り幹部が応援に力を入れた鈴木寛候補が当選圏の5位に入ることが出来なかった。民主党の公認がない方が選挙にはいい、ということでは、そもそも寄り合い所帯の選挙互助会のような組織である民主党は瓦解する運命にある。
さて、比例代表の得票数を見た最大の驚きは、自民党と公明党の得票率を合わせても48.89%と過半数に満たなかったことだ。与党の経済政策が評価され、最大野党の民主党が有権者から懲罰的ともいえる酷評を受ける中で、それでも、連立与党の得票が過半数に達していないというのは、意外な事実だ。
有権者の選択 維新 > 民主
野党の全てが一本にまとまることなど出来ないことは明らかだが、野党勢力がここまで負けた大きな原因は、選挙協力が出来なかったことにある。逆に、与党の勝因には自公の選挙協力があったはずだし、選挙における公明党依存がある以上、今後、自民党が単独で過半数を取っても、公明党を切ることはできにくいはずだ。一方、野党がせめて選挙で協力できる程度にまとまることが出来るなら、数%の有権者が自民党から野党に投票行動を変えるだけで、再びの政権交替が現実味を帯びるということだ。
しかし、野党勢力が結集することは可能なのだろうか。可能だとすれば、現在のどの勢力が中核となることが現実的なのだろうか。再び、比例代表の得票結果を眺めると、それは、どうやら、それは日本維新の会ではないか。これが、三つ目の驚きなのだが、同党は、個人名ではない、政党名の得票では約519万票を獲得しており、約483万票の民主党を上回っている。つまり、「日本維新の会」あるいは「維新」と書いた有権者の方が、「民主党」ないし「民主」と書いた有権者よりも多かったのだ。
日本維新の会と民主党の敗因を検討しよう。
日本維新の会の今回の敗因は、橋下徹共同代表の慰安婦を巡る一連の発言に対する世間の批判と嫌悪、そして、みんなの党との選挙協力が上手く行かなかったことだろう。これまで同党が、主として橋下氏の人気で党勢を伸ばしてきたことを思うと、この問題の影響はまだ残るかも知れないが、時間の経過と共にこの問題印象は風化するはずだ。加えて、維新の会は大阪府と大阪市の首長を持っているので、今後も、維新の会が話題から外れることはない。大阪の行政で実績を積み、官僚の既得権と戦う姿勢をアピールし続けることができれば、日本維新の会が野党勢力の中核を担うことは可能ではないだろうか。
他方、民主党の敗因は、第一に、政権奪取時に「やる」といっていた公約の数々をやり損ねたのとともに、「やらない」といっていた消費税率の引き上げを官僚にそそのかされて強行した「嘘つき」に対する有権者の怒りと不信だろう。民主党が、この点を反省して「嘘」を詫びない限り、有権者は同党を許すまい。民主党のことが、腹立たしいというよりも、忘れたい、というのが、多くの旧支持者の心境ではないだろうか。 また、国民の多くが「株価も上がり、一応、経済のムードが明るくなったことはいいことだ」と評価しているアベノミクスに対して、民主党は「丸ごと」反対しようとした。この、経済政策に対する無理解ないしはセンスのなさを、国民に見透かされたことも今回は痛かった。 
主な支持母体
労働組合 / 連合
2005年11月、組合員数約670万人。民主党の最大の支持基盤(一部地方では社民党支持)
かつての社会党-総評ブロック、民社党-同盟ブロックに見られた「運命共同体」と呼べるほどの密接さは民主党-連合には存在しない。
連合傘下の有力単産は、政治的影響力を行使するため、民主党を中心に組織内候補を擁立し、国政に送り込んでいた。
議員を送り込んでいた主な連合傘下組合は次の通り。
○UIゼンセン同盟:日本最大の単産として強い影響力を持ち、高木剛会長他、連合に多数の役員を輩出。民主党には、柳澤光美を組織内議員として送り込んだ。
○自治労 :政府が進める公務員制度改革に対しては「民主的な改革」特に労働基本権の回復に注力。主に民主党を支持。相原久美子・江崎孝(自治労特別中央執行委員)ら多くの民主党国会議員を輩出。
○自動車総連:組織内議員として、直嶋正行・磯崎哲史を擁した
○JAM:組織内議員として津田弥太郎を擁した
○日教組:政治団体・日政連を通じ、那谷屋正義(日教組教育政策委員長)らを政界に送り込んだ
○基幹労連:組織内議員として高木義明、準組織内議員として柳田稔を擁した
○情報労連:組織内議員として田嶋要・吉川沙織・石橋通宏、準組織内議員として横路孝弘・山井和則を擁した
○電力総連:電力会社の労働組合の連合体で国政・地方選で多くの候補を輩出。組織内議員として浜野喜史(関西電力総連)・小林正夫(関東電力総連)がいた
○その他の単産:JP労組・JR連合など、連合傘下の有力単産が組織内議員を擁した
宗教団体
○立正佼成会(新宗連):以前は自民党を支持していたが、自民党が公明党(創価学会系)と連立政権を組むようになったため、実質的に民主党支持にシフトした。2005年衆院選では自民党16名に対し、民主党167名を推薦した。2004年参院選では藤末健三・白真勲が、2007年参院選では風間直樹・大島九州男が民主党から組織内候補として出馬し、4名とも当選。2010年参院選・2013年参院選でも両名は再選。
○その他:浄土真宗・天理教・崇教真光・世界救世教・いづのめ教団が組織内議員を擁している。参議院選挙で曹洞宗・日蓮正宗も組織内候補を擁立したが、落選した。
業界団体
○全日遊連・日遊協:娯楽産業健全育成研究会の議員を通じ、パチンコ業界と関係を築いた。娯楽産業健全育成研究会は2005年6月、換金を合法化する『遊技場営業の規制及び業務の適正化等に関する法律案大綱』という法案を作成。
その他
○部落解放同盟:2004年、部落解放同盟中央書記長松岡徹が民主党から参院選に出馬し、当選。彼は民主党『次の内閣』ネクスト法務副大臣(2007年9月就任)となっていたが2010年の参院選で落選。また、衆院選挙では組織内候補として松本龍(部落解放同盟副委員長)、中川治(部落解放同盟大阪府特別執行委員)を当選させた。
○民団:地方外国人参政権の獲得を目的に民主党・公明党の支援を表明。小沢一郎もそれに謝意を表明し、帰化した韓国系日本人の支援を期待していると発言した。また民主党を応援しようという団員からの投稿が機関紙に掲載されたこともあり、2004年参院選にて民主党から比例区で出馬した白真勲は当選直後に民団へ行き「参政権運動にともに邁進しよう」と挨拶をした。2007年の参院選では、在日2世(2005年帰化済)の金政玉(民団葛飾支部国際課長)が民主党から出馬したが落選。
○山口組:2007年参院選で日本最大の指定暴力団「山口組」が傘下の直系組織に民主党を支持するよう通達を出した。捜査当局による摘発が強化され、資金源が断たれつつある中、政治的影響力を発揮することで、新たな利権参入を企図していると当局は分析している。  
キャッチコピーとロゴマーク 

 

キャッチコピー
1999年 - 2002年 「すべての人に公正であるために。」「チームで改革活動中。」「日本の政治を根っこから変える。」 鳩山由紀夫
2002年 - 2004年 「つよい日本をつくる。」 菅直人
2004年 - 2005年 「日本を、あきらめない。」「政権交代。」「公約実行。」 岡田克也
2005年 - 2006年 前原誠司
2006年 - 2009年 「国民の生活が第一。」「生活維新。」 小沢一郎
2009年 - 2010年 「国民の生活が第一。」「政権交代。」 鳩山由紀夫
2010年 - 2011年 「国民の生活が第一。」「元気な日本を復活させる。」「民力結集。」 菅直人
2011年 - 2012年 「ひとつひとつ、乗り越えていく。」「今と未来への責任。」 野田佳彦
2012年 - 2014年 「暮らしを守る力になる。」「生活者起点」「再び、地域から」 海江田万里
2014年 - 2016年 「生活起点。」「地域起点。」「直球勝負。」 岡田克也
ロゴマーク
赤い2つの円が描かれた民主党のロゴマークは、1998年4月に発表された。デザインは浅葉克己によるもので、白地に一つの赤色の真円と、もう一つの赤色の歪んだ円とを、上下に少しだけ重なるように並べて配置し、その2つの円の重なった部分だけは素地と同じ白色にしたものとなっている。
2つの円は「民の力」の結合を象徴的に表しており、下側の円の輪郭線が曲線でないのは、円がみなぎる力で動いたり、育ったりして、生命体のように成長しつつ、融合して新しい形を生み出す様子を表している。また、結党当時の代表・菅直人によると、「今は完全ではないが、雪だるまも転がしているうちに大きくきれいな球に育つ」という思いを込めたものだと解説している。
国旗切り張り問題
2009年8月8日に鹿児島県霧島市で開かれた皆吉稲生の第45回衆議院議員総選挙立候補予定者集会で、党代表代行の小沢一郎も席を並べたそのステージ上に、国旗2枚を裁断して支持者が作成したとされる党旗が掲げられた。民主党の陣営の説明によれば、「熱心な支持者」が自作して持参した党旗であり、それが2枚の日本の国旗を縫い合わせたものだとは気づかなかったと民主党側は発表した。
この8日の集会終了時に既にマスコミ関係者から、国旗で作った民主党党旗を問題視する声が出ていたが、公示日前日となる同月17日に開催された党首公開討論会において内閣総理大臣で自由民主党総裁の麻生太郎がこれを取り上げたことで、世間に広く知れ渡ることになった。麻生は、会場に掲げられた民主党の党旗は「よく見ると、国旗を切り刻んで上下につなぎ合わせていた。民主党のホームページにも載っている。とても悲しい、許し難い行為だ」と批判した。
これを受けて民主党代表の鳩山由紀夫は、その場で「そんなけしからんことをやった人間がいるとすれば、大変申し訳ない」と謝罪し、「我々の神聖なマークなので、マークをきちんと作らなければならない話だ」と述べた。同日、民主党の公式ホームページから、集会場の模様が撮られた画像が全て削除された。
8月18日、皆吉稲生は予定通り衆院選に立候補し、出陣式で「国旗の使用方法としては不適切で深くおわびする」と謝罪した。同日、党幹事長の岡田克也が皆吉を口頭注意した。皆吉の後援会は、党本部や県連および支援団体に「国旗の尊厳をおとしめる意図は全くなく、主催者の不手際が原因」と謝罪する文書を送付した。
麻生は事件以降、衆院選遊説中に、「日の丸をひっちゃぶいて(引き破いて)、2つくっつけた。日の丸をふざけたような形で利用するなんてとんでもないと、もっと怒らにゃいかんのです」と批判を繰り返し、他にも自民党のホームページや選挙パンフレットに批判を掲載して民主党へのネガティブ・キャンペーンに使用した。
櫻井よしこは、韓国では「法律で国旗を手厚く守っている」ことを挙げ、「国旗を無惨に切り裂いた行為を取り立てて問題だと思わない民主党の面々と多くの日本人」を非難し、「おかしな日本の姿がくっきり浮かんだ『事件』だった」と評した。
産経新聞は、社説「主張」および「産経抄」にて、「(国旗切り張りは)明らかに国旗に対する侮辱である」と非難。また、党代表代行の小沢一郎まで出席し、党のホームページにその写真が載っていながら、指摘されるまで党内で問題にされなかったことを問題視した。さらに、国旗国歌法の成立に反対してきた民主党の旧社会党議員や、国旗国歌に反対してきた日本教職員組合が民主党の支持母体の一つであり、多くの議員を民主党に送り込んでいることを挙げて、それがこの「事件」と無関係ではないとし、民主党の大会でも国旗が掲げられていないと指摘した。 
 
維新の党 

 

かつて存在した日本の政党。略称は、維新。
日本維新の会共同代表で結いの党との合流に肯定的であった橋下徹らのグループは2014年8月1日に新たに「日本維新の会」の設立を届け出たうえで、改めて結いの党との合流に向けた交渉をスタートさせた。その後衆議院での統一会派結成などを経て、協議の結果9月21日に結党大会を開き、翌22日に大阪府選挙管理委員会を通じて総務大臣に設立を届け出ることとした。
発足から向こう1年は両党から1人ずつ共同代表を出すこと、東京と大阪の双方に本部を置くことなどが決められるなど、結い側にも譲歩した組織となったが、登記上政党の主たる本部を大阪本部とし、代表者を橋下徹とすること、さらに手続き上は日本維新の会が改称し、結いの党が解党したうえで合流する形となるなど、日本維新側に若干の優位が見られる。
しかし2015年11月、旧結いの党代表江田憲司(橋下は2014年12月に共同代表辞任)から代表を引き継いだ松野頼久率いる執行部に反発したグループがおおさか維新の会を、また同年12月に松野執行部にもおおさか維新にもつかない議員5人が改革結集の会を、それぞれ結成して離脱。
2016年3月27日に解党し、民主党を前身とする『民進党』に合流した。この民進党には改革結集の会の議員も小沢鋭仁を除いて合流している。
党名
党名に関して当初から「維新」の名称を残したい維新側と、全く新しい名称で党イメージの刷新を図りたい結い側で長く協議がもつれ、一時は橋下代表が「もう『あ党』でも『い党』でもなんでもいい」と発言したが、最終的に『維新の党』とすることで妥結した。一方、党名の英訳語には日本維新の会で用いられた"Restoration"が「王政復古」を意味し、外国メディアの混乱や復古主義への警戒を招いていることが永らく指摘されていたが、今回"Innovation"と改められた。 
党史 

 

結党前
2013年当時、野党の中でも日本維新の会とみんなの党は、政策も近く合併話が持ち上がっていた。しかし両党ともに党内は一枚岩ではなく、合併などを巡って党内対立が存在していた。
みんなの党内では、党運営を巡る対立や特定秘密保護法をめぐる政策の違い、野党再編に向けたスタンスの違いから渡辺喜美代表と江田憲司幹事長らの対立が激化。同党を除名された江田らを中心に2013年12月18日に結いの党が発足した。
江田らは従来から日本維新の会などとの選挙協力や将来的な政界再編を目指しており、2014年1月からは結いの党と日本維新の会の政策協議がスタート、さらに地方議会レベルでは東京都議会、神奈川県議会などで結いの党と日本維新の会の合同会派が続々と誕生した。これに対して今度は日本維新の会内で、結いの党との合流に肯定的な橋下のグループと否定的な石原慎太郎のグループとの党内対立が激化。結果、日本維新の会は7月31日に解党した。
翌8月1日、石原らは次世代の党を結党し離脱、残った議員が改めて日本維新の会(法的には、前日に解散された日本維新の会とは同名義の別団体)を再結党し総務大臣に設立届けを提出。8月3日、日本維新の会と結いの党が合流に向けて新党設立準備会を設立。9月10日の合同両院議員総会で新党名が「維新の党」に正式決定された。
結党
9月21日に結党大会を開き、正式に発足。旧日本維新の会の橋下徹代表と、旧結いの党の江田憲司代表が共同代表を務める形となった。また、11日にみんなの党に離党届を出していた大熊利昭衆議院議員についても同日入党が認められたが、大熊の離党手続きが完了しておらず、10月14日まで党所属議員数への加算が見送られていた。
なお、「結いの党」はこれに先立つ同日午前、結党大会の会場と同じ東京・高輪のホテルの隣の部屋で解党大会を開き、同日中に総務大臣に解散する届け出を行った。
翌22日、大阪府選挙管理委員会を通じて総務大臣に「日本維新の会」を「維新の党」に名称変更する届けを提出し、受理された。24日には衆議院事務局および参議院事務局に院内会派「日本維新の会・結いの党(会派略称:維結)」を「維新の党(略称:維新)」に変更することを届け出た。会派構成人数は衆院41人、参院11人で変更前と変わらず。
第47回衆院選前後の動き
同年12月、第47回衆議院議員総選挙が執行される。合併を巡る維新・みんな双方の党内対立や政党名変更から維新・橋下人気に陰りが出たとみられており、マスコミなどの事前予想では現有42議席からの大幅減は不可避、30台維持で大善戦、との相場であった。投開票前日に、橋下は早々と敗北を認めるという異例の演説を行う。「もうみなさん、明日、自民党、公明党、歴史的な大勝利となります。なるんです。もう維新の党、はっきり言って負けます」「2014年12月14日、午後8時。開票が始まった瞬間、自民と公明が320を超える議席を獲って歴史的な勝利を収めます」「いやもう、参りましたよ」「勝ち目ありません!」。また「維新は皆さんを冷めさせてしまった」と頭をさげたが、一方でその後続けて「負けを認めたうえでね、このまま無くなっていくなんて、そんなヤワな根性してません。今まで何度も踏みつぶされても、ここまでやってきた」「もう一度(党内を)引き締めます。立て直さしてください。もう一回、チャンスをください。維新を立ち上げた時の気持ちでやります。ただ完全に負けたら次がなくなる。せめて10人でも20人でも維新の議員を残してください」とも述べ、次回選挙までに党勢拡大を図る旨の発言をしてもいる。選挙の結果、維新の党は衆議院で従来の42議席から1議席減の41議席、誰も予想しない大善戦となった。選挙直前にみんなの党が解散、次世代の党が大敗を喫するなどしており、これが大善戦につながった。
この頃、維新の党是であった大阪都構想が佳境を迎えていた。23日、橋下が「大阪都構想の実現に専念したい」として翌年春の統一地方選挙まで「いったん」共同代表を辞任することを表明、松井一郎幹事長も橋下に同調して辞任した。これにともない、江田が単独の代表に、松野頼久国会議員団長が幹事長に就任。橋下は党の最高顧問、松井は党の顧問に就任したことが維新の党から発表された。しかし、橋下自身は12月24日の大阪市役所における登庁記者会見において「了承した覚えはない。一番嫌な肩書。死んでも嫌」「やるなら法律顧問。事務所で契約して顧問料を請求する」と冗談交じりに述べ、党最高顧問への就任を明確に否定した。
統一地方選挙で党勢を拡大して迎えた2015年5月17日、大阪都構想の住民投票が行われ、都構想は反対多数で否決された。橋下は大阪市長の任期終了後の政治家引退を表明した。同時に江田も代表を退くことを表明した。5月19日、幹事長の松野が代表に選ばれた。
分裂
8月ごろにかけて、民主党との連携話が持ち上がり、これに乗り気な松野らと、断固反対の橋下らとの間で一瞬即発の状況となる。
8月14日、幹事長の柿沢未途が山形市長選挙において、民主党・共産党などが推薦する立候補者を独断で応援に訪れたことで、対立に火がつく。松井が柿沢の辞任を要求するが、柿沢は辞任を拒否し、松野も「公党の幹事長が辞する案件ではない」と柿沢を擁護する。27日、橋下・松井が役職の辞任と離党、翌28日には新党結成をそれぞれ表明した。橋下・松井に近い議員十数人がこれに追随し、民主党との合流・野党再編を模索する松野・柿沢らとの分裂が決定的となった。
橋下は新党を10月には結成すると述べ、また民主党出身者の参加を認めない方針を示し、馬場伸幸国会対策委員長、片山虎之助総務会長らが新党への参加を表明した。これに対し、松野は9月8日に馬場・片山と分裂の原因を作った柿沢の役職解任を決定した。橋下は9月15日、新党名を「おおさか維新の会」にする考えを明らかにした。
10月14日、片山、馬場、東徹参議院議員を新党参加を理由に除籍処分とし、翌15日には維新の党は新党に参加する国会議員9人と地方議員153人を除籍処分にすることを決定した。一方、参院の会派代表は新党派の片山が握っていたため、21日、執行部派の5人(小野次郎、真山勇一、柴田巧、寺田典城、川田龍平、いずれも旧結いの党出身者)の会派離脱を参議院事務局に届け出、事実上の追放となった。5名は27日、新会派「維新の党(参議院)」を結成した(会派代表は寺田)。
22日、松野、橋下両派と距離を置く小沢鋭仁、小熊慎司、村岡敏英、重徳和彦の4名が離党届を提出し(12月21日、新党「改革結集の会」を結成)、以降も議員の離党届が相次いだ。
大阪系の議員は、9月末をもって松野の任期は切れたため執行部による処分は無効、との解釈の下、24日、大阪市内のホテルで「臨時党大会」を開催、議決権を持つ特別党員の過半数に当たる233人(委任を含めると287人)が出席したため、「党大会」は成立と主張し、新代表に馬場伸幸衆議院議員を、幹事長に今井豊大阪府議を選出した上で、維新の党の解党を全会一致で決定した。これに対して松野側は、「党大会」は党の規約に基づいて行われていないので正式な大会ではなく、解党も含め全ての決議や人事を無効と断じた。総務省に解党の届け出が出された場合には、刑事告訴するとし、参加者の内、党籍の残る中間派の出席者も除籍とする方針を固めた。一方で馬場側も松野が代表任期が切れた後に政党の事務所所在地など変更する書類を「党代表者」として作成、関係各署に提出したことは「有印私文書偽造にあたる」と指摘し告訴する方針を表明した。更に30日には松野側が新党派の東徹参院議員と事務局長に対し、大阪市の党本部で管理している党員名簿の返還を求める訴訟を大阪地裁に起こした。11月2日、おおさか維新の会が結成される。
11月17日、新党に参加した国会議員のうち維新の党に党籍の残る7名が除籍処分となり、離党を表明したが新党には参加しない6名の離党届は受理された。
両者の争いは長期化したが、12月8日、結党理念「維新の党を将来的に解党すること」を再確認するなどして、両者の円満解決合意が行われた。この合意によって、「野党再編に互いに協力」・「野党再編が実現した段階で、維新の党側が「維新」の名称使用をやめる」・「人件費など党運営に必要な経費を除いた政党交付金の国庫返納」・「双方が刑事訴訟や民事訴訟を取り下げる」などが約された。25日、新党派の内で党籍を維新の党に最後まで残していた馬場、遠藤敬(衆院議員)、東の三名がおおさか維新の会に合流した。
野党再編へ
分党問題に決着をつけた維新の党は、民主党との連携に関心を移す。12月18日、衆議院統一会派「民主・維新・無所属クラブ」が結成される。会派には無所属の衆議院議員野間健も参加し、93名となった。。一方で、参議院の統一会派については、翌年夏の参院選で維新の党の議員が埋没しかねないとの懸念から延期されたが、翌2016年1月6日、参議院で日本を元気にする会との統一会派「維新・元気の会」を結成する。衆参で異なる党と統一会派を結成することは通常なく、民主党側が反発した。後述の合併が確定した後の3月4日、会派は解消された。
2月22日、松野と民主党の岡田克也代表が会談し、民主党が維新の党を吸収合併することで合意した。なお、合併方法が吸収合併(民主党は存続)となったため、維新の党の議員のうち、みんなの党で当選してから結いの党経由で合流した参院議員5人は合流できないことになった。
新党の党名に関しては民主側は党名の継続を、維新側は党名変更を主張したため、両党のホームページとファックスを用いて一般公募を行い、民主側は「立憲民主党」、維新側は「民進党」を提示した。この両者の間で更に意見を募った結果、3月14日、新しい党名が『民進党』に決定する。以降両党内部で手続きが進められ、3月25日、松野・岡田の両代表間で合併協議書が調印された。更に、かつて分裂騒動の際に袂を分けた改革結集の会も民進党へ参加、再び行動を共にすることとなった(議員5人の内、小沢鋭仁はおおさか維新の会へ合流)。
3月27日、『民進党』結党大会に先駆けて午前中に行われた維新の党の臨時党大会において、新党「民進党」結成のための解党を決議、全会一致で採択された。なお「維新」の略称は、おおさか維新の会の略称として引き続き使用される。 
政策 

 

綱領
結いの党の綱領に見られた「『保守対リベラル』を越えた政治を目標とする」という文言は維新の党の綱領にも引き継がれた。
基本政策
基本政策の第一に「憲法改正による統治機構改革」を掲げ、具体的には会計制度や会計基準の変更、予算編成プロセスの改革、憲法67条改正による首相公選制の導入、憲法96条の改正要件柔軟化などを掲げている。また、道州制の導入、安全保障政策の主軸としての日米同盟堅持、特定秘密保護法の見直し、持続可能な社会保障制度改革の実現、教育行政に対する権限を地方自治体に移譲する教育制度改革などを掲げている。
1.憲法改正による統治機構改革
○会計制度改革、予算編成プロセスの改革
○憲法67条改正による首相公選制導入
○憲法96条改正による憲法改正要件の柔軟化
2.規制改革の断行を柱とする成長戦略、「小さな行政機構」の実現
○道州制の導入
3.市場メカニズムを通じた「原発フェードアウト」と「自然エネルギー立国」
4.集団的自衛権の検討を含む「自衛権」行使の範囲の適正化と法整備、「ソフトパワー外交」の積極的展開
5.少子高齢化に対応できる持続可能で受益と負担を明確化した「社会保障制度改革」
6.教育行政に対する責任体制を明確にする「教育制度改革」
○教育行政に対する権限を地方自治体に移譲
7.被災地主導の「震災復興」と国主導の「原発事故対応」を加速化
その他
選択的夫婦別姓制度導入への賛否について、おおさか維新の会との分裂後の党の姿勢はまだ定まっていない、と報道されたが、2016年2月に民主党と共同で選択的夫婦別姓と再婚禁止期間短縮等を柱とする「民法の一部を改正する法律案」を共同議員立法として登録した。なお、分裂前の2014年の衆議院選挙においては、選択的夫婦別姓制度導入について「反対」を公約に掲げていた。議員単位で見れば選択的夫婦別姓導入に賛成する議員も反対する議員も見られる。 
 
民共共闘 

 

2015年から始まり2016年に本格化した、民主党ないしその後身の民進党(野党第一党)と日本共産党(野党第二党)とを中心とする野党間の協力関係を指す造語。民共合作(みんきょうがっさく)、野党共闘(やとうきょうとう)と呼ばれることもある。
「共闘」成立の経緯
野田第3次改造内閣の衆議院解散によって行われた2012年の第46回衆議院議員総選挙で、政権与党である民主党は議席の4分の3を失う大敗を喫し、野党である自由民主党・公明党が圧倒的議席数を得たことで政権交代が起こり第2次安倍内閣が発足した。以降、野党に転落した民主党は党勢回復に失敗して、更に野党第2党に躍進した日本維新の会が路線対立から分裂、第3党のみんなの党が解党するなど、野党勢力が弱体化した状態が続いた。自民・公明両党は、2013年の参院選、2014年の総選挙でいずれも多数派を維持、長期政権を築いていた。唯一気骨をはいていたのが日本共産党で、反安倍政権を前面に打ち出して両選挙でいずれも議席を倍増させ、議会における反与党勢力の活動のイニシアチブをとるようになった。2015年夏、国会は平和安全法制審議一色に染まり、共産党をはじめ野党の反対派はピケ戦術を行った。院外でもSEALDs主催の抗議デモが連日活発に行われ、野党議員も応援弁士として駆け付けるなど、法制への反対運動が連日大々的に報じられた。法制の成立後、志位和夫(日本共産党中央委員会幹部会委員長)は反対派の各党(民主党・維新の党・社会民主党・生活の党と山本太郎となかまたち)に対し、同法制廃止の一点のみに絞って五党が協力して政権を樹立させる国民連合政府構想を提案した。しかしこの提案は、野党間での政策の違いなどを理由に民主党内部で反対され、実現しそうになかった。
2013年の参院選では、各野党が自前の候補を選挙区で擁立したために反与党の票が分散し、自民党の候補が悠々当選した(参議院一人区では自民党の29勝2敗、任期中の入党も含めると30勝1敗)。国政選挙での全選挙区候補者擁立を基本とする共産党は2016年の参院選に向けて早々と各選挙区に候補を擁立し、選挙活動を開始させていた。民主党も擁立を始めており、2016年2月の時点では32選挙区中21選挙区で民共両党で候補者がバッティングしていた。2月19日、民主党・維新の党・社会民主党・生活の党の5党の党首会談の席で、志位は1人区での野党統一候補の擁立を提案、必要とあらば自党の候補の取り下げも辞さず、との方針を語った。22日、共産党指導部もこの方針を承認した。共産党にとっては、他党との大規模な選挙協力は例が無いことであった。
以降、連立政権樹立などには踏み込まず、もっぱら選挙協力などの文脈で「共闘」がなされるようになる。岡田克也(民主党→民進党代表)も、あくまで選挙協力であって連立政権を目指しているわけではない旨を度々発言した。
3月27日、民主党と維新の党が合併して民進党が結成、協力野党は4党となった。4党の内でも、前与党の民主党(民進党)と上り調子の共産党の動きが特にクローズアップされ、「自公」の向こうを張って「民共」と並び称されるようになり、社民党と生活の党は脇役とみなされた。その他の野党では、おおさか維新の会、日本のこころを大切にする党、日本を元気にする会、新党改革などは法制に賛成よりの立場をとる(いわゆる『改憲勢力』)などして、4党とは距離をとった。また、新党大地は民主党との協力関係を築いていたが、代表の鈴木宗男(公民権停止中で非議員)は「共産党が入った野党協力には協力できない」として民進サイドと袂を分かち、自民党・公明党と選挙協力を行う方針に切り替えた。宗男実娘の鈴木貴子衆議院議員は民主党に離党届を提出、比例代表(比例北海道ブロック)選出議員であることなどを理由に民主党側がこれを受け容れず除籍(除名)処分となり、無所属議員として活動。のちに自民党会派へと移籍した。
また沖縄県では、反米軍基地闘争の経緯から2014年の総選挙の時点ですでに野党陣営(民共共闘に参加する4党のほか、沖縄の地域政党・沖縄社会大衆党や那覇市議会新風会・沖縄県議会おきなわ(旧称「県民ネット」)などの政党・会派)の選挙協力の体制が整っており、全国に先駆けて野党共闘が実現していた。ただし、同じく沖縄の地域政党である政党そうぞうは、この選挙協力には参加していない。
5野党党首会談での確認事項
1.安保法制の廃止と集団的自衛権行使容認の閣議決定撤回を共通の目標とする
2.安倍政権の打倒を目指す
3.国政選挙で現与党およびその補完勢力を少数に追い込む
4.国会における対応や国政選挙などあらゆる場面でできる限りの協力を行う
「民共合作」という呼称
「民共合作」という用語は、自公与党またはその支持者など保守層から民進と共産の協力体制に対してに批判的な意味をこめて使われることが多い用語である。もっとも元は五十嵐仁が両党の協力を推進する立場から使い始めた表現である。民進党内部でも民進と共産の接近に対して、慎重的な議員(長島昭久など)が「民共合作」を用語を使うこともある。
「合作」は中国語で協力関係を意味し、近代中国史上の「国共合作」をもじったものである。また「野党共闘」という用語は共産党が参加していることを薄めることや、民共だけでなく社会民主党や自由党(生活の党)も共闘に参加していることを意図して使われることがある。 
各種選挙における共闘状況 

 

2016年4月補選
前年の町村信孝(自民党衆議院議員)死去に伴う衆院北海道5区補選が参院選前に組まれており、参院選の「自公」対「民共」の前哨戦の位置づけとなった。共産党は前年の時点で党北海道5区国政対策委員長の橋本美香の擁立を発表していたが、「(統一候補は)民主党ではなく無所属候補として出馬する事」などを条件に橋本の出馬を取り下げ、共産・民進・社民・生活の4党推薦で池田真紀(民主党道連常任幹事)が野党統一候補となった。また、SEALDsや学者の会らが母体となって結成し安全保障関連法廃止を掲げる候補を支援する団体「安保法制の廃止と立憲主義の回復を求める市民連合」、北海道の地域政党の市民ネットワーク北海道や市民の風・北海道、緑の党グリーンズジャパンも池田の支援に回った。
選挙戦では、一騎討ちとなった与党統一候補で前任者・町村の娘婿にあたる和田義明(自民党公認、公明党・新党大地・日本のこころを大切にする党推薦)を追い上げたが、約1万2千票差(惜敗率90.92%)で敗れ落選した。
2016年参院選
参院選の一人区の擁立候補は、5月31日に調整が完了し、32選挙区すべてで一本化が達成された(内訳は、無所属16人、民進党公認15人、共産党公認1人)。共産党はほとんどの候補者を選挙区から取り下げたうえで比例区に回した。32の内28の選挙区が、与党候補(自民公認・公明推薦)、野党統一候補(民進・共産・社民・生活擁立)、その他の勢力(幸福実現党など)の主に三者の争いとなった。
比例区については、社民・生活両党が統一名簿構想(「オリーブの木」構想)を提案したが、民進党が「時間的・物理的に困難」という理由で社民党側に断念することを伝えた。社民・生活の二党のみでの統一名簿は規模が小さく期待できないため、比例区については各党個別に戦うこととなった。
7月10日の選挙の結果、1人区は野党統一候補の11勝21敗で負け越しはしたものの、前回の2勝29敗と較べて戦績はアップした。野党が勝利した11選挙区の内訳は、無所属候補が岩手・山形・新潟・沖縄の4選挙区、民進党公認候補が青森・宮城・福島・長野・山梨・三重・大分の7選挙区であり、かねてより保守王国と言われ、自民党の強固な支持基盤だった東北6選挙区のうち、秋田を除く5つの選挙区で自民候補に勝利するなど、主に東日本で野党が勝利する結果となった。また、福島の岩城光英(法務大臣)・沖縄の島尻安伊子(沖縄・北方担当大臣)の二大臣を落選に追い込んだ。参院選で複数の現職閣僚が落選したのはこれが初めてである。
各党別の選挙結果としては、共産党は選挙区で1議席を獲得、比例区でも党勢を拡大した。また、党勢が退潮傾向にあった社民・生活両党は、社民党は改選2(党首の吉田忠智と副党首の福島瑞穂)が1減(吉田が落選)して議席数が5を割り込んだが、比例得票率が2%を上回ったため政党要件をクリア、生活の党(改選2)は岩手選挙区で木戸口英司が勝利(無所属、選挙後に入党)・比例区でも最後の1議席に滑り込み議席数を維持し、ともに一息つく結果となった。一方の民進党は、前回の改選議席こそは上回ったものの、与党時代の前々回の獲得議席が改選となっていたため「現状維持」のハードルがもともと高く、総議席では減少となった。連立与党の自民・公明両党や、おおさか維新の会は議席を増やしたため、結局主要政党では民進党の一人負けとなった。
2016年東京都知事選
6月21日、舛添要一(東京都知事)が自身の政治とカネ等のスキャンダルの理由に知事を辞職、参院選の直後に都知事選が行われることになった。野党4党は最終的には統一候補を立てるに至ったが、一枚板とは行かなかった。民進党は参院選と並行しての候補者選定が民進党東京都連の主導で進められ古賀茂明や鳥越俊太郎などにオファーをしていたがまとまらず、前々回(2012年)、前回(2014年)と続けて次点になっていた宇都宮健児(2回とも共産・社民推薦)が先に立候補を表明した。参院選翌日の7月12日になって、民進は本部が都連の頭越しに鳥越の擁立を決定(この時点で都連は古賀と出馬の交渉を行っていた)、4党は鳥越を統一候補として推薦すると決定した。宇都宮は野党共闘を優先させて、告示前日の13日に出馬を断念した。なお野党4党に加え、緑の党グリーンズジャパン、地域政党の東京・生活者ネットワーク、新社会党など左派リベラル系の政治団体も追従して鳥越への推薦や応援を行っている。
与党は、自民党と公明党の連立与党、それに日本のこころを大切にする党の推薦を得た増田寛也と、衆議院議員を辞職し自民党を飛び出す形で出馬した小池百合子との分裂選挙となり、更に都議会の与党勢力の体質も問題視されていたため、当初は鳥越が優勢と見られていた。しかし鳥越の出馬が告示直前であったことによる政策等の準備不足や4党の連携不足、更に中盤に週刊文春・週刊新潮によって鳥越自身の女性スキャンダルまでが飛び出して勢いは失速、「反自民」票は、都議会との対決姿勢を強調した小池に流れた。7月31日の選挙の結果は、小池が非推薦のハンデを覆して2位以下に100万票以上の大差をつけての圧勝、増田が次点、鳥越は分裂した与党系の両方に及ばない3位に終わった。民進党代表の岡田は都知事選の投票日前日に、9月の代表選への不出馬と9月末での代表退任を表明した。岡田は退任表明会見において野党共闘路線を進めたことなどを在任中の成果として挙げて「達成感はある」と語った。「成し遂げてきたことを、さらに肯定的に前に進める人がありがたい」とも述べ、自身が進めてきた共産党などとの野党共闘路線を受け継ぐ人が新しい代表になることが望ましいとの認識を示した。
参院選後の動向
2016年9月15日、民進党の結党後初となる代表選が行われ、民共共闘の評価が争点の一つとなった。代表の岡田や幹事長の枝野幸男、他の野党幹部は後継の執行部でも野党共闘を継続することを希望したが、一方で政策的に共産党よりも自民党に近い保守系の民進党議員(平田健二、細野豪志、馬淵澄夫、長島昭久などは代表戦を通じての路線修正を図った。立候補者3名の構想は以下の通り。
○蓮舫は共闘継続を方針としつつ「参院選での連携が絶対とは思わない」「枠組みがどうなるか、もう一度、党員・サポーターの声に真摯に耳を傾ける」と発言した。
○前原誠司は「衆院選は政権選択の選挙だ。一度、岡田路線はリセットすべきだ」としつつ候補者棲み分けなど民進党への選挙協力は「他党が考えることだ」と発言した。
○玉木雄一郎は「基本的考え方の違う政党(共産党)とは一線を画す。これが大原則だ」としつつ共闘については「選挙区事情で一つの結果になることはある」として候補者一本化の可能性に言及した。
選挙結果は、蓮舫が前原・玉木を大差で下し、新代表に選出された。共産、生活、社民の3党は、いずれも共闘継続を求める声明を発した。これを受けた蓮舫新代表は、10月の衆議院補欠選挙において「これまでの基本的枠組みを維持しながらどういう形ができるのかこれから詰めたい」と野党共闘を続ける考えを示した。その一方、政権選択となる次の衆議院選挙については「綱領の違う党とは連立しない」ことを強調した。
7月26日、生活の党と社民党は参議院で統一会派「希望の会(生活・社民)」を結成した)。吉田は議席減と自身の落選の責任をとって党首辞任の意向を示していたが9月1日の党常任幹事会で慰留されて辞意を撤回、生活の党は10月12日に党名を「自由党」に改称した。
また、参議院沖縄県選挙区でオール沖縄陣営が2連勝、選出枠を複数確保(独占)したことに伴い、糸数慶子(沖縄社会大衆党、今回非改選)と伊波洋一(無所属、今回初当選)が院内会派「沖縄の風」を結成、9月26日召集の第192回国会以降は4党1会派の体制で共闘を行うこととなった。
2016年10月補選と新潟県知事選挙
10月16日の新潟県知事選では、米山隆一を野党統一候補として擁立した。米山は民進党出身であるにも関わらず、民進党のみ支持母体の連合の意向により自主投票となったが、実際には蓮舫代表をはじめ多数の所属議員が米山の応援に入った。選挙結果は、米山が与党系の候補を破って当選を果たしている。
10月23日実施の衆院補選についても、10月5日に野党4党間での選挙協力を確認した。小池百合子前議員の都知事選出馬に伴う東京10区に元NHK記者の鈴木庸介、鳩山邦夫の死去に伴う福岡6区に元日本総領事館職員の新井富美子(いずれも民進党の候補)を擁立することが決定し、共産党は発表していた公認候補を取り下げた。投開票の結果、福岡6区は保守系無所属の鳩山二郎(当選後に自民党の追加公認を受けた)、東京10区は前任者・小池百合子(現・東京都知事)の全面的なバックアップを受けた自民公認・公明推薦の若狭勝の前に敗戦、野党統一候補は2連敗に終わった。 
 
公明党 

 

日本の仏教系宗教法人創価学会を母体として、中道を目指して結成された日本の政党。自由民主党と自公連立政権を形成する与党第二党である。略称は公明。旧党名は公明新党(こうめいしんとう)、公明(こうめい)、新党平和(しんとうへいわ)、黎明クラブ(れいめいクラブ)。
1961年(昭和36年)、衆議院進出を目指し、創価学会・池田大作第3代会長(当時、現:名誉会長)によって「公明政治連盟」が結成される。1964年(昭和39年)、「公明政治連盟」を改組し、宗教政党「公明党」を創立。
1969年(昭和44年)から1970年(昭和45年)にかけて、創価学会と公明党が自らを批判する書籍の出版・流通を阻止・妨害するために働きかけていた(「言論出版妨害事件」)ことが公になり、日本国憲法第21条で保障されている「言論の自由」を侵すものとして社会的批判を受けた。また、この問題を通して、創価学会と公明党との密接な関係が憲法第20条に規定された「政教分離原則」に反するという批判も強くなり国会で議論されるようになった。国会での追及が公明党と創価学会を制度的に明確に分離することを約束し、「国立戒壇」という表現は将来ともに使わないこと、「国立戒壇」を国会で議決することを目標にしないことなどを約束、党の綱領から「王仏冥合」「仏法民主主義」などの用語を削減するなど、宗教色を控える方針転換を図った。
これ以降、自由民主党と日本社会党の二大政党がしのぎを削っていた「55年体制」の中にあって、保守でも革新でもない「中道路線」の立場をとる。1973年(昭和48年)以降、社公民を軸とする「反自民」の「中道革新連合政権構想」を提唱したが、1970年代後半に、地方の首長選では自公民の選挙協力を取るようになる。一方で日本共産党とは1974年(昭和49年)に相互不干渉を約束、「創共協定」を結ぶが1年ほどで死文化した。
長らく中道路線を取りつつ、1990年代には、自衛隊の海外派遣を認める「国際連合平和維持活動等に対する協力に関する法律」(PKO法)制定に賛成して外交政策を転換。1993年(平成5年)には、非自民・非共産連立政権である細川連立政権に参加。結党以来初めて与党の側につき、郵政大臣、労働大臣、総務庁長官、環境庁長官などの国務大臣のポストを得た。その後、新進党の誕生による分党期(1994年(平成6年)12月5日 - 1998年(平成10年)11月7日)や1998年(平成10年)の新進党解散を経て「公明党」を再結成する。1999年(平成11年)からは自民党(小渕内閣)の要請を受け、連立に参加(自自公政権)。以後10年に渡り連立を組み(自公保・自公連立政権)、一時は民主党への政権交代に伴い下野するも、2012年(平成24年)から再び自公連立政権を形成している。
2010年(平成22年)の第22回参議院議員通常選挙では比例区の得票数・獲得議員数がみんなの党を下回ったが、2013年(平成25年)の第23回参議院議員通常選挙では比例区の得票数が全政党中2位に浮上するなど、現在も国会でキャスティング・ボートを握る政党のひとつであるとされる。
政党の英語表記は、結党時の1964年(昭和39年)から新進党合流時の1994年(平成6年)までは「Komeito」だったが、1998年(平成10年)、公明党再結成に伴い「New Komeito」に改めた。2014年(平成26年)9月25日、公明党結党50年を機に「Komeito」との英語表記を復活させた。
現在の党キャッチコピーは「希望が、ゆきわたる国へ。」。
組織
最高議決機関は党大会で代表を選出し、活動方針、重要政策、綱領及び規約の改正、予算決算など重要案件を決定する。大会が開かれていない間は代表者会議が大会の権限を代行する。国会議員は両院議員総会を作る。党の最高執行機関は中央幹事会で、代表、副代表、幹事長を置く。代表以外の主要役員は代表が指名してから大会の承認を得ることになっており、より下級の役員は上からの指名によるので、規約上は代表の権限が強い。
「言論出版妨害事件」以降、党組織の一定の改革もなされ、中央幹部会を議決機関の中央委員会と執行機関の中央執行委員会への分離と党大会代議員の下部からの選出等が行われた。
党員
1970年(昭和45年)以前の創価学会文化部時代は、創価学会員でなおかつ文化部員としての手続きをしなければ参加することができなかった。言論出版妨害事件以後の組織分離により学会員以外にも開放され、現在は党規約4条に「党の綱領及び規約を守り政策および諸決議を実現するために党活動に参加しようとする18歳以上の人は国籍を問わず」党員として入党することが出来ると定めている。
入党の手続きは地元の党所属議員を経由する方法の他、創価学会員であれば支部・地区・区本部といった末端組織を通じて紹介を受けることができるが、学会員だからという理由で強制的に入党させられることはない。入党希望者は既存党員2名の紹介を付けた所定の入党申込書に本人が自筆で記入し、初年度の党費を添えて支部または総支部長に提出する。支部長はこれを都道府県本部に送り、都道府県代表の承認を受けることにより手続きが完了する。
年額3,000円の党費支払いの他に、機関紙を購読することが規約7条で推奨されている。
なお『公明新聞』、『月刊公明』、『公明グラフ』の配達と集金は聖教新聞販売店に委託されており、聖教新聞と公明新聞の両方を取っている党員には、それぞれ別々の領収証が発行される。 
略史 

 

○1954年(昭和29年)
創価学会第2代会長・戸田城聖が前年の参院選で組織としての選挙投票依頼を受けたことを機に会に「文化部」を設置し、選挙の出馬予定者を部員に任命。
○1955年(昭和30年)
11月 第3回統一地方選挙に文化部の会員が出馬。
○1956年(昭和31年)
7月 第4回参議院議員通常選挙で3名が当選。8月 戸田が『大白蓮華』に「王仏冥合論」を執筆し、創価学会の政治進出を理論づける。
○1957年(昭和32年)
6月27日 理事長・小泉隆が参議院大阪府選挙区の第3回補欠選挙において、買収行為を行なったとされ大阪府警察に逮捕される。また、同年7月4日には渉外部長だった池田が会員に戸別訪問および買収を指示したとの嫌疑で逮捕、起訴された。
○1959年(昭和34年)
6月 第5回参議院議員通常選挙で6人が当選、参議院の総議席数は9議席に。1961年(昭和36年)
11月27日 公明党の前身「公明政治連盟」を発足。
○1962年(昭和37年)
7月 第6回参議院議員通常選挙において9人が当選。参議院の議席数は15議席に。自由民主党、社会党に次ぐ第3党となる。
○1963年(昭和38年)
1963年東京都知事選挙で、自民党が推薦する東龍太郎を支援。
○1964年(昭和39年)
11月17日 「公明政治連盟」を改組し、「公明党」を設立。池田が『政治と宗教』(鳳書院)を出版。「王仏冥合」の理念をベースした政治論を訴える。
○1965年(昭和40年)
7月4日 第7回参議院議員通常選挙において11人が当選、参議院の議席数は20議席に。
○1967年(昭和42年)
衆議院選挙直前に、池田が「憲法擁護」「大衆福祉」「安保の段階的解消」などを含む公明党の方針を公表。1月 第31回衆議院議員総選挙で25議席を獲得し、衆議院に初進出。その後の党人事で衆議院議員の竹入義勝と矢野絢也がそれぞれ委員長と書記長に就任。党の比重を衆議院に重きを置くようになる。
○1968年(昭和43年)
7月7日 第8回参議院議員通常選挙で12名が当選、3議席増の23議席となるが、支持母体創価学会による集団替え玉投票事件が起き学会員14名が逮捕されるなど社会問題化する。
○1969年(昭和44年)
12月 「言論出版妨害事件」を巡り、「政教一致」に対する社会的批判を受ける。
12月27日 第32回衆議院議員総選挙では47議席を獲得、民社党を抜き、社会党に次ぐ野党第2党に。
○1970年(昭和45年)
5月3日 日本大学講堂における創価学会第33回本部総会において池田が「言論出版妨害事件」について謝罪。「国立戒壇」の教義の撤回、創価学会と公明党の役職の分離などを表明。矢野が社会党書記長の江田三郎、民社党書記長の佐々木良作らと共に、社公民連合政権構想による『新しい日本を作る会』を結成。
○1971年(昭和46年)
6月27日 第9回参議院議員通常選挙において10人当選。参議院の議席数は1議席減の22議席に。第一次訪中団を派遣。日中復交五原則を提案。
○1972年(昭和47年)
6月 竹入を団長とする訪朝団が朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)を訪問。北朝鮮の金日成国家主席との共同声明で、主体思想(チュチェ思想)を指針として、社会主義建設で大きな進歩をとげたこと取り上げた。
○1973年(昭和48年)
3月 竹入が東京都知事美濃部亮吉と会談し、都議会における与党入りに合意。9月 「中道革新連合政権構想」を発表、「日米安保即時廃棄」に路線転換。
○1974年(昭和49年)
第10回参議院議員通常選挙において14人が当選、参議院の議席数は24議席に。
10月 創価学会と日本共産党の間で「創共協定」が締結。
○1977年(昭和52年)
第10回参議院議員通常選挙において14人当選。議席は25議席に。
○1979年(昭和54年)
民社党との公民連合政権構想に合意。10月の衆院選において、公明党は57議席を獲得。日本社会党・民社党・連合の会・新自由クラブの4党と選挙協力し、自民党を過半数割れに追い込む。12月 民社党と「中道連合政権構想」で合意。
○1980年(昭和55年)
1月 社会党と「連合政権構想」で合意。6月22日 ハプニング解散によって初の衆参同日選挙が実施。選挙期間中に大平正芳総理が逝去、自民党が分裂ムードから融和ムードへと変わったことから参議院においては12人が当選、参議院の議席数は26議席になったが衆議院では票が伸び悩み57議席から33議席へと議席を減らす惨敗を喫した。
○1981年(昭和56年)
8月25日〜8月9日 竹入を団長とする代表団が大韓民国を初訪問。大統領全斗煥をはじめ政府首脳と会談。
○19803年(昭和58年)
6月22日第13回参議院議員通常選挙において14人が当選。参議院の議席数は27議席に。12月18日 第37回衆議院議員総選挙では58議席を獲得。
○1984年(昭和59年)
10月 自民党総裁選挙における二階堂進擁立に矢野らが協力。
○1986年(昭和61年)
再び衆参同日選挙となる。第14回参議院議員通常選挙において10人当選。参議院の議席数は3議席減の24議席に。第38回衆議院議員総選挙でも2議席減の56議席に。12月 委員長に矢野絢也、書記長に大久保直彦が就任。
○1989年(平成元年)
委員長に石田幸四郎、書記長に市川雄一が就任。第15回参議院議員通常選挙では自民党への逆風による批判票が社会党1党のみへ流れた為獲得議席は10議席。参議院全体で3議席減の21議席と議席を減らしたが選挙直後の総理大臣指名選挙では参院での決選投票で公明党は社会党委員長土井たか子を支持し自民党総裁海部俊樹を破る。
○1990年(平成2年)
第39回衆議院議員総選挙では再び自民党への逆風、批判票が社会党1党のみへ流れた為公明党は45議席へと議席を減らす。4月 「4野党連合政権協議」を凍結。
○1991年(平成3年)
2月 湾岸戦争に対する90億ドルの追加支援に賛成。4月 1991年東京都知事選挙において、自民党と共に磯村尚徳を擁立したが、自民党都連が推した現職の鈴木俊一に敗北。
○1992年(平成4年)
6月 PKO協力法成立に協力。7月 第16回参議院議員通常選挙において一部の選挙区で初めて自民党と選挙協力を行なう。また議席は24議席へ。
○1993年(平成5年)
8月 細川護熙日本新党党首を首班とした非自民・非共産連立政権である細川連立政権に参画し4人が入閣。
○1994年(平成6年)
4月 羽田孜前副総理を首班とした非自民・非社会・非共産の羽田連立政権に5人が入閣。6月 総理大臣指名選挙で海部俊樹支持も社会党委員長村山富市に敗北。村山内閣(自社さ連立政権)の成立により野党に転落。12月4日 自民党が参議院特別委員会に池田大作名誉会長の参考人招致を画策、公明党員が委員長室前でピケを行い抵抗。その後、池田の招致は見送られ、創価学会第5代会長の秋谷栄之助が参考人として出席。「政治に大衆の声を反映していく政治の実現を願って公明党の支援をして来た」、「政党が政権を目指すというのは当然のこと」、「政治によって何か利益を得るとか政治の力を借りて布教をするとか、自分達の宗教を国教化しようなどということは毛頭考えていない」などと述べる。12月5日 「公明党」を解散し、政党助成法に基き「公明新党」と「公明」に分党。12月10日 公明新党が新進党へ合流。
○1995年(平成7年)
1995年東京都知事選挙で石原信雄を与野党相乗りで推薦したが青島幸男に敗北、同日に行われた大阪府知事選挙でも推薦候補が横山ノックに敗北7月23日 第17回参議院議員通常選挙で新進党として初選挙に臨む。新進党は比例区第1党になり比例区で新進党は18人当選。選挙区でも躍進し自民党の単独過半数を阻止。
○1996年(平成8年)
1月18日 自民党が運動方針の中に、「いま、わが国の政治にとって最も憂うべきは、宗教団体・創価学会が新進党という政党の皮をかぶって国民を欺き、政治の権力を握ろうと画策していることである」という内容を盛り込む。10月20日史上初の小選挙区比例代表並立制による第41回衆議院議員総選挙で新進党は議席を減らし政権交代に失敗、最大の敗因は(池田大作に対する訴権の濫用に関して池田を証人喚問しようとした)自民党総務局長白川勝彦と自民党組織広報本部長亀井静香による政教分離・反創価学会キャンペーン、旧民主党結党による非自民・非共産の票割れ。しかし幾つかの選挙区で「小選挙区は人物本位」の方針により公明、創価学会は自民党候補を支援したことが明らかになる。
○1997年(平成9年)
5月 旧・公明党系議員らが新進党内に党内グループ「公友会」を設立。12月27日 新進党両院議員総会で分党が決定。
○1998年(平成10年)
1月4日 新進党から分党して新党平和、黎明クラブ(参議院議員が所属)が発足した。1月6日 新進党の存続政党・小沢自由党に公明系から8人が参加1月18日 公明が黎明クラブと合併し、参議院は公明に一本化される。7月12日 第18回参議院議員通常選挙において9人が当選。議席数は前回と同数の22議席に。直後の総理大臣指名選で菅直人初代民主党代表を支持し参議院では小渕恵三自民党総裁を破る11月7日 「公明」と「新党平和」が合流し小沢自由党結党参加の議員も加わり「公明党」を再結成1998年沖縄県知事選挙で自民党推薦の新人稲嶺恵一を推薦し、現職大田昌秀を破る。
○1999年(平成11年)
1999年東京都知事選挙で自民党が擁立した明石康を小沢自由党都連と共に推薦も石原慎太郎に完敗。10月5日 自民党と自由党の連立政権に加わり、自自公連立政権(小渕内閣 (第2次改造))が成立。続訓弘が初入閣
○2000年(平成12年)
4月1日 連立離脱の小沢自由党から保守党が分裂し、自公保連立政権となる。また同日小渕が病に倒れる。4月5日 森内閣が成立。6月25日 第42回衆議院議員総選挙で初めて与党側として選挙に臨む。議席は31議席と大きく減らしたが連立政権の過半数は維持
○2001年(平成13年)
1月6日中央省庁再編で省庁が減少。坂口力が厚生労働大臣に就任4月26日 第1次小泉内閣成立。7月29日 第19回参議院議員通常選挙では圧倒的な小泉フィーバーの中で議席を1議席増やす。
○2003年(平成15年)
11月 第43回衆議院議員総選挙で初の「マニフェスト」を発表。議席は34議席となる。11月19日 保守新党解散に伴い麻生内閣まで自公連立政権となる。
○2004年(平成16年)
第20回参議院議員通常選挙では11議席を獲得。議席は24議席となる
○2005年(平成17年)
9月11日 第44回衆議院議員総選挙(郵政選挙)では自民党に圧倒的な追い風が吹くも連立を組む公明党へは追い風が吹かず、獲得は自民党の296議席に対し公明党は31議席と逆に議席を減らした。
○2006年(平成18年)
9月22日 首相就任直前の安倍晋三が池田と極秘裏に東京都内の創価学会の施設で会談し、次回の参院選での公明党や創価学会の協力を要請し、池田は協力を約束したと日経・毎日・朝日・読売の各紙、『週刊文春』が詳細を報じた。10月11日公明党代表太田昭宏は、安倍と池田との会談について「全く承知していない」と語り、安倍は国会で池田との面会の事実を全面否定した。。9月26日 安倍内閣成立。9月30日 第6回公明党全国大会において、公明党代表に太田昭宏が無投票当選、幹事長に北側一雄が就任。
○2007年(平成19年)
2月9日 公費を使って海外を視察した公明党福岡市議団が、大半の文章をウェブサイトから盗作して視察報告書を作成し提出していたことが発覚、公明党福岡市議団は報告書を翌月再提出し公費負担の視察の自粛を表明。7月29日 第21回参議院議員通常選挙では公明党も自民党批判の逆風の影響を受け票が伸びず選挙区での落選を含め当選は9議席と惨敗。議席は20議席となる9月26日 福田康夫内閣成立。
○2008年(平成20年)
1月13日 太田が第44回衆議院議員総選挙にて選挙カーの給油量を水増しして申請し東京都選挙管理委員会から燃料代を不正に受け取っていたと報じられる、翌日、太田が事実を認め謝罪。9月16日 公明党代表選で太田が無投票で再選。9月24日 麻生内閣成立。
○2009年(平成21年)
8月30日 第45回衆議院議員総選挙では、民主党による政権交代の風を受けて、代表の太田昭宏、幹事長の北側一雄など選挙区候補の8人が全員落選、衆議院進出以来最低の21議席の惨敗となった。連立を組む自民党も119議席と大敗。9月8日 臨時全国代表者会議で山口那津男の新代表就任を決定。新幹事長に井上義久を指名した。9月16日 民主党中心の民社国連立政権が誕生し、約10年間続いた政権与党から下野。自公連立を解消。
○2010年(平成22年)
7月11日 第22回参議院議員通常選挙では9人が当選。議席は2議席減の19となり当選人数、比例での得票数も民主党、自民党、みんなの党に次ぐ4番手に後退。しかし山口と谷垣禎一総裁率いる最大野党・自民党との選挙協力が実り連立与党の過半数獲得は阻止。
○2012年(平成24年)
6月15日 公明党が議員立法として提出した違法ダウンロードへの刑事罰導入を盛り込んだ著作権法改正案(親告罪適用)が可決。6月18日 民主・自民との消費税増税を基本とした三党合意を党として了承。12月16日 第46回衆議院議員総選挙で31議席を獲得。自公政権が復活し、3年3か月ぶりに与党となる。また、同日投開票の2012年東京都知事選挙では推薦候補の猪瀬直樹が圧倒的多数の得票数で当選を果たした。
○2013年(平成25年)
7月21日 第23回参議院議員通常選挙で11議席を獲得。非改選議席を含めると20議席となった。
○2014年(平成26年)
2月9日 2014年東京都知事選挙で都本部の推薦候補・舛添要一が当選。6月24日 憲法解釈変更による集団的自衛権の行使を限定容認。9月21日 党全国大会で党の執行体制、議決体制を明確化。中央幹事会と常任役員会の役割を立て分け、中央幹事会を常設の議決機関に、常任役員会を最高執行機関にそれぞれ変更した。12月14日 第47回衆議院議員総選挙で35議席を獲得。
○2016年(平成28年)
4月24日 前期補欠選挙投開票(北海道第5区・京都府第3区)。このうち、北海道5区では自民党の公認候補・和田義明を支援し、無所属で民進・共産らが支援する野党統一候補との接戦の末、約12000票差で当選。7月10日 第24回参議院議員通常選挙において公認候補者を擁立した7つの選挙区(埼玉・東京・神奈川・愛知・大阪・兵庫・福岡)で全勝。これは、公明党が参院選選挙区で獲得した議席として歴代最多である。また比例では7議席を獲得し、合わせて14議席を獲得した。これにより非改選議席と合計して、25議席となる。7月31日 2016年東京都知事選挙で自民党や日本のこころを大切にする党と共に増田寛也を推薦したが、増田は小池百合子に大差で敗北した。12月14日 東京都議会の会派・都議会公明党が、1979年から続いてきた自民党会派(東京都議会自由民主党)との連携を見直し、事実上の連立解消を表明。 
政策 

 

憲法
○池田大作が1999年(平成11年)に提言した「首相公選制」を2001年(平成13年)の参議院選挙の公約に盛り込むことを内定していたが、内閣法制局が「首相公選制を導入するには、憲法改正を必要とする。」との見解を示したことを受けて見送った。
○憲法改正論議について、党内には改正論と慎重論の2つがあり、最終的に党がまとめた案は自民党や民主党とは違い憲法9条は「加憲」という独自の立場である。なお、新テロ対策特措法再可決に消極的なのは、第二次世界大戦中に創価学会の初代会長牧口常三郎ら幹部が逮捕され、牧口が獄死した過去があるためとされる。
安全保障
○日米安全保障条約をめぐっては、公明党結成時の1964年(昭和39年)においては「発展的解消」を主張。昭和40年代には「段階的解消」「早期解消」を主張。「創共協定」締結直前の1974年(昭和49年)1月の中央委員会では「即時解消」を主張した。「創共協定」が党内の反対を受けて空文化し始めた1975年(昭和50年)10月には事実上の存続を認める「合意廃棄」と軟化し、1981年(昭和56年)1月の公明党大会で、日米安保、自衛隊、原子力発電を容認することを表明した。
○イラク戦争では自衛隊イラク派遣に賛成、2007年(平成19年)6月には改正イラク特措法(期限を2年間延長)の成立にも賛成した。なお、イラク戦争の開戦理由となった大量破壊兵器が存在せず、アルカーイダとフセイン政権(当時)が無関係とアメリカ自身の調査で証明されたものの、イラク戦争は(開戦当時の判断としては)やむをえなかったとしている。
○2007年(平成19年)3月、太田昭宏は憲法改正について「自民党の改正案は集団的自衛権の行使を認めることが裏にあるが、われわれは集団的自衛権を認めない」と強調した。
○2008年(平成20年)1月、衆議院の再議決を経て成立したアフガニスタン駐留米軍への自衛隊による給油支援を定めたテロ対策海上阻止活動に対する補給支援活動の実施に関する特別措置法(補給支援特措法)に賛成。
○2012年(平成24年)12月、「自衛隊を国防軍にする」という安倍晋三自民党総裁の発言に対し反対の立場を示す。
○2014年(平成26年)6月、自民党との与党協議の結果、日本国憲法の解釈を変更し、他国を武力で守る効果を持つ集団的自衛権の行使を限定容認することで大筋合意した。ただし、山口那津男代表は「新しい3要件で自衛権の行使の範囲を厳格にして歯止めをかけた。」「他国を防衛すること自体を目的にする、いわゆる集団的自衛権は認めないことが今回の閣議決定だ。」と説明している。なお、公明党本部前で集団的自衛権行使容認反対デモが発生したこともある。
治安
○共謀罪法案成立に賛成の立場をとる。2006年(平成18年)5月19日、自民党と共に衆議院法務委員会で共謀罪法案を強行採決する姿勢を見せていたが、採決は見送られた。
○2005年(平成17年)に韓国人への観光ビザ免除恒久化を実現し、現在は全ての中国人への観光ビザ免除恒久化を目指している。
○2013年(平成25年)12月、特定秘密保護法に賛成。
外交
○国内の政党ではいち早く北朝鮮に訪朝団を派遣している。1972年(昭和47年)には当時の国家主席金日成と会談。当時は、北朝鮮の人権弾圧政策『主体思想』を全面的に賛美していた。
○日韓関係の発展を目指しており、日本が韓国と領有権問題で対立している竹島に関しては、軋轢を避けることを重視している。
○日中善隣友好協力関係の発展を重視しており、日中関係は最も重要な2国間関係であるとしている。
福祉
○結党以来、福祉に力を入れてきた側面があり「福祉の党」と呼ばれることもある。
○1999年(平成11年)、小渕内閣に「地域振興券」の発行を強く迫り実現させる.
○2003年(平成15年)、党のマニフェストで、少子高齢化が進んでも現役世代の平均収入の50%以上を保証する「年金100年安心プラン」を発表する。
○2005年(平成17年)、自民党とともに、介助や援助を必要としている障害者に対して、福祉サービス利用料として一律1割の負担を求める障害者自立支援法を成立させる。
○2010年(平成22年)7月に行われる予定の参院選に向けて発表したマニフェストで、うつ病や児童虐待など、日本が抱える新しい福祉問題(「新しい福祉」)の解決に重点的に取り組む姿勢を見せている。また、民間・公共住宅の空家をリフォーム、非正規労働者や年金生活者などの住宅困窮者に低家賃で提供する「セーフティネット住宅100万戸供給作戦」の実施を明言している。
○地方行政においては公明党が与党入りすることも珍しくないため、支援者のために生活保護の受給を行うよう市の職員に要請することも多い。2004年(平成16年)、宮城県多賀城市議会議員根本朝栄が自身の母親の生活保護申請を行うため市職員に圧力をかけたという疑惑が浮かび、多賀城市では該当者の生活保護受給を打ち切り、根本市議や親族に対して受給された生活保護の返還命令を出したという事例が存在する。
男女共同参画
男女共同参画を強く推進している。内閣府男女共同参画局や各自治体の男女共同参画課の施策に対して、予算を獲得することに主導的な役割を果たしており、政権時には男女共同参画関連予算増額などを求めていた。
選択的夫婦別姓
夫婦の各個人の姓を同じ姓にするか改姓せずに済むようにするか選択出来るようにする選択的夫婦別姓制度の法制化の推進を行っている。2015年(平成27年)2月には、「党として法改正の検討に着手する」と政調会長の石井啓一が表明した。同年12月には同党の参議院会長の魚住裕一郎が「国会で議論をまきおこしたい。」とも述べている。さらに、代表の山口那津男は、2016年(平成28年)1月に「国会で議論を深め、時代に応じた立法政策を決めていくのが政治の責任だ。」と述べている。
一方、連立政権の足並みの乱れを生じさせたくないため、この問題について連立を組む自民党を積極的に説得していない、とも2015年(平成27年)12月に報道されている。
皇室
皇室典範の改正に積極的であり、2005年(平成17年)に小泉政権が国会で行った「皇室典範改正論議」に党として女系天皇の即位を容認していた。
行政
○国と地方の公務員の1割削減や予算の重点化・効率化による公共事業費の縮減、国家公務員の天下り管理、退職金の受給制限などを党としては提案していたが、自公連立政権で国土交通大臣を務めた冬柴鐵三は大臣時代、独立行政法人の改革を推進する自民党の渡辺喜美行政改革担当と意見が相違し対立、野党や公明党内から冬柴に厳しい意見が出た。
○外国人参政権を与えることに賛成する。
○公明党は参議院の「法務委員長」のポストを40年以上に渡り独占している。
税制
○特別会計の廃止を含めた合理化を提唱。
○消費税増税に賛成の立場をとるが、弱者への配慮から消費税への「軽減税率」の導入を政策の柱の一つとしている。軽減税率の制度は、2012年(平成24年)6月13日の衆議院の公聴会において、SAPジャパンのコラムニストであった田淵隆明が制度設計を提案して話題となった。公明党は田淵隆明の意見を軽減税率の制度設計に取り入れた。
○公明党が自民党に執拗に軽減税率の対象に新聞を含めようと主張してきたことについて堀江貴文はTOKYO MXの5時に夢中!に出演した際、「公明党がなんでそんなに言ってるかっていうと、支持母体の聖教新聞(にかかる消費税)が8%から10%になったら、激減すると思うんですよ、契約が。」と指摘した。司会者が軽減税率は食品が中心ではないかと聞くと、堀江はさらに「新聞が本命なんですよ、絶対にそうだと思う。」と力説した。
教育
○教育基本法改正において、「愛国心」という言葉を盛り込むことに反対した。自民党案の「郷土と国を愛し」という文言に対し「戦前の国粋主義を連想させる」と反対し、「郷土と国を大切にし」との表現を盛り込ませた。
選挙
○自公選挙協力の中、自民党候補者の後援会名簿が創価学会側に渡ったという事実が明るみとなり、自民党選挙対策関係者や支持者はショックを受けたという。
○支持母体創価学会の会員による電話投票依頼(通称:F取り)や創価学会の会館を使用した政治活動は公職選挙法に抵触するのではないかと国会で議論されたこともあるが、結論は出ていない。なお、電話投票依頼にかかる通話料金や、候補者の選挙区へ出向き選挙運動をした際に発生した費用はすべて学会員の自己負担である(通常選挙運動で発生した料金は候補者や政党が負担している)。
○池田大作が早くから「日本における外国人参政権」を認めるべきだと主張してきており、創価学会を支持母体とする公明党も積極的に推進している。
経済
○2008年(平成20年)後半から深刻な状態になった日本経済に対して、ゼロ金利や量的緩和も視野に入れた金融政策や、大規模な財政出動など政策を総動員していく必要性を強調した。 
論議のある問題 

 

創価学会との関係、政教分離問題
公明党の草創期はあくまで創価学会の所轄内にあったことや創価学会と一体となった活動がおこなわれた経緯から、憲法に定めた「政教分離原則」に反し“公明党と創価学会は政教一致”という批判がマスコミや有権者からあがった。1970年(昭和45年)言論出版妨害事件に端を発した公明党と創価学会との政教一致批判に対し制度的分離を明確化して以降も同様の批判はある。一方で日本国憲法の定める「政教分離」とは、国家の宗教的中立性を定めたもので、宗教団体の政治活動を否定したものではない、ということには留意を要する。
○政教分離を明言した1970年(昭和45年)5月3日の池田の講演では、「創価学会の役職を兼任している公明党議員では創価学会の役職は段階的にはずすなど、創価学会と公明党を制度の上で明確に分離していく。」、「会員個人の政党支持について、会員の自由意思には、全く干渉しない。」、「選挙活動は党組織の仕事とし、創価学会は支持団体として『地域ごとの応援』をする。」ことなどの方針を明らかにした。同年の党大会では政教一致を意味すると見られてきた「王仏冥合」という言葉を党綱領から削除した。しかし、創価学会員による選挙違反の摘発、逮捕がたびたび発覚していることから批判者の間では上記条項が守られていないのではという批判がある。
○1993年(平成5年)、細川内閣発足前日に公明党が大臣ポストを獲得したと池田が発言したことで、池田が細川内閣の人事に影響力を及ぼしているのではと国会で問題となる。当時創価学会会長であった秋谷栄之助は国会で、「当日の新聞の閣僚予想記事の内容を話したのであって、党から何か事前に連絡や相談があったのではない。」という旨の説明をした。
○公明党の元委員長の竹入義勝は1998年(平成10年)9月、『朝日新聞』に連載した回顧録、『秘話・55年体制のはざまで』において、「公明党・創価学会の関係は環状線で互いに結ばれているのではなくて、一方的に発射される放射線関係でしかなかったように思う。」、「委員長を引き受けるときから人事権は(創価)学会にあると、明確にされていた。」、「公明党は財政、組織の上で創価学会に従属していた。」などと述べた。この連載の直後、機関紙「公明新聞」で『竹入義勝の謀略と欺瞞』と題する連載で反論と竹入批判を始めた。
○羽田内閣で総務庁長官を務めていた公明党委員長の石田幸四郎は国会で、公明党の最高人事は池田の意向、指示で決まるのかとの質問に「公明党の人事は公明党でやっており、池田からの指示はない。」「人事、政策というのは党大会を通して決める。」と答弁した。
○内閣法制局は「政教分離原則は宗教団体が政治的活動をすることを規制しているものではない。」旨の答弁をしている。
○選挙期間になると、創価学会信者が組織的に選挙活動に動員され、創価学会の関連施設が活用されることに対し、国会で幾度か問題視されたことがある。
○2007年(平成19年)10月16日の参議院予算委員会で、民主党の石井一議員が公明党と創価学会が表裏一体ではないかと指摘、石井議員の発言では元公明党所属の議員から得た情報として国政選挙で公明党議員が当選した場合、衆議院議院は300万円、参議院議員は600万円の献金がなされると発言、その献金がどこへ入ったかは不明になっているとも指摘。公明党議員等からの創価学会への献金(P献金)や公明党の歴代の代表が結党以来40年以上にわたり投票が行われず毎回無投票で決まっていたことについても言及。また創価学会の関連施設で法敵菅直人が来たなどという政治的活動が行われていたとも指摘。証拠となる録音テープを予算委員長に提出した。代表で答弁した山口那津男議員は質問に抗議、冬柴大臣も「P献金」「創価学会関連施設での政治的活動」をともに否定した。
○2014年(平成26年)6月、内閣官房参与飯島勲内閣官房参与は、公明党と同党の支持母体である創価学会の関係が憲法の「政教分離原則」に反しないとしてきた従来の政府見解について、「もし内閣が法制局の答弁を一気に変えた場合、(公明党と創価学会は)『政教一致』が出てきてもおかしくない。」と述べ、従来の政府見解が変更される可能性に言及した。
創価学会員による選挙不正
支持母体創価学会の会員によって選挙の際、法律に抵触する問題行動が行われ、創価学会はたびたび逮捕者を出しており、国民やマスコミから批判を受けている。中には創価学会や公明党の幹部、名誉会長池田大作の指示があったのではないかと疑われたものもある。一部を抜粋する。
大阪事件
1957年(昭和32年)4月に参議院大阪地方区の補欠選挙が行われた際、創価学会員が大阪あいりん地区に住む日雇い労働者達に候補者名の氏名の入ったタバコや現金を渡したとして幹部だった小泉隆、池田大作を含む創価学会員ら47人が公職選挙法違反で逮捕され池田は無罪となったが45人に有罪判決が下された。有罪となった会員45名は戸田会長の名で会員除名処分を受けた。
東京都議会議員選挙替え玉投票疑惑
1965年(昭和40年)7月に行われた東京都議会議員選挙で大敗した自民党が投票日直前に都内の郵便局に選挙用紙の未配達連絡や投票用紙の再発行が行われたことから、組織的な不正投票が行われた恐れがあるとして再調査、および再度の議会解散を要請した。
新宿替え玉事件
1968年(昭和43年)に行われた参議院議員選挙で創価学会が不在者投票を悪用し本人になりすまし投票を行ったとされる選挙違反事件。創価学会員14人が逮捕され、14人全員に有罪判決が下された
投票所襲撃事件
1969年(昭和44年)7月に行われた東京都議会議員選挙において、創価学会員が投票時間が過ぎたため、投票不可を選挙管理委員会から通達されたところ学会員が逆上、百数十人の学会員が投票所を取り囲んで襲撃、女性・高齢者を含む投票立会人四人に集団暴行を加えて流血させた事件。学会員数名が自首し逮捕された。この事件の首謀者として後の公明党書記長市川雄一の名が一部で挙がっている。また、1970年(昭和45年)5月、国会で公職選挙法改正に関する調査特別委員会が行われ共産党の青柳盛雄が質問に立ち、この事件について内閣に意見を求めている。
住民票異動疑惑
創価学会員が組織的に選挙前に住民票を異動し公明党候補へ投票しているという疑惑。古くは新宿替え玉事件で逮捕された学会員の供述から創価学会本部の指示で選挙前に意図的に住民票を異動したものがいるとの内容を警察が得たことにある。また、1981年(昭和56年)に行われた沖縄県那覇市市議会選挙では那覇市の選挙権を持った市民が那覇市に在住しておらず居住実態がなかったことから調査が開始された。調査により浦添市民の学会員11名が選挙前になると那覇市と浦添市の間で住民票の異動を繰り返していたが、実際那覇市には一度も居住していなかったことが発覚、那覇市の選挙管理委員会は対象の学会員11名を選挙人名簿から削除した。沖縄タイムス、琉球新報は紙面で創価学会の行動を厳しく非難した。
高齢者や認知症患者などへの投票干渉
参議院比例区の投票が非拘束名簿方式になった2001年(平成13年)以降、公明党を支持する創価学会員が公職選挙法違反で検挙されるケースが多数発生。下記のように高齢者や認知症患者などに公明党や友党の自民党候補者氏名を書いたメモなどを渡していたとして逮捕、書類送検をされたケースなどが存在する。
2001年(平成13年)参議院選挙
2001年(平成13年)の参議院選挙で創価学会は全国各地で逮捕者を出し、各地方新聞に掲載された。佐賀新聞が報じたケースでは、逮捕された学会員が不在者投票所の入り口で『公明党の候補者名を書くように言ってある。メモを持たせてある』などと佐賀市選挙管理委員会職員に直接話したのを佐賀警察署の署員が聞いていた事も明らかになっている。また埼玉新聞は羽生市の介護福祉士が自身の勤める老人介護施設の利用者に公明党の埼玉選挙区と比例代表の特定候補者2人の名前を記したメモを持たせて投票させ、投票に干渉した疑いで逮捕されたことを報じた。。ただし、同容疑で自民党や民主党の支援者も同様の行為を行い逮捕者も出ている。
2010年(平成22年)参議院選挙
2010年(平成22年)の参議院選挙で宮崎県で検挙されたケースにおいては、知人の複数の高齢者の手の平に「選挙区の自民候補と比例代表の公明候補の名前をペンで書き投票を誘導した疑いが持たれている。
2012年(平成24年)衆議院総選挙
2012年(平成24年)の第46回衆議院議員総選挙では、愛媛県で「比例代表は公明党、選挙区は塩崎恭久氏(愛媛1区、自民党)」というメモを判断能力に欠けた高齢女性(認知症患者)に持たせて投票させた容疑 で検挙者が出た。また大阪府では、街頭で声をかけた20代の女性を期日前投票所まで一緒に連れて行き、比例代表で公明党に投票するよう促した疑いが持たれている。さらに鹿児島県奄美市の略式起訴されたケースでは、介護施設の職員が自身の入所者に対して「自民党の候補者の名刺に公明党と書いた紙片を付けて渡し、それぞれ選挙区と比例代表に投票」させようとしていた疑いが持たれている。しかしながら、このように表面化したケースは氷山の一角であると考えられている。信者が投票を指示したという具体的な物的証拠が少なく、判断能力の低下した認知症などに罹患した高齢者が標的にされているケースも多く、犯行の証言を得ることが難しいからである。投票所の監視を強化してもイタチごっこであると、警察など捜査関係者は頭を悩ませている。また1965年の参院選で創価学会が選挙違反者を出した時にも、竹入は「このまま捜査を拡大させるようだと、警視庁の予算、とくに機動隊の予算を、大幅に削るぞ」と警察首脳に脅しをかけ捜査を強制終了させ逮捕者を出さなかった経緯も存在する。
電話による投票依頼
公明党は支持母体の創価学会が中心となり友人、知人に対し公明党への電話による投票依頼が行われている。これは創価学会が政界へ進出してから行われており長い歴史がある。最近では携帯電話の普及もあり友人、知人へ直接投票依頼が行われるようになった。この現象は「F取り」や「F作戦」(F=friend)と呼ばれている。実際には、電話による投票依頼は日本の政党すべてで行われているが、創価学会と他の政党との違いは、他の政党の投票依頼はボランティアが候補者の選挙事務所から行い、通信費用は候補者や政党が全額負担なのに対し、創価学会の投票依頼は候補者から委託されたわけではなく、学会員が各々の家庭の固定電話や携帯電話から通話し通話費用も全額自己負担であるという点である。ただし、公明党のボランティアが候補者の選挙事務所から電話するケースもある。
生活保護不正受給の口利き問題
生活保護の受給に関し公明党の市議やが口利きを行っていた事実がある。その中では不正受給も認定されている。例として1999年(平成11年)5月から2003年(平成15年)6月にかけて公明党市議の母親が生活実態がないにもかかわらず、生活保護を申請し生活保護費を不正に受給していた。本件では申請を行う際、公明党市議が自ら市職員に口利きを行ったことが確認され、受給後市の担当者が、公明党市議の母親の1年問の水道や電気の使用量を調べた結果、一般的な一人暮らしの数か月分しかなかったため不正受給とみなし多賀城市議会は、公明党市議や親族に対して生活保護を打ち切った上で、市議会において返還請求訴訟を起こすことを賛成多数で可決した。全議員22名のうち反対は公明党議員2名だけだった。また週刊ポストの調査では公明党市議の母親は以前居住していた塩竈市でも同様の手口で生活保護費を受給していた事が確認されたが受給された生活保護費がどのように使われたかは全く不明としている。最後に決議に反対した公明党議員へ(党籍が同じというだけで)は返還請求訴訟に反対するのであれば公明党は党全体で生活保護の不正受給を容認していると締めくくられている。
ある地方自治体議員は、取材で「生活保護に議員の口利きなど不正は付きものだ。多賀城市の件は氷山の一角にすぎない。」と指摘する。不正受給は詐欺罪になるが、現実には政治家の不当な行政への介入により、全国の自治体で不正が幅広く行なわれているのが実態だ。まして騙し取られているのが国民の血税である以上、単に受給者のモラルや行政の怠慢などで済ませられる問題でほない。と答えている。
韓国大統領選挙介入疑惑
朝鮮日報社は『月刊朝鮮』において、1997年(平成9年)に行われた韓国大統領選挙前に候補者のウリ党金大中候補が日本で秘密裏に公明党幹部と面会し、(日本の公明党の影響下にある)韓国創価学会から支持を得られるように依頼、友人を通じて公明党幹部が了承したとされる事実があることを明かしている。選挙は金候補がハンナラ党の李会昌候補に約30万票の僅差で勝利したが、当時の韓国創価学会の有権者は60 - 80万人程であり創価学会の応援要請が事実なら韓国大統領が日本の公明党の協力で誕生したことになると月刊朝鮮は締めくくっている。
66歳定年制
公明党は独自に66歳定年制度を導入、任期中に66歳を超える場合は党として公認しないというスタンスを取っている。公明党が例外を認めているのはほぼ男性の国会議員のみであり公明党の女性国会議員は、池坊保子を除き、以前代表を務めた浜四津敏子をはじめ例外なく制度を順守し引退している。
公認料
通常政党からの公認で立候補をする場合、公認料は通常政党から立候補者へ支払われるものであるが公明党のみ立候補者が公明党に公認料を収めている。これは2007年10月16日参議院予算委員会で当時大臣であった冬柴鉄三が民主党石井一の質問に対し「立候補者は(公明)党に公認料として2カ月分の議員報酬を収めている。」と発言したことから公になるが、国会の場で公認料のお金の流れ等は議論がなかった。実際、公職選挙法には公認料についての記載はなく、公認料を政党から候補者へ渡しても、逆に候補者が政党へ収めても、法律上特に問題はない。
マニフェストと実際の行動
党としては官僚の天下りに反対の姿勢を貫いているが、国土交通大臣だった冬柴鐵三から天下りを容認する意見が繰り返し出たりしたため、党の方針と閣僚の意見とが一致していないため矛盾との声があった。そのため、衆議院予算委員会で同じ公明党の富田茂之が冬柴に「官僚の天下りに対して追及する民主党議員の行動は正しい」などと指摘した。
自公政権発足後は地域振興券やフェミニズム関連予算、そして高速道路料金大幅引き下げなどバラマキ重視の姿勢、またこれらの政策を自民党に受け入れさせるためのバーターとして自民党が進める公共工事を受け入れた結果、国の借金が1998年(平成10年)は約408兆円だったのに対し、2008年(平成20年)には約607兆円と約1.5倍に膨れ上がった。その一方で、サラリーマンには上記の財源を確保するため、健康保険の本人負担増(2割→3割)を実施させ、サラリーマンに対する増税への支持、さらにはホワイトカラーエグゼンプションの支持を表明した。
池田大作に対する配慮
『週刊実話』によれば、公明党内では、創価学会名誉会長池田大作が日本国内の勲章をひとつも授与されていないことから、公明党所属の国会議員(党首経験者や閣僚経験者含む)は旭日大綬章など勲章の受賞リストに名前が挙がった段階で、池田に配慮し自ら受賞を辞退するという慣習が存在していたという。 ただし、公明党・創価学会と対立した場合は別で、委員長経験者である竹入義勝(1996年(平成8年)・旭日大綬章)や矢野絢也(2010年(平成22年)・旭日大綬章)は受章している。週刊実話の記事では、この受賞に対し支持母体創価学会では「恩知らず」「裏切り者」という罵詈雑言が起こっていると掲載された。
1995年(平成7年)11月27日の参議院「宗教法人等に関する特別委員会」で、自民党の関根則之は、当時の創価学会事務総長原田稔(現:会長)が外務省官房長の小和田恒(皇太子徳仁親王妃雅子の父)に宛てて「本年1月末より2月中旬にかけて、池田大作(創価学会名誉会長)一行が教育・文化交流のため、香港並びにASEAN3ヶ国(タイ・マレーシア・シンガポール)を約2週間にわたり、(下記の日程で)訪問する予定です。何卒宜しくお願い申しあげます。」といった内容の手紙を送り、外務省が創価学会や池田に配慮や便宜を図ったのではないかと発言した。池田大作および長男の池田博正の証人喚問を要求し、審議されたが、外務省、宮内庁、創価学会ともに根拠のないとして否定した上、池田の証人喚問は見送られた。
批判本の掲載について
2000年(平成12年)夏、東京都内の公明党所属の区議会議員が区議会において、公明党と創価学会の批判を載せている雑誌の排除を要求していたことが明らかになり問題となる。大田区議会では2000年(平成12年)3月13日、田口仁議員が「週刊誌は人のことを中傷している。」、「私は不愉快だから何とかしてもらいたい。」として「『週刊新潮』、『週刊文春』、『文藝春秋』を大田区の全図書館から排除してもらいたい。」と要求した。中央区では、同年3月の区議会で、区立図書館に公明党と創価学会を批判した本が多数あることに言及し、図書の選定を問題にし、「図書館の職員の適切な人事異動をしていただきたい。」と要求した。3年前の1997年(平成9年)3月7日にも別の公明党の区議が区議会で「図書館、区の施設、待合室、ロビーなどに置いてある暴力的、人権侵害の週刊誌はき然として排斥するべきだ。」と求め、中央区は出版社系雑誌の購入を止め、雑誌コーナーを廃止していた。  
 
日本維新の会 

 

日本の政党。2015年11月におおさか維新の会(おおさかいしんのかい、英語: Initiatives from Osaka)として結成された。2016年8月23日に現在の党名に改名。略称は維新。所属国会議員数では民進党、日本共産党に次ぐ野党第3党である。党本部は大阪市にある(2017年現在の日本の国政政党では唯一)。大阪府の地域政党「大阪維新の会」(2010年結党)が母体となって結成された政党であるため、党規約上、大阪維新の会が他の地方組織よりもはるかに強い権限をもっているという特色がある。
2015年11月に、民主党への合流に前向きな維新の党執行部の方針に反対して、同党を離党した国会議員や首長らによって結成された国政政党。
大阪府の地域政党である大阪維新の会を母体とする。
結成当初の党名は「おおさか維新の会」であったが、第24回参議院選挙後の2016年8月23日に「日本維新の会」に党名変更した。
地方分権(道州制・大阪都構想)、小さな政府、規制緩和、教育費完全無償化政策などを掲げている。
上記結党の経緯から、民主党や維新の党の後継政党である民進党とは同じ野党でありながらしばしば対立している。
名称
「維新」の名称については創設者の橋下が政界進出以来一貫して用いていた名称であり、大阪維新の会→日本維新の会→維新の党に続いての使用となっている。産経新聞によるとこの「維新」の名称はもともと大前研一が代表を務めていた「平成維新の会」から引き継いだものとされている。維新の党の分裂から民主党・維新の党の合併までの間は、「維新」の名前を含む政党が二つ存在した。維新の党の消滅時、「大阪維新の会」・「維新の党」・「維新八策」の商標権がおおさか維新の会に返還されている。
その後も「おおさか維新の会」の名称で活動を続けていたが、「党名に『おおさか』を被せていては他地域への浸透の邪魔になる」との認識のもと、2016年8月23日に現名称に改称した。
なお、「おおさか維新の会」時代は、維新の党と区別するため、マスメディアによっては「お維」「お維新」の略記も用いられていた。
党史 

 

前史
日本維新の会は2012年の結党以降、2枚看板の橋下徹と石原慎太郎の系列の議員が党内対立を繰り広げてきたが、2014年夏にみんなの党との合併を巡って両派が決裂、橋下派38人と石原派22人(次世代の党)に分党した。みんなの党も合併への賛否を巡って分裂し、合併派の結いの党と日本維新の会が9月に合併、衆参あわせて52人の国会議員からなる維新の党が結党された。
しかし結党後、とりわけ橋下のライフワークであった大阪都構想の住民投票(2015年5月17日投開票)が反対多数で否決され執行部が交代した後の維新の党では、「政権には是々非々で対応するべき。民主党まるごとと合併する形での野党再編はありえない」と主張する党最高顧問の橋下や日本維新の会系(以下「大阪系」)議員と、民主党や日本共産党との野党共闘を重視し民主党と事実上まるごと合併をする形での野党再編を画策する党代表の松野頼久ら執行部側との間で路線の違いが生じていた。
「維新の党」の分裂と「おおさか維新の会」の結成
2015年8月、党幹事長の柿沢未途が山形市長選挙で民主党や共産党が相乗りする候補を応援したことを切っ掛けに、党内対立が表面化する。8月28日に橋下と党顧問の松井一郎が維新の党を離党、翌29日には橋下が維新の党から分党し新党を立ち上げることを宣言し、片山虎之助参院議員や大阪系議員らがこれに同調した。「おおさか維新の会」という新党の設立を目指し、執行部側との分党交渉を始める。
10月、分党交渉が決裂し、維新の党執行部は新党に参加する見通しの国会議員や地方議員を除籍処分とした。これに対して大阪系の国会議員らは「10月1日以後は維新の党には代表や執行役員会が不存在の状態で除籍処分は無効」と主張し、不服申し立てを行った。また、維新の党の参議院会派「維新の党」は大阪系の片山が代表を務めていたため、10月16日、除籍処分への報復措置として執行部側の参議院議員5人の会派離脱届を独断で届け出た。会派から追い出された執行部派の5人は、改めて会派「維新の党(参議院)」を結成した。
24日、大阪系の国会議員や地方議員らは「維新の党における5月の代表選出と11月までの任期延長は、党大会を経ていない無効なものである」(すなわち、執行部による自身の除名も無効である)という解釈のもと、「臨時党大会」を開いて維新の党の解党を決議した。松野は大阪系の解釈および「臨時党大会」は無効と主張した。両者は主張を譲らず、更に政党交付金の使用権限を巡って訴訟状態に突入するなど、「維新の本家争い」と呼ばれる泥仕合が続いた。
10月31日、橋下や大阪系議員らが大阪市内で「おおさか維新の会」の結党大会を開催した。代表に橋下、幹事長に松井が暫定的に就任し、維新の党から除籍処分をされた大阪系議員を中心に19人の国会議員が参加した。11月2日、「おおさか維新の会」の設立が届け出られた。
両者の間での内紛は、12月8日に「維新の党を将来的に解党すること」との円満合意で終結した。この合意には「維新の党は将来的に解散すること」・「野党再編が実現した段階で、維新の党側が『維新』の名称使用をやめること」・「人件費など党運営に必要な経費を除いた政党交付金の国庫返納」・「双方が刑事訴訟や民事訴訟を取り下げること」などが盛り込まれた。2016年3月、維新の党は民主党に合流し、民進党となった。
橋下徹の政界引退と松井・片山体制への移行
橋下は大阪市長任期満了(2015年12月18日)での政界引退を表明しており、12月12日に開催された党大会で、後継代表として大阪府知事の松井一郎が選出された。あわせて、共同代表(実質的な代表代行)および国会議員団長に片山虎之助参院議員、幹事長に馬場伸幸衆院議員、政務調査会長に浅田均大阪府議、総務会長に東徹参院議員が就任した(馬場、東と遠藤敬は事後処理のために維新の党に籍を残しており、入党は25日付)。橋下は一民間人として党の法律政策顧問に就任した。
2016年4月24日投開票の衆院京都3区補選は結党後初の国政選挙で、党本部職員の森夏枝を擁立。投開票の結果、全体の2位となる2万票余りを獲得したが、民進党の公認候補に4万票以上の差を付けられて落選した。
7月10日実施の第24回参議院議員通常選挙には、選挙区18人(減税日本との共同公認候補1人を含む)・比例区10人の合わせて28人の公認候補者を擁立した。また、党外からは渡辺喜美(みんなの党元代表)を比例区に、田中康夫(新党日本元代表)を東京選挙区に、それぞれ擁立した。その結果、選挙区では大阪選挙区で2議席、兵庫選挙区で1議席をそれぞれ獲得、比例区では4議席を獲得し、合計7議席を獲得(渡辺は当選、田中は落選)、非改選とあわせ12議席となり、参議院で予算を伴わない法案の単独提出が可能になった(第192回国会では法案100本提出を目指し、12月12日に目標を上回る計101本に到達した)。
2016年東京都知事選挙(7月14日告示、7月31日投開票)では、当初、松井が「徹底的に行革をやる人が出てきたら党として支援したい」との考えを示していたが、選挙の告示前日に、独自候補の擁立や特定候補の支援を一切行わない方針を表明した。
「日本維新の会」への党名変更
参院選後の7月12日、松井は党常任役員会において兼ねてから懸案の党名変更の意思を示した。党名変更の理由としては、今回の参院選において地元の大阪・兵庫といった近畿の選挙区で勝利した一方で、近畿以外の選挙区では敗戦したことで、党勢を全国で拡大することを目指すという意味合いであった。7月末に党および系列政治団体所属の国会議員・地方議員を対象に新しい党名について事前にアンケート調査を実施、「日本維新の会」・「維新の会」・「『維新』を含むその他の名称」の3択を提示した。結果、「日本維新の会」を選んだ議員が多数を占めた。
8月23日、党常任役員会および臨時党大会を大阪市内で開き、党名を「日本維新の会」に改名することを決めた(党代表は、松井が続投)。また「日本維新の会」の新しいロゴマークも公表されたが、新ロゴマークのデザインは「おおさか維新の会」時代のものをそのまま使用し、ロゴタイプの「おおさか」の部分を「日本」に変えただけである。
2017年1月、同年夏に行われる東京都議会議員選挙に候補者を擁立することを発表。但し、小池百合子東京都知事率いる都民ファーストの会との選挙協力については、一切行わず単独で候補者を擁立することを表明した上で、選挙後の連携には前向きに検討するとした。
2月6日、元フジテレビアナウンサーの長谷川豊を入党させ、千葉1区の支部長に1月28日付で就任、公認候補として次期衆院選に擁立することを発表した。 
政策 

 

綱領
2015年10月31日制定。平成28年8月23日改正。
「我が国は今、国際的な都市間競争の中、多くの分野で停滞あるいは弱体化している。国内的には地方分権、地域再生が叫ばれて久しいが、未だ地方は活力を取り戻せずにいる。人口減少と少子化、高齢化が同時に進行し、地方の住民は地方消滅の不安さえ抱いている。この不安を解消し、国家を再生させるためには、首都圏一極集中から多極分散型(道州制)へ移行させ、地方を再生させることが不可欠である。しかるに、既存政党は全て地方分権に積極的ではない。私たちは、地方から国の形を変えることを目的に日本維新の会を設立する。日本維新の会は、東京の本部を頂点とするピラミッド形の既存政党とは全く異なる組織形態をもち、既存の中央集権型政党とは本質的に異なる地方分権型政党である。地方の議員や首長がダイレクトに国の意思決定に参画し、役割分担しながら分権を進める。日本維新の会は、国家と地域の自立、再生のため、日本が抱える本質的な問題の解決に取り組む。」
政治理念
自立する個人、自立する地域、自立する国家を実現する。
基本政策
基本政策の主な内容は以下のとおりである。
1.統治機構改革
○憲法を改正し、首相公選制、衆参統合一院制、憲法裁判所を導入
○地方自治体が国家の意思決定に関与できる新しい仕組みを創設
2.地方分権
○大阪都構想、大阪副首都化、中央集権と東京一極集中の打破、道州制を実現
3.既得権と戦う成長戦略
○規制緩和や労働市場の流動化によって産業構造を転換
4.小さな行政機構
○自助、共助、公助の役割分担の明確化
○供給者サイドへの税投入よりも消費者サイドへの直接の税投入を重視
5.受益と負担の公平
○受益と負担の公平を確保する税制度や持続可能な社会保障制度を構築
6.現役世代の活性化
○現役世代と女性の社会参画を支援し、世代間の協力と信頼の関係を再構築
7.機会平等
○国民全体に開かれた社会を実現し、教育と就労の機会の平等を保障
8.法の支配
○「法の支配」「経済的自由主義」「民主主義」の価値観を共有する諸国と連帯
○現実的な外交・安全保障政策を展開し世界平和に貢献
○国際紛争解決手段として国際司法裁判所等を積極的に活用
憲法改正案
憲法改正に熱心であり、「幼児期から大学までの教育完全無償化」・「統治機構改革」・「憲法裁判所の設置」を三本柱とした憲法改正原案を2016年3月26日の党大会で決定している。具体的な改憲案を示したのは、自由民主党以外の現存する国政政党では維新が初めてである。
1.教育完全無償化
○義務教育を定めた憲法26条を改正し、「幼児期の教育から高等教育まで無償とする」と規定。さらに、「経済的理由によってその機会を奪われない」と明記する。
○幼稚園・保育園から大学院までの教育費を無償化する。
2.統治機構改革
○地方自治を定めた憲法92条を改正し、「自治体は基礎自治体及び道州」とする。
○道州には、法律に優先する条例を制定できる権利を付与する。
○道州と基礎自治体には、独自に税率を決める課税自主権を付与する。
3.憲法裁判所の設置
○法令などの合憲性を判断する憲法裁判所を新設。
○首相または衆議院、参議院いずれかの総議員の4分の1以上の求めで訴えを提起できる。
マニフェスト
第24回参議院議員通常選挙マニフェスト
1.身を切る改革・徹底行革
○国会議員の定数、歳費の3割を削減
○文書通信交通滞在費の使途公開
○18歳から被選挙権付与
○インターネット投票の導入
○国、地方の公務員総人件費の2割(5兆円)削減
2.憲法改正
○教育無償化、憲法により国に予算措置と立法を義務付け
○統治機構改革
○憲法裁判所設置
3.外交・安全保障
○TPPに賛成、アジア太平洋自由貿易圏の実現を目指す
○集団的自衛権の要件を厳格化、日本周辺の同盟国軍に限定
○普天間基地の負担軽減と日米地位協定の見直し
4.東京一極集中打破
○首都・副首都法を制定、大阪都構想
○地方出先機関の改革、道州制
○原発再稼働責任法案
5.既得権と戦う成長戦略
○2017年4月の消費税増税の凍結
○競争政策を強化、医療、農業、観光産業を振興
○労働時間規制を見直す
6.人材を育てる改革
○バウチャー導入
○保育所は自治体の基準で導入
7.社会保障改革
○公的年金の積立方式移行
○シニア向け労働法制を整備
○医療法人、社会福祉法人等の法人制度改革
IR整備推進法(カジノ解禁法)
大阪はカジノ解禁を巡って候補地に名乗りをあげている。2016年12月の「統合型リゾート施設(IR)整備推進法」(カジノ解禁法)の参議院本会議の採決及び衆議院本会議の採決にあたっても賛成しており同法案は可決成立した。
2025年大阪万博誘致活動
2025年の国際博覧会(万博)を大阪に誘致することを政策として目指している。 
他党との関係 

 

自由民主党
自公連立政権の政策には是々非々で臨む路線をとり、第190回国会(2016年度上半期)では、政府提出の給与法改正案には反対、いわゆる「0増6減」の衆院選挙制度改革関連法案には賛成、民進党・共産党・社民党・生活の党共同提出の安倍内閣不信任決議案には反対するなどした。
ただし、大阪都構想、大阪府政・大阪市政運営などを巡っては自民党大阪府連などとの対決姿勢を鮮明にしており、大阪都構想の住民投票、大阪府知事・大阪市長のダブル選挙では維新に対抗するために事実上の自共共闘が行われた。国政選挙でも自民党との選挙協力などは行われておらず、各選挙区では自民党候補と維新候補は競合関係にある。
また、第24回参院選では県を超えた合区(合同選挙区)がなされたが、自民党では地方の声が国政に届きにくくなるとの懸念から参議院選挙制度改革について「都道府県から少なくとも1人が選出されることを前提として、憲法改正を含めそのあり方を検討する」と公約したのに対し、維新の会はそもそも基本政策で一院制を主張しており、合区解消のための改憲について松井は「自民党の党利党略、個人の議席確保のための話だ。地域代表にしたかったら、(合区した)徳島・高知(両県)を合併したらいい」と述べて批判している。
なお、橋下は自民党の安倍晋三総理総裁個人とは親しく、前身の旧日本維新の会結党時には当時野党の一議員であった安倍を党首として招聘しようとしたことがある(直後に安倍が自民党総裁に返り咲いたことで立ち消えになる)。大阪都構想に絡み自民党大阪府連と全面対決になって以降も親交は続いており、松井や菅義偉官房長官らを交えた会談も度々おこなわれている。
公明党
公明党との間では大阪府政・大阪市政への協力を条件に、大阪3区・大阪5区・大阪6区・大阪16区の4小選挙区に維新が候補者を擁立しないという形の共生関係が築かれており、国政政党の中では一番協調的である。公明党側も当初は自民党、共産党、民主党(当時)とともに大阪都構想の住民投票に反対していたが後に「大阪都構想に反対の立場は取る」としつつ住民投票の実施自体には賛成した。
また、前身の旧日本維新の会時代には関西6小選挙区の公明党候補に対して推薦が出されたこともある。
民進党
民進党とは、政策的距離の遠さ、維新の党分裂時の経緯、安倍政権との距離感の違い、民進党の支持母体である自治労や日教組などの公務員労組に批判的であることなどから、全面的な対立関係にある。
国会質疑においても、維新所属議員の発言には民進党批判が盛り込まれることが多く、とりわけ足立康史衆院議員は「(安保法廃止法案をもって対案だと言っている)民進党は国会の恥。あほ、ばか、どうしようもない政党」「(熊本地震対応で)民進党は何やってるか。足引っ張ってるんですよ、足を。ふざけるなよ、お前らホンマに」などの度重なる暴言で、民進党側から三度懲罰動議が提出される事態となっている。
参院選をめぐっても、維新の会は民進党以下野党陣営との選挙協力を拒否し独自候補を擁立する方針で臨み、それに対し民進党の枝野幸男幹事長が「邪魔だ」と公言するなど両党の対立は深刻である。
日本共産党
橋下前代表が「僕は酢豚のパイナップルと共産党だけは大っ嫌い。どう考えても、共産党とは一緒にやっていけない」と公言していたように、日本共産党とは政策がほぼ全て一致せず、さらに共産党が大阪都構想反対運動を主導していることもあり、両党は全面的な対立関係にある。
共産党も自民党以上に維新を敵視しており、大阪府下の首長選挙においては維新候補を落選させるために共産党が自民党系候補に相乗りする自共共闘がしばしば行われている。
共闘関係にある地域政党
○愛知県の地域政党減税日本は、日本維新の会との政策の近さも相まって、早くから共闘関係にある。松井代表の「結集」への呼び掛けもあり、2016年参議院選挙以前から合流構想が持ち上がっていた。その際には当時の「おおさか維新の会」という政党名に難色を示した減税日本側の意見もあって合流できず。2016年7月の参議院選挙では、両党が合同して愛知県選挙区(改選数四)にて奥田香代を公認した(6位落選)。選挙後におおさか維新の会が「日本維新の会」に党名変更したため、減税側も合流へ前向きな姿勢を示している。
○沖縄県の地域政党政党そうぞうは、2015年3月19日、そうぞう所属の沖縄県議と市町村議員(計20人)がそうぞうを離党して「維新の党沖縄県総支部」に合流することを発表した。下地幹郎衆議院議員のみ離党せず、そうぞうの代表に就任して、維新とそうぞうの二重党籍になった。維新の党分裂においても沖縄県総支部はおおさか維新の会側に付いている。現在、そうぞう出身者としては下地と儀間光男が日本維新の会の党籍を持つ形で国会議員となっている。2016年7月の第24回参議院議員通常選挙では維新の会と政党そうぞうは自民党の島尻安伊子を推薦したが、野党勢力(オール沖縄)の伊波洋一が当選している。